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写りの悪い写真で、前々から公開するかどうかためらっていたのですが、 1978年に大師線で撮影した、引退間際の京急230形電車です。 決して思い入れのある車両とは言えず、お熱な友人に引きずられて撮影していたというのが本当ですが、 戦前のクロスシート装備がいかにも似合いそうな、流麗なスタイルと大きな窓が好きでした。 しかし今にして思うに、よく2扉車で大師線の工員輸送をさばいていたなあ(笑)。 1枚目の写真は東門前駅か川崎大師駅か・・・手前の線路が三線になっているのが、今さら気になります。 2枚目の写真は、見た感じ京浜川崎の大師線ホームでしょうか。 鉄道ファン向けサービスで、行先表示板を取っかえ引っかえしていた記憶があります。 3枚目の写真は本線でのさよなら運転を終え、新町車庫に引き上げてきた回送列車です。 お熱な友人は抽選をかいくぐって、さよなら運転に乗車したことを自慢してましたが、 さすがにそこまで付き合う気にはなれず、私はこの回送列車の姿を記録するだけで充分でした。 ハーフサイズカメラによるヘタクソな撮影とその後の変色退色により、写真が見づらいのはご容赦ください。
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鉄道思い出話
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30年近く前に水郡線水戸〜安積永盛間を通しで乗って以来、 先日久しぶりに水郡線(一部)に乗ったわけですが、その初めて乗った時のモノクロ写真です。 まず水戸駅1番線で発車を待つキハ40(47?)形気動車。 現在水郡線では運用されなくなりましたが、ホームの雰囲気は今も特に変わっていません。 続いてどこの駅か忘れましたが、途中で行き違った上り列車。 当時急行が走っていたかどうかも覚えていませんが、キハ58系列のみの堂々たる編成です。 最後に国鉄気動車初の全室形優等車キロ25形を普通車に格下げした、キハ26形400番台車内の様子です。 向かい合わせに固定されていましたが、回転クロスシートの座りごこちはなかなかのものでした。 東海道・横須賀線にはJR発足後までこれと同じような座席のサロ110・111形が残っていて、 ちゃ〜んとグリーン料金を取ってましたね(笑)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「最後に」と書いた後にオマケですが、水郡線に乗るために上野から水戸まで乗車した、 常磐線仙台行き221列車(確か)の上野発車前、朝5時40分頃の写真です。 常磐線には当時客車鈍行が(確か)3往復ほど設定されていて、旧型客車のサウンドと乗り心地を楽しみに、
(周遊券での旅行だから急行列車にも乗れるのに)旅程をわざわざ客車列車に合わせて何度か乗車しました。 同じ客車鈍行でも、東北線の福島行きや一ノ関行きには、なぜだか食指が動きませんでしたが。 そういえば柏や松戸では、発車した上り列車のデッキに飛び乗る人をよく見かけましたね(笑)。 |
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先日青梅線の写真を掲載しましたら、バリバリ原形低窓の103系電車が妙に懐かしくなってしまい、 あちこち引っくり返してみましたら、まあまあ見られるのが2枚出てきました。 まずは八王子駅5番線で発車を待つ、横浜線電車です。 低窓車ということは、京浜東北・根岸線にATCが導入される前の1980年頃の撮影ではないかと思います。 まだ6番線がなく、1面1線のみで折り返し列車をさばいていた時代でした。 このクハ103-61は続くモハ103-61+モハ102-61+サハ103-61と共に最初から冷房改造済みで、 番号からしておそらく山手線から転入してきた、"横浜線のエース"格の車両でした。 サインボードではなく塗装で『横浜線』と書かれているのが、その心意気(?)でしょうか。 ただ計7両に組成するために東神奈川方に連結される3両が必ずしも冷房車ではなく、 その塗装もウグイス色とは限らなかったのが横浜線である所以というか、 当時の国鉄の苦しい事情だったと思います。 続いてはモノクロですがやはり1980年頃、大雪の日の東海道線新子安付近で撮影した、 京浜東北線北行電車です。 当時京浜東北線の蒲田電車区には10両編成を収容できる線路長がなかったとかいう事情で、 ここの所属編成だけクモハ103を含む7両+3両の編成を組んでいて、 ATC導入直前まで低窓車が先頭で活躍していました。 もっともATCが導入されても、蒲田電車区の事情はすぐには変わらなかったので、 先頭車だけATC対応高窓車にして6両+4両の編成に組みかえ、中間に低窓車を残していましたが(笑)。 何度も書きますが103系電車は日常生活であまりにも当たり前の存在で、
私にはカメラを向ける対象ではありませんでした。 こんなところで、自分の歳を思い知らされてしまいます(苦笑)。 |
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前々記事に引き続き、1981年3月に青梅線に撮影に行ったときの写真です。 まずは川井駅そばの、コンクリート橋を渡る列車です。 こう見ると、東京都内なのに飯田線に匹敵するような山岳路線ですね(笑)。 今度は正面がちの撮影です。 写真をスキャンして初めて気づきましたが、石灰石輸送以外の貨物列車もあったのですね。 記憶に乏しいのですが、おそらく上の写真を撮影した位置から反対側を向いて、 今度は上り列車を撮影したものです。 最後の写真は、私の持っている103系電車のそれの中でもベストショットだと思っています。 それくらい103系って当たり前の存在で、カメラを向ける対象ではなかったのです。 この時は『奥多摩・秋川フリーきっぷ』を利用し、なんとか夕方に五日市線も訪れたのですが、
特に撮影欲をそそるような風景には出会えず、大久野貨物支線も実質休止状態で貨物列車もなく、 武蔵五日市駅側から左手に分岐していく、か細い線路を見ただけで帰ったと記憶しています。 写真を見ているとまた青梅以遠に訪問したくなりますが、立川〜青梅間が当時に増して都会化し、 常に電車が混んでいると聞くと、やはり足が向きません。 気合で行ききって、ついでに小僧を青梅鉄道公園に連れて行くと喜ぶかなあ・・・? |
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『鉄道ダイヤ情報』の4月号を眺めていたら、ED16型電気機関車の牽く石灰石輸送貨物列車の写真が目に入り、 思い出して探してみたら、出てきました♪ 1981年3月に、友人と青梅線に撮影に行ったときの写真です。 まずは二俣尾〜軍畑間の、平溝川橋梁を渡る列車です。 別に狙って行ったわけではないですが、青梅線の名の通り梅がみごとに咲いていました。 旅客列車がオレンジの103系電車だったのも、風景にハマっていたと思います。 一時期スカイブルー色との混色編成があったらしいですが、たぶん合わなかったでしょうね。 ダイヤ情報の記事で、橋梁上に架線柱がなかったことを初めて知りました。 言われてみれば、確かに写真上では見あたりません。 続いて青梅線の終点、奥多摩駅です。 この時以降訪れていないですが、この駅舎は健在のようですね。 駅構内は貨主客従(?)の構造になっていて、 旅客の少なさとは対照的に貨車の入換作業が頻繁に行われていました。 3月なのに暑苦しい(重厚な、と書くべきでしょうが)面を並べるED16型電気機関車と、 ちょろちょろ走り回っていた、入換用のディーゼル機関車です。 後年、通学に南武線を利用する時期がありましたが、牽引機がEF64に変わったとはいえ、
結構頻繁にこの石灰石輸送貨物列車が運行されていたのは印象的でした。 コンパで遅くなった帰り、終電の10分ほど前に貨物列車が通過していくのを見送りながら、 「飛び乗り・つかまり立ち・飛び降りでいいから乗せてくれ〜」と何度思ったことでしょうか(笑)。 |



