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今から33年ほど前の、名鉄犬山線岩倉駅(愛知県)の様子です。 小学生の頃は夏休みに長期、父の実家に滞在していて、 隣の石仏駅からきっぷを買い、何度かふらっと一人で名古屋まで行った記憶があります。 (生意気なガキですなあ、笑) 外側線が本線、内側線が待避線という線路配置は今も変わりませんが、 東西自由通路を持った地下改札に変わり構内踏切はなくなり、 駅前から北側線路沿いに続いていた一宮線の廃線跡は消えホームの屋根も長くなりと、 着実に都市型の駅に変化していきました。 左の名古屋方面行き電車はスタイルからして3730系か3770系電車でしょうが、 真ん中の新鵜沼行き電車は車番が不鮮明で、残念ながら形式が分かりません。 3730系か3770系にしては運転席窓(助士席窓)が角ばっているしなあ・・・? 同じく岩倉駅で撮影した、キハ8000系急行 『北アルプス』 の写真もありました。 思っていたより編成が長くホームいっぱいに停まったため、車両の "顔" しか撮れなかった記憶があります。
それでも "立山行き" の行先表示と側面いっぱいに続く連続窓に、 パノラマカー有料特急とは別の次元の、"優等列車" の威厳を感じたものです。 また小学生のガキにとって、"立山" は、はるかかなたの(あこがれの)異郷の地でもありました。 一度でいいから、新名古屋から立山まで乗り通してみたかったなあ・・・ |
鉄道思い出話
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これは23〜24年も前の、夏の夜の不思議なお話?です。 学生時代の7月半ばはもうすぐ夏休みということもあり、コンパ(懐かしい言葉!)やらなにやら行事が多く、 私は誘われるまま忙しい日々を送っていました(要するに自主性がない?)。 ある晩若干酒が入った状態で、元住吉に住む1年上の先輩(男)と共に国鉄南武線で帰宅するため、 23時45分発始発川崎行きに乗るべく登戸駅の改札口に着くと、 始発電車のいるべき2番線には室内灯を消した101系電車が静かに佇んでいたのでした。 あれ?ダイヤの乱れでもあるのかな?武蔵小杉で東横線の最終に間に合わないようなら、 生田の1人暮らし友人連宅に押しかけて、宴会の続きに参加しちゃおうかなあ〜♪ などと能天気なことを考えつつ、一応階段を上り下りして川崎方面のホームに行ってみました。 よく見ると2番線に停まっているこの電車、専門的に書くとMc+M+Tcの3連を2つ繋いだ6両編成なのですが、 ドアは全て開いていて川崎寄りの3両は室内灯が点いています! 車内放送が、故障のため後の3両は室内灯が点かないが運転には支障はない、と言っています。 つまり室内灯を消しているのではなかったのですね。 こりゃ面白いこんなの初めてと、若干酒が入っている2人は喜び勇んで最後尾の車両に乗ったのでした。 ただでさえ少ない客はみんな前3両に乗り、最後尾には誰もいません(笑)。 停車中は車内よりホームのほうが明るいので車内が暗く感じましたが、 発車して意外だったのは都心部に比べて車窓が暗いはずの南武線で、案外車窓が明るかったこと。 開け放しの窓から夜風が通り抜け、街灯や照明の蛍光灯や踏切の赤色灯が車内を通り過ぎていきます。 室内灯によって車内と夜の車窓が区別されていたのが、たまたま故障のために一体化してしまった・・・ と表現すれば、チョット文学的でしょうか?(笑) 残念ながらたった17分ほど乗っただけで何の問題もなく武蔵小杉に到着し、名残惜しく降車しました。 専門的に書くとMG(電動発電機)の故障だった?のかもしれませんが、 当時は南武線で冷房車に当たる可能性がまだ低く(↑もちろん非冷房車)、 また夏期で暖房も必要なかったので、客用サービス電源が故障しても何とかなったのでしょう。 今のご時勢だと即運転打ち切り、車庫へ回送でしょうねえ・・・。 写真はJR中原電車区一般公開の際撮影した、私が唯一持っている南武線101系電車の記録です。
字ばかりで申し訳ないので、過去の記事から再用しました。 |
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まずはJR飯田線飯田駅で長時間停車中のひとコマ。 続いて同じく飯田線天竜峡駅で長時間停車中のひとコマです。 運転席後ろ展望ラウンジから撮影した、天竜峡駅に到着する115系下り普通電車です。 119系天下の中で物珍しかった115系も、ついに今春過去帳入りしてしまいましたね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ところで一年以上前の記事に載せたこの写真、 今回の記事を作るにあたってよーく見たら、JR東海道線富士駅の身延線ホームのような気がしてきました。 何度か利用されたことのある方なら、1番線の線路際まで建造物が迫っている閉塞的な雰囲気と、
何となく曲がっていて薄暗いホームに、見覚えがありませんか? (あくまで気がするだけで、絶対そうだという証拠はないんですけど) それと(編成の前後で?)ヘッドマークが違っていることに、今日初めて気づきました。 JR東海のジョイフルトレインなのに、案外芸が細かかったんですね(笑)。 |
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(今回の記事、大変画像が多いです!ご迷惑をおかけします) 先日函館に行った際、市立函館博物館の階段踊り場に張り出されていたPRポスターで、 この企画展の存在を初めて知りました(比較的近いところなのに・・・まさしく灯台下暗し)。 行こうと思ったら月曜日(休館日)だったりして、先週は機会を逸してしまいましたが、 一念奮起(?)昨日行ってまいりました。 横浜市歴史博物館は、市営地下鉄センター北駅から徒歩5分(実際はもう少しかかった)の場所にあります。 実家に行くのもあって、市営地下鉄市営バス共通一日乗車券を購入しました。 この企画展の正式名称は『乗り物・おみやげでたずねる昭和30-40年代の旅〜よみがえる旅のキオク』、 入場券が昔懐かし硬券仕様と大変凝っていまして、展示室入り口で入鋏する女性が腱鞘炎になりそう(笑)。 企画展示室に入ると、まずは0系新幹線青座席がお出迎え。 すぐ隣には客車3段寝台の実物大模型があります。 下段部分については座ったり寝たりすることができ、"狭さ"が体感できるようになっています。 修学旅行コーナー。 撮影しませんでしたが、"当時"の小中学生の旅程記録を見ると・・・案外今でも変わっていないのかも。 当時の交通事情を説明するのに、大型の鉄道模型が使われています。 イロモノというかビジュアルな表現は、(特に鉄道好きには)ありがたいです♪ おおV型マルス端末券!私も探せばどこかにあるはずなんですが・・・? 価格もスゴイですが、昭和34年当時の周遊券は記名式だったのですね。 盆暮れの上野駅発長距離列車自由席の行列解消に配られた、乗車整理券。 さすがにコレにお世話になったことはありません。 ウチの小僧が最も関心を寄せていた、昭和43年10月ダイヤ改正時の国鉄特急ラインナップポスター。 私は昭和50年3月改正時のこのようなデザインのセルロイド下敷きをどこからかもらった記憶があります。 使い込んで割れてしまったはずですが(笑)。 新幹線開業当初のサボ(行先等表示板)って、1列車ごとに存在したのもスゴイことだけれど、 時速210kmの風圧で外れるとか、何かが当たってへこむとかいうことはなかったんですかね? これも、探せばどこかにあるはずなんですが・・・見つからないのがクヤシイ。 これは・・・当時の新婚旅行の標準的な荷物一式と服装なんだそうです。 旅程表を見ているだけですごくマジメというか、ほほえましさが伝わってきます。 しかし、新婦の服装は地味目ながら今でも通用するものがありますが、新郎のそれはカッコ悪いというか、 「今どきこんな格好してるヤツはいねーだろー」と感じるのはなぜでしょう? ん〜そういう自分も服装のセンスはまるでないけれど・・・ かつて観光地の土産物屋に必ずあった『ペナント』、北から南まで日本全国のをよくぞこれだけ集めましたねえ! 現在も小田原を中心に駅弁販売をしている東華軒がかつて行っていた、駅弁の立ち売り風景です。 昭和50年代に小田原駅で駅弁立ち売りしてたとは知らなんだ・・・ 説明書きの上にある"稲荷ずし"の掛紙は、実は今でも現役です(笑)。 鯛めし、小鯵押寿司のもそんなには変わっていません。 私が一人旅を志した頃には、既にお茶容器はプラスチックになっていました。 一回飲んだ後に特急急行の冷水器から水を足して二度出しする・・・なんて若い方には理解不能かも(悲)。 ディスカバージャパンの広告に"乗せられて"、多くの人が国内旅行に出かけました。 仕掛けたのが当時の国鉄だったことを考えると、なかなかいい出来の広告だったと思います。 確かに昭和40年代国内旅行の一大目的であった、大阪万博記念品が多数展示されていました。 行きたかったなあ〜(しつこい、未だ言うか!) この企画展の期間は9月2日まで、展示内容がものすごく豊富とは言いがたいですが、
大人@400(企画展のみ)という観覧料を考えると、かなり質の高い企画展だと思います。 もちろん私は楽しかったですし、また懐かしさを感じながら展示室内を見てまわりましたが、 展示室を出て後味が悪かったのは、自分の青春時代が今や博物館の"展示ネタ"になっていたためでしょうか? |
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同時に発掘された、ノスタルジックビュートレイン2号東能代行き乗車時の写真です。 『ノスタルジックビュートレイン』は当時JR東日本五能線で運転されていた、 現在の『リゾートしらかみ』の先駆けとなる"半"ジョイフルトレイン(普通列車)で、 東能代と弘前の間を2編成で1日1往復づつするダイヤを組んでいました。 なぜ"半"なのかというと、リゾートしらかみのように完全に観光客に特化していたわけではなく、 ローカル列車に観光客用展望指定席車を連結している、というスタンスだったからです。 当然通過駅なしの各駅停車で、車両検査などの際は指定席なしの一般型気動車で代走していました。 展望指定席車は凝った造りで、車体側面にも(何て書いてあったか忘れましたが)ロゴが入っていました。 かつての1等展望車マイテ49などと違い不細工なごついオープンデッキですが、まああるだけましでしたな。 車内も凝った造りでしたがなにせ週末で混んでいて、私たちの座席は山側の2人掛け席(!)でした。 固定窓なのも楽しくなく、千畳敷あたりまではオープンデッキからの眺望を楽しみましたが、 結局自由席車(普通のオハ50)に乗り移って、窓を開けて日本海の風景を楽しむことにしました。 このあたりまで来ると自由席車はすっかり空いていましたし。 思い切って恥ずかしい写真も載せてしまいましょう! 車掌さんが貸してくれた(こちらから頼んで借りたわけではないですよ)帽子をかぶって、 ポーズをとってくれたモデルさん(17年前のオカン)にも感謝。 深浦で長時間停車し、ノスタルジックビュートレイン1号弘前行きと離合します。 折り返し時間が少ない1本を除いて、展望指定席車は終着駅のターンテーブルで向きを変え 編成の最後尾に連結しなおすという、"気合の入った"営業をしていました。 その手間が大変で、展望気動車のリゾートしらかみに代わったらしいのですが・・・ 長時間停車の間、深浦駅前の雑貨屋(コンビニではない)には通学の高校生に加え観光客が押し寄せ、 アイスキャンディーや菓子類が飛ぶように売れていました。 すっかり小ぎれいになったとはいえ、かつての貨客混合列車が廃止になって以来の客車列車復活でしたから、 自由席車(普通のオハ50)で汽車旅を楽しむことができたのも、ありがたいというか貴重なことでした。 ノスタルジックビュートレインは1996年11月で運転を終了、翌年4月からリゾートしらかみが営業を開始しました。
自由席車用のオハ50はすぐに廃車、展望指定席車のオハフ50は高崎運転所に転属し団体・イベント列車に 使用された後、2001年6月に廃車になったそうです。 やまぶき色と茶色の塗装も好きだったし、オープンデッキ指定席と自由席を渡り歩くのも楽しかったのですが。 そういえばもう十年以上、五能線に乗ってないなあ・・・ |



