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これも確か1987年に行った、JR京浜東北線蒲田電車区一般公開の際の写真です。 国鉄からJRになったということで、営業用の103系電車に"こんにちはJR"、 事業用のクモヤ143形には"さようならJNR"のヘッドマークが掲げられています。 鉄道ファンの方はご存知の通り、だいぶ前の1998年に京浜東北線の103系は姿を消してしまいましたが、
この写真で脇役だったクモヤ143-2は皮肉なことに、 蒲田電車区が車両無配置となった1996年に横浜線車両と共に大船電車区に転属し、 それが名称変更された鎌倉車両センターで今も現役です。 確かに営業用ではないし、ふだんそう大した距離を走るわけではないですから、 お金をかけて代替車両を調達する必要もないのでしょうが・・・。 |
鉄道思い出話
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よくある話かもしれませんが、引越し荷物の中に思わず整理の手が止まってしまう品がありました。 その数なかなか多数ですが、とりあえずはJR青函連絡船のオレンジカードから行きましょう。 JR青函連絡船は1988年3月13日の青函トンネル開業に伴い運航を終了しましたが、 廃止直前はいわゆる『惜別人気』で、私がそれまで見たこともないような混み具合でした。 国鉄から連絡線を引き継いだばかりのJR北海道は早速商売に走り(?)、 船内ではオレンジカードやオリジナルグッズが飛ぶように売れていました。 私もそれに乗ったわけですが、さすがにオレンジカード全種類買っているといくらお金があっても足りないので、 次々とやって来る"買い物客"をかわしながら慎重に品定めし、この2枚をセレクトした気がします。 最後は確かさよなら青函連絡船フリーきっぷだったか、
青森まで新幹線特急乗り継ぎまたは寝台特急B寝台利用可・JR北海道全線特急指定席乗り放題という、 かなり格安のきっぷを使って乗り納めしたはずですが、 悲しいかな乗車券類も写真も未だ発見できないので、その記憶は曖昧なままです・・・。 社会人になってから最初で最後の乗船だったので、 学生時代には考えもしなかった往路グリーン指定席・復路寝台船室を利用したのは覚えています。 また青函連絡船には確か合計8回(4往復)しか乗っていませんが、 不思議なことにそのほとんどで『羊蹄丸』に当たったことも、よく覚えています。 |
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確か1987年に行った、JR南武線中原電車区一般公開の際の写真です。 国鉄がJRになったこの年は記念の意味合いもあってか、各所のJR車両基地で一般公開が行われ、 物珍しさも手伝って手当たり次第行った記憶があります。 南武線には日常的に乗っていた時期があり、その頃飽きるほど101系電車に乗っていたのに、
中原電車区で撮ったこのスナップが、(支線用ですが)南武線101系唯一の記録となってしまいました。 しかし・・・画面手前を走っている鉄道模型が何のためなのか、いま写真を見返しても謎です(笑)。 |
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初夏というべき今の時期からはやや季節外れですが、 1987年3月に山陰地方を旅したとき、山陰本線某駅で撮影した写真です。 車両そのものや周りのたたずまいは今でもそんなに変わっていないのでしょうが、 国鉄時代最末期の風景ということと、私の持っている数少ない181系気動車の写真ということで、 "鉄道思い出話"の記事として掲載しました。 撮影したときに単線区間の行き違いで右側通行なのが少し不思議でしたが、 駅本屋側に停車列車、反対側に通過列車を通すというのは、旅客サービスとして当然ですね。 もっとも今では島式ホームであっても、特に右左の区別がない駅もあるようですが。 特急はまかぜが写っていますから、和田山〜鳥取間のどこかの駅だというのまでは分かるのですが、
実際、どこの駅だったかは思い出せません・・・ |
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掲載した写真は私にはめずらしく撮影記録がとってあり、 1980年5月4日に父の実家のある愛知県の名鉄犬山線沿線で撮影したものです。 架線柱の位置とかをまるで考えなかったので、お見苦しいのはご容赦ください。 れんげ畑の向こうを行くのは、名鉄史に残る名車と言われる『いもむし』こと名鉄3400系電車。 保守整備に手間のかかる車体下回りのスカート(防護板)を最後まで取り外さなかったのは、 名車に対する"特別扱い"だったのでしょうか。 当時どぎついという批判もあった赤一色の塗装になっても、なんとも優美な姿に見えました。 "赤に赤"ののどかな風景が当たり前だったこの界隈にも、近年は宅地開発の波が押し寄せていると聞きます。 近いうちに車両も銀色だらけになって、首都圏近郊とそう変わらない風景になるのでしょう。 水の入っていない田んぼのあぜに立って、通りかかる名鉄電車を撮影したことは覚えているのですが、
学生時代は長期休暇の時期しか訪れていなかったのに、なぜこの時期に愛知にいたのか・・・ 記憶をたどるに、私が小学生のころ訪れるとなにかと面倒を見て(甘やかして)くれた曾祖母の、 三回忌だったか七回忌だった気がします。 親戚が一同に面しての法要の後、間が持たなくなった私はカメラ片手に線路のそばまでふらふらと・・・ ひいばあちゃん、バチ当たりなひ孫でごめん(笑)。 |



