えび助の多趣味なブログ

明けましておめでとうございます。

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万金丹

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今晩は、えび助です。日付変わって今日9月9日は重陽の節句(菊の節句)ですね。だからどうしたと言われればそれまでですが。
さて、気を取り直して今回も落語の記事です。今回紹介する落語は「万金丹」です。

                        あらすじ
江戸を食い詰めた梅吉と初五郎の二人連れ。
旅の道中で路銀が底をつき、水ばかり飲んで腹は大シケ、何を見ても食べ物に見えてしまうという餓死寸前の大ピンチ。
見つけた古寺に、地獄に仏とばかり転がり込む。
いざとなればタコの代わりくらいになるから、坊主でも食っちまおう、というひどい料簡。
中に入れてもらってやっと食い物にありつけると思ったら、精進物(しょうじんもの)の赤土と藁(わら)入り雑炊を食わされるが食べれる物では無い。
そんなこんなで何日か経って、同情した和尚の勧めで、先の当てもないことも有り出家して、梅坊、初坊と立派な名前を貰う。
早速仏道修行に励むが、経を読んでいる途中にここの坊主は金を持っている様だから、絞め殺してずらかっちまえ等と相談する有様。
何日か経ったある日、和尚が京都の本山に出張で、一月は帰れないという。
留守番を頼まれた梅と初、和尚から乱暴狼藉は相成らんと言われているのにも関わらずさあこの時とばかり、「それ酒だ」
「銭箱の鍵を壊しちまえ」「木魚で調子を取って都々逸でもやろうか」と云う有様。
そこへやって来たのが檀家の衆。
近在の大金持ち、万屋(よろずや)の金兵衛が死去したので「葬式をお願え申してェ」と言う。
和尚から葬式は山一つ超えた寺に頼む様に言われていたが、お布施で何とか肴に回るので万事引き受けてしまう。
悪い坊主があったもので、
香典目当てに金兵衛宅に乗り込んだ二人、さっそく怪しすぎる読経で煙にまく。
何とかかんとか経を読み終えて終わったはいいが、どうぞ戒名をいただきたいと言われて、さあ困った。
「何か字のあるものは」と探していると、和尚の部屋を掃除していてたまたま見つけた薬の効能書き。
「戒名は官許伊勢朝熊霊法万金丹だ、有難くお受けする様に。」
「この戒名はえらく四角いねぇ」「それは戒名の新型だ。」
「坊さま、こんな戒名聞いたことが無ぇよ」
「仏のニンに合ってるじゃねぇか。
棺の前で経を読むからカンキョ、
生きてるときは威勢がいいが死んだら浅ましくなるから、イセイアサマ、何時もより出す様に礼は宝によって出しなさいよで霊宝、仏様が万屋金兵衛だから万金。何? 屋根から転がり落ちて死んだ? それなら屋根から落っこったんの丹だ。立派な戒名じゃねえか」
「それじゃあ、但し白湯にて用うべしとあるのは何だね」
「この仏はお茶湯をあげるにゃ及ばねえ」
この噺の原話は延宝3(1675)年刊の笑話本「軽口曲手毬」
中の「文盲坊主戒名付る事」。
さらに遡ると安楽庵策伝の寛永5年(1628)刊の笑話本「醒睡笑」巻一の小咄「無智の僧」に似たような噺が有ります。
上方で旅の噺として落語化され、「鳥屋坊主」の題で演じられ、これが幕末か明治初期に東京に移植されたと言われています。

題名の「万金丹」とは目まい、癪、下痢や痛みなどの万病に効くとされる常備薬の事で落語の「ん廻し」にも出てきます。(写真参照)
元々、「丹」は中国で不老不死の霊薬を指し、丹薬の形状は練り薬ですが、「万金丹」は「仁丹」と共に例外的に丸薬で、わらべ唄などにも唄われ、悪童どもの「鼻くそ丸めて万金丹」という囃し言葉にもなっています。

意外と速く原稿が上がったのでまさかの2日連続更新になりました。
恐らく次回も落語の記事になると思いますが、そろそろ噺の紹介以外で他の事もしてみたいと思っている途中です。
現時点で色々考えているのでお楽しみに。と書いて置いて次回も噺の紹介になりそうです。
それでは皆さん、さようなら

後家殺し

 
 

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今晩は、えび助です。今回は予告通り落語の記事を書きます。今回紹介する落語は珍しい噺、「後家殺し」です。

                   あらすじ
浄瑠璃を熱心に稽古している職人の常吉の元に友達がやってくる。
お上さんがいない事を確認すると、常吉と伊勢屋の後家さんが良い関係に成っていると聞いて常吉は職人で相手は大店の後家さんなので不思議に思って話を聞きに来たという。

そこで常吉は話を始める。
三年前のある日、伊勢屋の使いに浄瑠璃を演ってくれといわれ、こっちも好きだからと了承し掛けるが聞くと場所が伊勢屋。
ここの亡くなった旦那と云うのが大変浄瑠璃が上手かったと評判だったので、常吉は荷が重いからと一旦は断るが渋々了承して日が暮れてから伊勢屋へ。

舞台から客席を除くと、年頃は27,8の誠に良い女が熱心に聴いている。聞くと伊勢屋の後家さん。
こんな綺麗な人の前で演るのかと急に緊張するが何とか落ち着いて「平太郎住家」を語り出すが客があまりに熱心に聴いて居るし、後家さんも体を揺らしながら聴いているので段々調子に乗って来て無事に語り終わる。

明くる日伊勢屋から手紙が来て三味線の方とお二人でおいで下さい」と手紙が来た。
幸い三味線の芳蔵が空いていたので二人で伊勢屋へ。
客は16、7人程で太閤記の十段目で俗に言う「太十」。
語り終わって軽く酒をやってから家に帰る。
明くる日、仕事をしているとまた伊勢屋から手紙が来るが「今度はあなた様お一人でおいで願います。」と書いてあったので支度をして伊勢屋へ向かった。
中へ入ると六畳の座敷へ案内され今晩も義太夫を語るのかなと思いきや
「二晩続けてお骨折りを頂いて有難うございます。そのお礼の印ですからどうぞ召し上がり下さい」と言われたので遠慮無く呼ばれる。
後家さんと何回かやったり取ったり、後家さんの方は眼の淵が桜色。

酒を飲み過ぎたせいか頭が痛くなったと言うと憚りに案内されてから部屋で横になる。
暫くすると贅沢な長襦袢姿の後家さんが登場。
常吉は「自分は吹けば飛ぶ様な職人でましてや女房も子もあるので、どういう思し召しでここへ来なさったのですか」と尋ねると、
後家さん長襦袢の袖を口で咥えて常吉の方をじっと見ながら「私は旦那様が亡くなって
三年経ちますが、ずっと後家を立てるつもりでしたが、あなた様の義太夫を聴いて、旦那様の事を思い出してしまい、忘れようと思っても忘れられません。
不憫と思ってどうぞ私のお世話を願います。例え月に一度でも良いからどうぞ起こし下さい」と言われた。                
 
常さんはコソコソ隠れてするのが嫌いな性分なので、 家に帰って堂々とかみさんに打ち明けると、
「決してうれしいことではないが、私を追い出すというのでさえなければ、おまえさんがほかに変な女に引っ掛かって金を使われるよりはいいし、女房として嬉しい事では無いが折角言ってくれたんだから良いだろう」と云う事でかみさんも認めてくれた。

そんな訳で、本宅と伊勢屋に一日交代で泊まり、向こうも心得たもので、月々にはちゃんと金も届けて寄こすし、働かなくても楽に暮らせるという、うらやましいご身分。
この話を一通り聞いた友達は、あの後家さんは、もうとうにおまえに飽きが来て、荒井屋という料理屋の板前で喜助という男とできている。と吹き込んだ。
喜助は女殺しの異名を取り、小粋ないい男。
常吉の心が穏やかで無い。
疑心暗鬼にかられた常吉は、色々と考えた末に、ついにある夜、出刃包丁を持って伊勢屋に踏み込み、酒の勢いも借りて
「よくもてめえはオレの顔に泥を塗りゃあがったなッ」
後家さんの言い訳も聞かばこそ、馬乗りになると、出刃でめった突きにしてなます斬りにしてしまった。
あとで、その話はまったくの作り話と知れ、後悔したがもう遅い。
お白州へ引き出された常吉は奉行に「その方、去る二月二十四日、伊勢屋の後家芳なる者を殺害いたし、重々不届きにより、重き科にも行うべきところ、お慈悲をもって打ち首を申し付ける。ありがたくお受けいたせ」
と打ち首と決まった。

奉行が、いまわの際に一つだけ願いをかなえてつかわすというので、常吉は義太夫で「後に残りし女房子が、打ち首とォ聞くゥなァらばァ、
さそこなげかァーん、ふびんやーとォー」
それを聴いた奉行、ぽんと膝をたたいて「よっ、後家殺しッ」
 
 
この噺は上方落語で戦後大阪の二代目桂三木助からの直伝で、六代目三遊亭円生が東京に移植して演じていました。
噺の中で義太夫を語るシーンが出て来る為、義太夫の素養が無ければ出来ない演目でプロの太夫だった圓生師匠ならではの演目と言えます。
YouTubeの方に圓生師匠の動画が上がっているので良ければご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=GOxrGuRsbEQ&feature=youtube_gdata_player

今回は珍しい演目なので、記事に起こすのが少し大変でしたが何とか出来ました。
次はいつ更新できるか自分でも分かりませんが、出来るだけ速く更新したいですね。
それでは皆さん、さようなら。

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今晩は、えび助です。今回は9月1日、2日に自分は何をしていたかについて書きます。つまりは近況報告です。
最初に書いておきますが、この記事を読んで「受験生のくせにちゃんと勉強しろ!」等と思わない様にお願い致します。
先ずは9月1日。夕方から毎年恒例の「彦八まつり」に行っておりました。

簡単に説明すると「上方落語の始祖」と言われる米沢彦八の功績を称え、上方落語の伝統を身近な人々に広くアピールする目的から、1990の生国魂神社での「彦八の碑」(写真参照)の建立を機に、1991年から毎年9月の第一土曜日と日曜日に開催されていて、今年で22回目の開催でした。落語ファンの感謝祭も兼ねています。
我がえび助ファミリーは数年前から毎年行っておりこの日も沢山のファンで賑わっておりました。
落語家の皆さんの模擬店や屋台も例年通り大盛況でした。
特に文枝一門が毎年出店している焼うどん、通称「文枝うどん」は絶品です。皆さんも来年行く機会が有りましたら食べてみて下さい。
初日の夜は落語家によるバンド演奏と阿波踊りがあり、夜まで相当盛り上がりました。

この日は夜の10時頃に帰って来てクタクタなまま寝ました。
疲れも余り取れぬまま翌日早く起きてある場所に出掛けました。
9月2日は毎年大阪の泉大津フェニックスで開催されている大規模なロックフェスティバルであるRUSH BALL 2012」に行って来ました。
舞洲スポーツアイランドにて1999年に第一回が行われ、その後2001年からは神戸に場所を変え、2005年からは会場を現在の会場である泉大津フェニックスへと移します。

毎年2万人前後の動員を記録しており、今年もチケットはソールドアウトでしたが偶々チケットが手に入ったので
眠たい目をこすりながら自分の家から大分遠い、乗った事の無い南海電車に乗って泉大津へ。
駅から少し歩いた所に会場へ向かうシャトルバス乗り場へ向かい、バスに乗って会場へ向かいます。

電車の中もバスの中もこの日を待ち望んだ人達で一杯でした。
10時半頃には会場に着いて、徐々に眠気も取れて来て、テンションも上がります。
オープニングアクトのWHITE ASHは見れませんでしたが二つあるステージのうちの一つであるATMCのトップバッターだったキドリキドリの途中から見れました。気になっていたバンドだったので見れて良かったです。
最初からとても熱いライブを見せてくれました。
それからどのバンドも暑さに負けない熱いライブを見せてくれました。

5時半頃のCzecho No Republikのライブを楽しんだ所で体力の限界が来てしまい、最後まで見てしまうと帰りが物凄く遅くなるので少し休憩してから帰りました。
それでも十分楽しめましたし、中々普段ライブに行く事も無かったので一日に沢山のバンドのライブが見れて良い思い出になりました。
本当だったらもっと詳しく書いても良いのですが、長くなるのでこれぐらいにして置きます。
下記のホームページを見ていただくとその日出ていたアーティストや当日のライブレポート、セットリスト等が見れるので良かったらそちらをどうぞ。

http://www.rushball.com/


夏の間は勉強もしつつ、色々と楽しめたので良かったです。
ここからが受験生にとっては大事に成ってくるので、頑張っていきたいですね。

さて、次回は落語の記事を書く予定です。お楽しみに。
それでは皆さん、さようなら。

三方一両損

イメージ 1今晩は、夜分遅くにえび助です。もうすぐ9月になりますが皆さん如何お過ごしでしょうか。
今回は落語の記事を書きます。今回紹介する落語は「三方一両損」です。

                            あらすじ
 
江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」といわれた時代の噺。
神田の白壁町に住む左官の金太郎。
ある日柳原で書付けと印形と三両入った財布を拾います。面倒な事になったと思いながらも、書付けにある神田竪大工町の大工の吉五郎に届けようと長屋にやって来る。
吉五郎の家に着いて様子がどうなっているか障子に穴を開け中をのぞくといわしの塩焼きで一杯やっている。
中に入り拾った財布を受け取れと差し出すと、長五郎は余計なお節介をしやがって、こっちは財布を落としてさっぱりしたから一杯やってんだ!と言い書付けと印形は大事なものだからもらっておくが、落とした金は落とした時点でもう自分のものではないから受け取れないと言う。
終いに口論となり取っ組み合いの喧嘩になってしまう。
ドシン、バタンの大音で驚いた長屋の隣の者が大家を呼びに行く。
仲裁に来た大家は吉五郎に他人に親切に届けてくれた物は素直に受け取り、後で菓子折りでも持って礼に行くのが人の道なのに殴りかかるとは何事だと叱るが、「何だこの、くそったれ大家!」と啖呵を切る。
呆れた大家はこういう奴だからもしもの時は南町奉行の大岡越前守に訴えて白州の砂の上で謝らせるからと、金太郎を引上げさせる。

いつもと様子が違う事を気付いた大家は金太郎を呼び止め話を聞くがそれでは先方の大家が訴える前にこっちから訴えてやれとお恐れながらと願書をしたため南町奉行所へ。

二人に南町奉行所から呼び出しがかかり大岡越前の調べが始まる。
二人から事の仔細を聞いた越前、二人がどうしても受け取れないという三両を預るといい、改めて両人に正直の褒美として二両づつ与えると言う。
越前はこれを三方一両損の調べだといい、金太郎が届けた金を受け取れば吉五郎に三両入り、吉五郎がいらないと言った金を金太郎がもらっておけば金太郎に三両入る。そして越前がその金を預ったままでいればこれも三両だが、一両たして二人に二両づつの褒美として与えたことにより、三人とも一両づつ損をしたという勘定になるという事になる。

全員ありがたいお調べと納得すると、両人空腹を覚えただろうとお膳が出てくる。鯛の塩焼きに真っ白い炊き立てのご飯だ。
二人ともたいそうなご馳走に舌鼓を打ち食べ始める。腹が減ったらちょくちょく喧嘩をしてまたここに来ようなんて調子のいいことまで言う始末。
二人の食べっぷりを見ていた大岡越前守「これこれ。両人空腹じゃからとて余りたんと食すなよ。
それを聞いた吉五郎「多かあ(大岡)食わねえ」
金太郎「たった一膳(越前)」

 講釈根多の「大岡政談」に出てくる一つのエピソードを落語に取り入れたのがこの噺のようですが調べてみると『続近世畸人伝』という書物に似たような噺があるようです。(こちらは奉行が板倉伊賀守勝重)
詳しくは此方のホームページをご覧下さい。
http://ginjo.fc2web.com/37sanbouitiryozon/sanbou.htm

考えてみれば色々とおかしな点は有りますが江戸っ子気質が良く現れた良い噺だと思います。

最近落語の記事の割合が増えてきていますがこれからもどんどん噺を紹介していきたいと思います。
次回の落語の記事は少し珍しい噺を紹介する予定なのでお楽しみに。

それでは、皆さんさようなら。

船弁慶

イメージ 1今晩は、えび助です。
残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑い日は続くようですが皆さん、如何お過ごしでしょうか。今回は落語の記事を書きます。

今回紹介する落語は少し時期が遅いかも知れませんが夏に相応しい噺、「船弁慶」です。

      あらすじ
夏の暑い時分のお噺。
喜六が家で一人で留守番していると友達の清八が「我か俺かの友達で大川に船遊びに行こう」と誘われる。
一人三円の割前と聞くと迷いながらも清水の舞台に飛び降りるつもりで行かないと喜六は言い出す。
それを聞いた清八は喜六の事を散々侮辱するが、良く理由を聞くといつも人の金で奢ってもらっているので芸妓や舞妓は喜六と呼ばず「弁慶さん、弁慶さん」と呼ぶ。中には弁慶をひっくり返して「ケベンさん」と呼ぶ人もいるという。これでは三円の割前が死に金に成るという喜六。
清八はもし、「弁慶さん」等と呼ばれたら喜六の割前は俺が出すと言って
喜六を連れ出そうとするが、その時に帰って来たのが喜六の女房であるお松さん。このお松さん、「雷のお松」や「雀のお松」と近所でも評判の女。
声を聞くなり二人は驚くが、清八が何とかお松を説得して二人は大川で向かう。

大川へ向かう途中に喜六が
「お松が焼き豆腐を買ってくるように言われて家を出たものの,こともあろうに一度目は葱、二度目は蒟蒻と二度も違うものを買ってしまう。喜六はもう一度買いに行こうとするがお松は猫撫で声で「ああ、御苦労はん。ちょっとあんさんに話あるよってこっちおいはなれ。」と言うなり喜六を引っ立てると井戸端に引きずって行く。怖がってしまった喜六は「なにするねん。」と叫ぶが、お松は怒り心頭。
「何いうてねん。人がちょっと甘い顔したらつけ上がりくさって、ど性骨入れ替えてるんじゃ。」と井戸の水を頭からザボ…。喜六が「嬶、冷たいわい!」というと、「冷たいンならこないたる。こっち来さらせ。」今度は縁側に引きずっていかれ、大量のお灸をすえられて「熱いわい!」「熱いならこないしたる!」と、また井戸水…。これを何度も繰り返され、熱いと冷たいで焼き豆腐を思い出した」という話をすると流石の清八も驚き、全く関係無い氷屋までついてくる始末。
そうこうしている間に二人は大川に到着。喜六と清八は遊山船に乗り込む。周囲の人が喜六の事を「弁慶」と言おうとするが、清八が口止めしたためとりあえず清八が喜六の割前を払う事は無い。芸妓や舞妓と飲めや歌えの大騒ぎで喜六も上機嫌。

一方のお松は近所のお上さんと一緒に難波橋に夕涼みにやってくる。
すると、あるお上さんが喜六と清八が船遊びをしているのを見つける。
騙された事を知ったお松は早速喜六達の船へ。
「あんた!ここで何をしてはんねん」とお松が大きな声を出した瞬間、喜六はギクリとするが友達の手前もあるし、何せ酒が入っているのでお松をドンと突くとお松さんは川の中へドボン。
幸い水は腰程の深さしか無いがお松は髪はザンバラ。顔は真っ青。
丁度流れて来た竹を持つと「そもそもーこれーはー、平知盛ー幽霊なり…」と狂い出す。
周囲が呆然とする中、芸者から手ぬぐいを借りると、それで数珠を作って祈り出す。

「その時喜六は少しも騒がず、数珠をさらさら押し揉んで。東方大威徳・・・」と「船弁慶」の知盛と弁慶の俄を始める。

これを橋の上でみていたある二人組。「もうし、あれ何だすねん。喧嘩でもやってんのかいな。」
「知らんのかいな。弁慶やってんのが幇間。川ン中立ってのが仲居でんな。『船弁慶』の俄やってのや。こら褒めたらなあきまへんで。」
「ああ、そうでっか。ようよう、川の知盛はんも秀逸なら、船の上の弁慶はんも秀逸。よう!よう!船の上の弁慶はん!弁慶はん!」

それを聞いた喜六は「何ィ!弁慶やと。今日は三分の割り前じゃい!」

この噺は上方種で東京で演じられることは殆どありません。

古くは五代目の笑福亭松鶴の得意ネタで最近では五代目桂文枝、二代目桂枝雀などが得意としていました。
今でも色々な噺家さんが手掛けています。

如何だったでしょうか。もっと速く紹介するべきでしたが遅くなってしまいました。
余りこのブログで夏の噺を紹介出来ていませんが今後も色々と落語の記事を書いていきたいと思いますのでお楽しみに。


それでは、皆さんさようなら。

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