えび助の多趣味なブログ

明けましておめでとうございます。

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黄金餅

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今晩は、えび助です。二日連続の更新と成りました。
今回も落語の記事を書きます。
ここ最近は殆どが落語の記事なので「たまには違う記事も書け!」と思っている方もいらっしゃるも知れませんがご容赦下さい。
因みに落語の記事は後一二回程続く予定でその次ぐらいかに今まで書いた事のないジャンルについて書こうとも思っていますし、長らく書いていない音楽記事も10月頃に書く予定で有ります。
このように計画は頭の中で整ってはいますがそれを実行する余裕が無いので意味が有りません。

前書きが長く成りましたが、そろそろ本題に入ります。
今回紹介する落語は「黄金餅」です。

あらすじ
下谷の山崎町の貧乏長屋にに寺を持たない念仏僧、いわゆる乞食坊主の西念が住んでいた。
この西念は 薬を買うのも嫌だというケチ。
ある時、西念が重い風邪をひいて体調を崩し、寝込んでしまったので隣りの部屋に住んでいる金山寺味噌売りの金兵衛が西念の様子を見に来た。

何か食べたい物はあるかと金兵衛が尋ねると、西念はあんころ餅を沢山食べたいという西念はケチだから勿論自分から金を出さないので仕方無しに金兵衛が大量のあんころ餅を購入して届けると、西念は「人のいる前でものを食うのは好きでない」と理由を付けて金兵衛を帰宅させる。

癪に触った金兵衛は、長屋の壁の穴から隣の西念の部屋を覗き見る。

一人になった西念がボロボロの胴巻きから取り出したのは、密かに蓄えてあった山ほどの二分金や一分銀。その小さな粒を、餅で一つずつくるんでは、口に入れて丸呑みし始めた。

金銀入りの餅をすべて呑み込み終えた西念は、苦しそうに呻き声をあげる。驚いた金兵衛は西念の部屋に飛び込み、餅を吐き出すように勧めるが、西念は決して口を開けず、そのまま息絶えってしまった。
何とか腹の中の大金を手に入れたいと思った金兵衛は焼き場へ西念の死体を持って行った時に腹の中の金だけふんだくってやろうと一計を案じる。

金兵衛はまず、大家のところへ行き、金の事は伝えずに、西念の死んだことを伝え、死に際に「自分は身寄りもないから金兵衛さんの菩提寺に弔ってほしい」と頼まれた、と言う。

それを聞いた大家さんは早速、長屋の連中に招集を掛け、葬式の段取りになり、線香を挙げる。

長屋総出の葬列と成り、早桶代わりの菜漬けの樽を、今月と来月の月番が担ぐ事になった。

「金さん、菩提寺はどこだい」             
 
  「ええ、麻布絶口釜無村の木蓮寺」
 「それは遠いな。明日の朝にしよう」

と言う大家をうまく説得して、今夜中に行くことになる。長屋の連中の葬列がはじまった。中には「わっしょい、わっしょい」なんて掛け声まで出て来る有様。

わあわあ言いながら、下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下へ出て、三枚橋から上野広小路へ出まして、御成街道から五軒町へ出まして、そのころ堀様と鳥居様というお屋敷の前を真っ直ぐに、筋違御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出まして、新石町から鍛治町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町から室町へ出まして、日本橋を渡りまして、通四丁目から中橋へ出まして、南伝馬町から京橋を渡ってまっすぐに、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新し橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、神谷町から飯倉六丁目へ出まして、坂をあがって飯倉片町、その頃おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂をおりまして、十番へ出まして、大黒坂をあがって一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に来た時にはずいぶん皆くたびれた。

さて、木蓮寺に着いたのは良いがこの寺が汚いお寺で、犬が出入りしている所が入口で、肝心の衣が無いから麻の大きな風呂敷で代用。本堂には阿弥陀様から何から売っちゃったので何も無い。音のする物が無いから、お茶の缶で代用。こんな様子だから経も適当。そんなこんなで葬式が無事終了。

金兵衛は、葬儀の出席者である長屋の住人や家主と別れ、西念の遺体を入れた棺桶の代わりの樽を荷車で火葬場へ運ぶ。

火葬場に着いた金兵衛。

「今は夜も大分更けているから翌朝に火葬する」と言う隠亡(火葬場の作業員)を脅迫して即座に火葬させる、しかも「腹は生焼けにしろ」と強く念を押す。

翌朝、金兵衛は焼けた西念の遺体を受け取りに行く。隠亡を無理に追い払い、遺体の生焼けの腹部を棒で掻き回して中を探ると、予想通り胃の中には損傷を免れた大量の金銀が入っていた。

金が手に入れば遺体に用はない。戸惑う隠亡と生焼けの遺体を残し、金兵衛は火葬場から嬉々として立ち去る。

金兵衛はこの金を持って目黒に餅店を開き、大層繁盛したと云う江戸の名物「黄金餅」の由来の一席。

この噺は数ある落語の中でもかなりダークですが、それを五代目古今亭志ん生師匠が言い立ての道中等を入れて爆笑落語に仕立てました。

下谷の山崎町は、今の上野駅と鶯谷駅の間あたりで、明治になって「万年町」と名前が変わりましたが凄まじく貧乏な町だったそうです。
一方の麻布も江戸の外れで当時の人は行きたがらない所だった様です。

主な演者はこの噺を爆笑噺に仕上げた志ん生師匠を始め、三代目古今亭志ん朝師匠や七代目立川談志家元で、上方では桂文太さんが「よもぎ餅」と云う題で場所を大阪に置き換えて演じています。

次回も恐らく落語の記事ですが、うちのブログで初めての芝居噺を取り上げようと思っているのでお楽しみに。

それでは皆さん、さようなら。
 
(注釈 画像の黄金餅と噺の中に出てくる黄金餅はたぶん関係がありませんのでご注意ください)

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無精の代参

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今晩は、えび助です。少し間が空いてしまいました。体育祭に模試にその他諸々と何かと忙しかったのですがなんとか余裕ができたので更新します。

さて、今回も落語の記事です。
今回紹介する落語は「無精の代参」です。

あらすじ
不精な男の家に朝早くから近所のある男がやって来る。

この無精な男と云うのがとんでもなく無精で男が来ても布団に入りっ放し。理由を聞くと、昨日の朝、起きようと布団から出ようとしたが、足の親指に服のほつれが引っかかり、それを取るのが邪魔臭いからとずっとこの態勢のまま。同じ着物をずっと来ていて、風呂も長い間行かず。挙げ句の果てには洗濯と云うものが何かを知らない、正に無精の中の無精。

そんな無精男にある男は「能勢の妙見さんに月詣りに行ってんねんやが、どうしても用があって行かれへん。お前やったら体が空いてると思って来たんやが、代わりに参ってくれへんか。」と頼む。

無精の男は「断んのじゃまくさいから行きまひょか。」ということで、賽銭、蝋燭代、弁当一式を用意してもらうが、何せ不精者だからそれを懐に入れるのが面倒なので、首に括りつけてもらう。

準備は整いさあ出発となるが、やはり不精者の事なので自分から歩き出そうとしない。

「あんた、行けるようにしとくんなはれ。」「どないするねん。」「能勢の妙見はんとこ指してトーンと突いとくんなはれ。」と思い切り突かれて、そのまま男は能勢の妙見宮へ向かう。

ブツブツぼやきながら三国、岡町と過ぎて暫くするとお題目が聞こえて来た。

「お。題目の声聞こえてきたな。でも坂道でだんだん勢い弱なってきた。こら、止まってまうがな。足に力いれなあかん。あ、今度は止まらんようによってきた。こらあかん。」と参詣客に当たってしまう。

「もし、何しなはんねん。人に当たってきて。」「えらいすんまへん。あんたに当たらんかったら、すんでのとこで賽銭箱に当たるとこやった。ついでに頼みあんのやけど」と、首にっくてある賽銭と蝋燭代を出してもらい、代参の代参をしてもらった後、

「ほな、もと来た方へ向き変えて、トーンと突いておくんなはれ。大阪の丼池に着くぐらいの強さで頼んます。」というが、相手も流石に怒って強く押してしまったから、「うわ〜。むちゃくちゃ突きよった。」一間ほど跳びあがりながら坂を下って行く。「こら、大阪まで行くどころの話しやない。堺から和歌山、通り越して海はまってしまいよる。」と慌てていると、はずみで首に括ってある弁当が前に回ってきて邪魔になってきた。

すると向こうの方から大きな口をあけた男が坂を上がってくる。

「あれ。大きな口あけて登ってきよったで。腹減ってんねんやろか。あいつに食わしたろ。お〜い。下から口あけて登ってくるやつ〜。」 

「わしか〜い。」

「腹減ってんねんやろ。わしの弁当やるから食べてくれ〜。」

「そんなもん、食うのじゃまくさいわい。」

「何や。わしと同じこと言うとるで。腹減ってんのと違うんかい。何で口開けてんねん。」

「笠の紐ゆるんでんので、顎でとめてんねん」

この噺は「能勢の妙見さん」がどんな所かを分かっておいた方が良いと思うので簡単に説明を。

大阪府北西部と兵庫県の境にある妙見山頂に能勢の妙見さん」こと能勢妙見宮、正式名称 無漏山真如寺境外能勢妙見宮が有ります。行基により開かれた古刹で、一時衰微していましたが17世紀初めに身延山の日乾上人によって再興、今妙見大菩薩を本尊とする関西随一の日蓮宗の霊場となり、「日本三大妙見」の一つです。

今でも沢山の参拝者で賑わっていて、関西ローカルの番組でもしばしば取り上げられます。
詳しくは下記のホームページをご覧下い。
http://www.myoken.org/menu.html


「能勢の妙見さん」のある豊能郡能勢町は大阪のどちらかと云うと郊外に有るので、いざ行こうと思うと遠いのですが是非行楽シーズンである秋口に足をお運び下さい。



そろそろ落語の記事で自分の意見も書きたいと思うのですが、受験生なので忙しい、紹介したい噺は3つぐらいは有る、自分の意見を纏めるのに恐らく時間が掛かる等様々な理由で、ほぼ不可能な気がしています。

そんな事よりまずは勉強なので、受験が無事に終われば、色々な記事が書けると思います。

これからどんどん忙しくなる予定ですが、それでも月二、三回は更新しようと思っています。

今は季節の変わり目ですので体調管理には充分お気を付け下さいませ。

それでは皆さん、さようなら。

万金丹

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今晩は、えび助です。日付変わって今日9月9日は重陽の節句(菊の節句)ですね。だからどうしたと言われればそれまでですが。
さて、気を取り直して今回も落語の記事です。今回紹介する落語は「万金丹」です。

                        あらすじ
江戸を食い詰めた梅吉と初五郎の二人連れ。
旅の道中で路銀が底をつき、水ばかり飲んで腹は大シケ、何を見ても食べ物に見えてしまうという餓死寸前の大ピンチ。
見つけた古寺に、地獄に仏とばかり転がり込む。
いざとなればタコの代わりくらいになるから、坊主でも食っちまおう、というひどい料簡。
中に入れてもらってやっと食い物にありつけると思ったら、精進物(しょうじんもの)の赤土と藁(わら)入り雑炊を食わされるが食べれる物では無い。
そんなこんなで何日か経って、同情した和尚の勧めで、先の当てもないことも有り出家して、梅坊、初坊と立派な名前を貰う。
早速仏道修行に励むが、経を読んでいる途中にここの坊主は金を持っている様だから、絞め殺してずらかっちまえ等と相談する有様。
何日か経ったある日、和尚が京都の本山に出張で、一月は帰れないという。
留守番を頼まれた梅と初、和尚から乱暴狼藉は相成らんと言われているのにも関わらずさあこの時とばかり、「それ酒だ」
「銭箱の鍵を壊しちまえ」「木魚で調子を取って都々逸でもやろうか」と云う有様。
そこへやって来たのが檀家の衆。
近在の大金持ち、万屋(よろずや)の金兵衛が死去したので「葬式をお願え申してェ」と言う。
和尚から葬式は山一つ超えた寺に頼む様に言われていたが、お布施で何とか肴に回るので万事引き受けてしまう。
悪い坊主があったもので、
香典目当てに金兵衛宅に乗り込んだ二人、さっそく怪しすぎる読経で煙にまく。
何とかかんとか経を読み終えて終わったはいいが、どうぞ戒名をいただきたいと言われて、さあ困った。
「何か字のあるものは」と探していると、和尚の部屋を掃除していてたまたま見つけた薬の効能書き。
「戒名は官許伊勢朝熊霊法万金丹だ、有難くお受けする様に。」
「この戒名はえらく四角いねぇ」「それは戒名の新型だ。」
「坊さま、こんな戒名聞いたことが無ぇよ」
「仏のニンに合ってるじゃねぇか。
棺の前で経を読むからカンキョ、
生きてるときは威勢がいいが死んだら浅ましくなるから、イセイアサマ、何時もより出す様に礼は宝によって出しなさいよで霊宝、仏様が万屋金兵衛だから万金。何? 屋根から転がり落ちて死んだ? それなら屋根から落っこったんの丹だ。立派な戒名じゃねえか」
「それじゃあ、但し白湯にて用うべしとあるのは何だね」
「この仏はお茶湯をあげるにゃ及ばねえ」
この噺の原話は延宝3(1675)年刊の笑話本「軽口曲手毬」
中の「文盲坊主戒名付る事」。
さらに遡ると安楽庵策伝の寛永5年(1628)刊の笑話本「醒睡笑」巻一の小咄「無智の僧」に似たような噺が有ります。
上方で旅の噺として落語化され、「鳥屋坊主」の題で演じられ、これが幕末か明治初期に東京に移植されたと言われています。

題名の「万金丹」とは目まい、癪、下痢や痛みなどの万病に効くとされる常備薬の事で落語の「ん廻し」にも出てきます。(写真参照)
元々、「丹」は中国で不老不死の霊薬を指し、丹薬の形状は練り薬ですが、「万金丹」は「仁丹」と共に例外的に丸薬で、わらべ唄などにも唄われ、悪童どもの「鼻くそ丸めて万金丹」という囃し言葉にもなっています。

意外と速く原稿が上がったのでまさかの2日連続更新になりました。
恐らく次回も落語の記事になると思いますが、そろそろ噺の紹介以外で他の事もしてみたいと思っている途中です。
現時点で色々考えているのでお楽しみに。と書いて置いて次回も噺の紹介になりそうです。
それでは皆さん、さようなら

後家殺し

 
 

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今晩は、えび助です。今回は予告通り落語の記事を書きます。今回紹介する落語は珍しい噺、「後家殺し」です。

                   あらすじ
浄瑠璃を熱心に稽古している職人の常吉の元に友達がやってくる。
お上さんがいない事を確認すると、常吉と伊勢屋の後家さんが良い関係に成っていると聞いて常吉は職人で相手は大店の後家さんなので不思議に思って話を聞きに来たという。

そこで常吉は話を始める。
三年前のある日、伊勢屋の使いに浄瑠璃を演ってくれといわれ、こっちも好きだからと了承し掛けるが聞くと場所が伊勢屋。
ここの亡くなった旦那と云うのが大変浄瑠璃が上手かったと評判だったので、常吉は荷が重いからと一旦は断るが渋々了承して日が暮れてから伊勢屋へ。

舞台から客席を除くと、年頃は27,8の誠に良い女が熱心に聴いている。聞くと伊勢屋の後家さん。
こんな綺麗な人の前で演るのかと急に緊張するが何とか落ち着いて「平太郎住家」を語り出すが客があまりに熱心に聴いて居るし、後家さんも体を揺らしながら聴いているので段々調子に乗って来て無事に語り終わる。

明くる日伊勢屋から手紙が来て三味線の方とお二人でおいで下さい」と手紙が来た。
幸い三味線の芳蔵が空いていたので二人で伊勢屋へ。
客は16、7人程で太閤記の十段目で俗に言う「太十」。
語り終わって軽く酒をやってから家に帰る。
明くる日、仕事をしているとまた伊勢屋から手紙が来るが「今度はあなた様お一人でおいで願います。」と書いてあったので支度をして伊勢屋へ向かった。
中へ入ると六畳の座敷へ案内され今晩も義太夫を語るのかなと思いきや
「二晩続けてお骨折りを頂いて有難うございます。そのお礼の印ですからどうぞ召し上がり下さい」と言われたので遠慮無く呼ばれる。
後家さんと何回かやったり取ったり、後家さんの方は眼の淵が桜色。

酒を飲み過ぎたせいか頭が痛くなったと言うと憚りに案内されてから部屋で横になる。
暫くすると贅沢な長襦袢姿の後家さんが登場。
常吉は「自分は吹けば飛ぶ様な職人でましてや女房も子もあるので、どういう思し召しでここへ来なさったのですか」と尋ねると、
後家さん長襦袢の袖を口で咥えて常吉の方をじっと見ながら「私は旦那様が亡くなって
三年経ちますが、ずっと後家を立てるつもりでしたが、あなた様の義太夫を聴いて、旦那様の事を思い出してしまい、忘れようと思っても忘れられません。
不憫と思ってどうぞ私のお世話を願います。例え月に一度でも良いからどうぞ起こし下さい」と言われた。                
 
常さんはコソコソ隠れてするのが嫌いな性分なので、 家に帰って堂々とかみさんに打ち明けると、
「決してうれしいことではないが、私を追い出すというのでさえなければ、おまえさんがほかに変な女に引っ掛かって金を使われるよりはいいし、女房として嬉しい事では無いが折角言ってくれたんだから良いだろう」と云う事でかみさんも認めてくれた。

そんな訳で、本宅と伊勢屋に一日交代で泊まり、向こうも心得たもので、月々にはちゃんと金も届けて寄こすし、働かなくても楽に暮らせるという、うらやましいご身分。
この話を一通り聞いた友達は、あの後家さんは、もうとうにおまえに飽きが来て、荒井屋という料理屋の板前で喜助という男とできている。と吹き込んだ。
喜助は女殺しの異名を取り、小粋ないい男。
常吉の心が穏やかで無い。
疑心暗鬼にかられた常吉は、色々と考えた末に、ついにある夜、出刃包丁を持って伊勢屋に踏み込み、酒の勢いも借りて
「よくもてめえはオレの顔に泥を塗りゃあがったなッ」
後家さんの言い訳も聞かばこそ、馬乗りになると、出刃でめった突きにしてなます斬りにしてしまった。
あとで、その話はまったくの作り話と知れ、後悔したがもう遅い。
お白州へ引き出された常吉は奉行に「その方、去る二月二十四日、伊勢屋の後家芳なる者を殺害いたし、重々不届きにより、重き科にも行うべきところ、お慈悲をもって打ち首を申し付ける。ありがたくお受けいたせ」
と打ち首と決まった。

奉行が、いまわの際に一つだけ願いをかなえてつかわすというので、常吉は義太夫で「後に残りし女房子が、打ち首とォ聞くゥなァらばァ、
さそこなげかァーん、ふびんやーとォー」
それを聴いた奉行、ぽんと膝をたたいて「よっ、後家殺しッ」
 
 
この噺は上方落語で戦後大阪の二代目桂三木助からの直伝で、六代目三遊亭円生が東京に移植して演じていました。
噺の中で義太夫を語るシーンが出て来る為、義太夫の素養が無ければ出来ない演目でプロの太夫だった圓生師匠ならではの演目と言えます。
YouTubeの方に圓生師匠の動画が上がっているので良ければご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=GOxrGuRsbEQ&feature=youtube_gdata_player

今回は珍しい演目なので、記事に起こすのが少し大変でしたが何とか出来ました。
次はいつ更新できるか自分でも分かりませんが、出来るだけ速く更新したいですね。
それでは皆さん、さようなら。

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今晩は、えび助です。今回は9月1日、2日に自分は何をしていたかについて書きます。つまりは近況報告です。
最初に書いておきますが、この記事を読んで「受験生のくせにちゃんと勉強しろ!」等と思わない様にお願い致します。
先ずは9月1日。夕方から毎年恒例の「彦八まつり」に行っておりました。

簡単に説明すると「上方落語の始祖」と言われる米沢彦八の功績を称え、上方落語の伝統を身近な人々に広くアピールする目的から、1990の生国魂神社での「彦八の碑」(写真参照)の建立を機に、1991年から毎年9月の第一土曜日と日曜日に開催されていて、今年で22回目の開催でした。落語ファンの感謝祭も兼ねています。
我がえび助ファミリーは数年前から毎年行っておりこの日も沢山のファンで賑わっておりました。
落語家の皆さんの模擬店や屋台も例年通り大盛況でした。
特に文枝一門が毎年出店している焼うどん、通称「文枝うどん」は絶品です。皆さんも来年行く機会が有りましたら食べてみて下さい。
初日の夜は落語家によるバンド演奏と阿波踊りがあり、夜まで相当盛り上がりました。

この日は夜の10時頃に帰って来てクタクタなまま寝ました。
疲れも余り取れぬまま翌日早く起きてある場所に出掛けました。
9月2日は毎年大阪の泉大津フェニックスで開催されている大規模なロックフェスティバルであるRUSH BALL 2012」に行って来ました。
舞洲スポーツアイランドにて1999年に第一回が行われ、その後2001年からは神戸に場所を変え、2005年からは会場を現在の会場である泉大津フェニックスへと移します。

毎年2万人前後の動員を記録しており、今年もチケットはソールドアウトでしたが偶々チケットが手に入ったので
眠たい目をこすりながら自分の家から大分遠い、乗った事の無い南海電車に乗って泉大津へ。
駅から少し歩いた所に会場へ向かうシャトルバス乗り場へ向かい、バスに乗って会場へ向かいます。

電車の中もバスの中もこの日を待ち望んだ人達で一杯でした。
10時半頃には会場に着いて、徐々に眠気も取れて来て、テンションも上がります。
オープニングアクトのWHITE ASHは見れませんでしたが二つあるステージのうちの一つであるATMCのトップバッターだったキドリキドリの途中から見れました。気になっていたバンドだったので見れて良かったです。
最初からとても熱いライブを見せてくれました。
それからどのバンドも暑さに負けない熱いライブを見せてくれました。

5時半頃のCzecho No Republikのライブを楽しんだ所で体力の限界が来てしまい、最後まで見てしまうと帰りが物凄く遅くなるので少し休憩してから帰りました。
それでも十分楽しめましたし、中々普段ライブに行く事も無かったので一日に沢山のバンドのライブが見れて良い思い出になりました。
本当だったらもっと詳しく書いても良いのですが、長くなるのでこれぐらいにして置きます。
下記のホームページを見ていただくとその日出ていたアーティストや当日のライブレポート、セットリスト等が見れるので良かったらそちらをどうぞ。

http://www.rushball.com/


夏の間は勉強もしつつ、色々と楽しめたので良かったです。
ここからが受験生にとっては大事に成ってくるので、頑張っていきたいですね。

さて、次回は落語の記事を書く予定です。お楽しみに。
それでは皆さん、さようなら。

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