|
今まで人生で最高にいい気分だったことは何回かあるが、最低に悪い気分のときのほうが圧倒的に多い。
いつも今が一番輝いているが^^!時としてふっとわれがわからなくなるときがあって、枠があるんだなとお気がつくようになった。いつのころかわからないけど^^。
星座の夢をよく見ていた。花火だったかも。赤い産道を通ってきたような記憶もあるようなないような。
枠があるのに気がついて、大事な人の顔を思い出す。で安心する。大好きだとおもう。で安心する。
その繰り返しだったような気がする。
俳句は中2の時米住敏先生に習ったのだが、氷魚という雑誌だったような。私の中1の時坪井民平先生が大好きで、本当に楽しかった。友達もみんな好きだった。おもちゃにされていたがそれがうれしかった。
でも、同級生と会うと隠れてしまうようなところがあったので、民平先生がまもってくれていた。
デモ民平先生は、日教組で急にがっこうをかわっていってしまった。
すごくショックで、中2になって暗くなった。勉強もクラブもやらなくなった。
米住先生は担任で、俳句を教えてくれて、575で、季語があるんが俳句だと知った。一番好きだった女子が、文部大臣賞になった。すごいとおもったが、自分は詩人になろうか作家になろうかなど考えて、本の中にこもった。
そのころはアーサーランサムのツバメ号とアマゾン号に乗ってイギリスの少年少女と遊んでいた^^。
中3のときは、渡辺基文先生で、若い英語の先生だった。嫌いな数学の先生。英語も理科も教えてくれた。中国は今にすごい国になるとか言っていた。で、数学が得意な丸山君と、国語だけが得意な私を立たせて、本物だとか言っていた。でも・・・実際はいやいや学校に行っていた。
で・・・坪井先生はその後割りと早くになくなられたのを結婚して、中津川市の瀬戸の里に勤めるようになって、病院に入院しておられるのをたまたま知って・・その後新聞に名前を見て知った。
米住先生とは瀬戸の里に勤めるのが決まったら、高校でコーラス部だった息子さんの潤さんと再会して、たまたまうつで休んだりして俳句を瀬戸の里の広報誌に載せたとこがきっかけで、あすなろ誌で指導を受けた。でも3年ほどして急になくなられた。癌だった。私のもって行ったジュウスがおいしいといっていたと後で奥様から聞いて悲しかった。
今子供が通っている大井第二小の校長先生は渡辺基文先生で、PTAの役員で再会してびっくりした。
本当に校長先生になるような人じゃなかったから^^。自分でも不思議だといっている。変な人だ。
本当は美術が好きだが理科が専攻で化石拾いが趣味。でも校長職は忙しいのでなかなか自由が利かないらしい。
先生のことを書くつもりじゃなかったがそうなってしまった。俳句は575と季語という枠があるから自由なのです。それをいいたかったんですが^^。縁って本当に不思議です。
|