|
今晩は、えび助です。約2ヶ月振りの更新と成りました。7月に入って、いよいよ夏本番ですが如何お過ごしでしょうか。今回は6月30日に久しぶりに落語会に行ってきたので、その記事を書きます。自分が行ったのは、神戸市兵庫区の柳原蛭子(ひるこ)神社で行われた「兵庫文都の会 やなぎはらYEBISU亭」です。 会の名前にも有るとおり今年3月に襲名した7代目月亭文都さんが前名の八天時代から続けている地域寄席です。 3月、6月、9月、12月の年4回行われている会ですが3月はお休み。文都を襲名してから始めてのYEBISU亭だったので行って来ました。八天時代からこの人の会には何回か行っているのですが、襲名してからは初めて聴くので楽しみにしながら会場へ。 会場の柳原蛭子神社は通称「柳原えびす」。JR兵庫駅から歩いてすぐの所に有ります。ここも1月には十日戎で賑わいます。 会場は所謂神社の参集殿。入口横には襲名を祝した幟が有りました。 中には60人ぐらい居たでしょうか。お客さんの平均年齢はやや高めでした。この会は地域寄席なので地元のお爺さんお婆さんらしき方が沢山居ましたね。開演時間に成り、二番太鼓が鳴り響いた後は襲名披露口上。左から司会で文都さんの一番弟子の天使さん、席亭のHさん、文都さん、柳原蛭子神社宮司のIさん、そして今回のゲストの桂きん太郎さんが座ります。 司会の天使さんが文都と云う名跡の紹介等をしてから、まずは文都さんと芸歴が1年しか変わらないと云うきん太郎さんから。文都さんは真面目だと云う話とか軽く思い出話をされていました。続いて席亭のHさん。これからも文都さんと柳原YEBISU亭を宜しくお願い致しますと短めのご挨拶。続いて宮司のIさん。この人のご挨拶が1番口上らしかったです。笑いも取っておられました。そして、文都さん本人からのご挨拶が有った後は大阪締め。 きん太郎さんが音頭を取ったのですが、普段落語会等で大阪締めをする時は大抵「大阪締めは「打ーちまひょ(打ーちましょっ)」パンパン「もひとつせ」 パンパン「祝うて三度」 パパン パン」と言って一回練習してからやります。しかし、最後の部分で3回叩く所をパパパンパンと4回叩く人が多いので大抵は念押しをするのですが、きん太郎さんはそこを念押しをしなかったので最後の部分で4回叩く人が続出でした。 文章で分かりにくいと云う方は大阪締めの動画を貼っておくのでそちらをご覧下さい。http://m.youtube.com/watch?v=8Dxavl1tvcQ 口上の後は天使さんの登場。この人は女流の噺家さんで芸歴4年目です。まくらで会場の入口横に物販コーナーが設置されていると云う宣伝をしてから、本題の「鷺とり」に入ります。 師匠の文都さんが得意にされているネタですが、この日はかなり言い間違いやつまづきが多かったです。 何回かこの人の高座を聴いていますが、一番危うかったかも知れません。大阪の七不思議の下りを聴けただけでも良かったですが。 続いては桂きん太郎さん。三遊亭白鳥さんが着ているジャージみたいなピンクの着物で登場。関西ではテレビタレントとしてお馴染みの桂きん枝さんの一番弟子です。 本人もまくらで言っていましたが、余り落語会に出演されていない方で、自分も初めてこの人の落語を聴きました。 10分程の他愛ないまくらから6代目桂文枝作の創作落語「鯛」へ。 この噺は6代目文枝さんの創作落語の中でも良く演じられている噺です。余り落語をしないと言っていた割には口調もしっかりとしていて良かったです。 トリはお待ちかね、八天改めて7代目文都さんの登場。まくらを殆ど振らず、この噺は初代の文都も得意にしていたと紹介して本題の「らくだ」へ。 この人の「らくだ」は一昨年に独演会で聴いて以来でしたが、前よりはテンポが良く、トントンと噺が進みます。屑屋さんがだんだんと酔っていく様子も良かったと思います。 屑屋さんが脳天の熊五郎がらくだの遺体を運ぶ途中に遺体を落としたと云う所で噺が終わりました。どうせなら下げまでやって欲しかったですが、満足の45分の高座でした。 最後に恒例となった抽選会が行われ、お開きと成りました。 次回は9月29日40回記念そして10周年記念の会と成ります。 久しぶりの落語レポートでしたが如何でしたでしょうか。もっと速く更新する予定でしたが遅くなってしまいました。大分暑い日が続いておりますので、熱中症にはくれぐれも気をつけてお過ごし下さい。 それでは皆さん、さようなら。 |
落語
[ リスト | 詳細 ]
|
今晩は、えび助です。今回もまたまた落語の記事です。今回紹介する落語は予告通りうちのブログで初めて紹介する芝居噺「蔵丁稚」です。
あらすじ 大阪の船場のあるお店に丁稚奉公をしている定吉。 この定吉が中々の芝居好きで朝10時に使いに行ったのにも関わらず店に戻って来たのが夕方の5時。 店に戻ると当然旦那の説教が始まる。 旦那は向かいの佐助が定吉が道頓堀界隈をうろうろしていたのを見たと言っていたのを何よりの証拠として突き出すが、定吉も負けずに心斎橋を歩いて居ると母親にばったりと会った。 聞くと俥引きの父親が去年の秋から足腰が立たずに寝たきりなので御百度を踏みに千日前のお不動さんに行くと言うので一緒に行っていたと、咄嗟に言い訳をするが旦那にあっさり嘘だとばれてしまう。 それでも引き下がる定吉はこの際だからと自分は芝居が嫌いだと言い出す。 中々食い下がらない定吉に対して旦那は一計を案じ、「そんなに嫌いなら、明日奉公人を残らず中座に連れていくが、お前は留守番をしてくれ」と言い渡すと定吉の様子がおかしくなってくる。 さらに旦那は、知り合いに聞いた所、今月の中座の芝居が忠臣蔵の通しで特に五段目の幕が評判。 何でも「山崎街道の場」に出てくる猪の前足を中村鴈治郎、後ろ足を片岡仁左衛門がやっていて大評判らしいと言うと途端に定吉は笑い出して、「無茶言うたら困ります。そんなんよそで言ったら笑われまっせ。 」 「しかし、向かいの佐助にちゃんと聞いて言うてますねんで。」 「何言うてまんねん。私 わたい現に今まで見てた!」 「ほうら、かかりよった。釜かけてやったらうっかり白状しやがったな。」 「しもたー。謀る謀ると思いしに、返って茶瓶に謀られた」 「何を言いくさる。誰が茶瓶や。今日と言う今日は勘弁でけん。仕置きをするからこっちへ来い!」
嫌がってる丁稚さんを捕まえてズルズルズルズルと引きずっていかれ三番蔵に閉じ込められてしまった。 最初は必死に抵抗する定吉だったが、だんだんさっきまで観ていた忠臣蔵四段目の真似事を始め出す。 「幕が開くというと塩谷判官館の場。上手に石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門の二人の上使。判官は黒紋付きで静かに座っている。 石堂から切腹を申し付けられた判官さん、シュッと着物を脱ぐというと下にはちゃんと死装束の用意が出来ている。 判官は家老の大星由良助が来るまではと待つが、なかなか現れず「力弥、力弥、由良助はまだか」 「未だ参上仕りませぬ」 「存命に対面せで、無念なと伝えよ。方々いざ、ご検分くだされ」と遂に九寸五分の短刀を腹に突き立てたときに由良助が駆けつける。
「御前!」
「由良助か」 「ハハッ」 「待ちかねたわやい」
ずっと芝居の真似事をしていた定吉も流石に空腹には勝てない。 芝居の事を考えていたら空腹も分からなくなるだろうと蔵の倉庫から旦那が浄瑠璃を語る時の肩衣と葬礼刺しを取り出し、目を向いて一人芝居の開演。 さて、この店の女子衆のお清どん。 「蔵の中で定吉はどうしとんかいな」と窓越しに除くと定吉が光る刀を振り回しているのが見えた。 これには流石に驚いたお清どん。 「旦さん!落ち着きなはれ!」「お前が落ち着かんかい。どうしたんや」 「蔵吉っとんが定の中で」「それはあっちゃこっちゃや。何!蔵の中で定吉が腹を切ってる!それは大変や」 びっくりした旦那。お腹が空いているに違いないとお櫃を小脇に抱え込んでバタバタバタバタ。 三番蔵に入ってお櫃を前に突き出すと「御前!」「蔵の内(内蔵助=由良之助)でか。」「ハハァ」「フゥ…。待ち兼ねた」 原話は1771年に出版された「千年草」の一遍である「忠信蔵」で上方で「蔵丁稚」として完成された演目が、明治以後になって東京に移植されました。上方では三代目桂米朝や桂枝雀、東京では八代目春風亭柳枝や二代目三遊亭円歌の音源が残っています。 記事にしてみて分かりましたが、芝居噺を粗筋に起こすのは結構大変でした。 さて、次回は前の記事では今まで書いた事の無いジャンルについて書くと予告しましたが、予定を変更して次は実に約四ヶ月ぶりとなる音楽の記事を書こうと思っていますのでお楽しみに。 それでは皆さん、さようなら。 |
|
今晩は、えび助です。二日連続の更新と成りました。
今回も落語の記事を書きます。
ここ最近は殆どが落語の記事なので「たまには違う記事も書け!」と思っている方もいらっしゃるも知れませんがご容赦下さい。
因みに落語の記事は後一二回程続く予定でその次ぐらいかに今まで書いた事のないジャンルについて書こうとも思っていますし、長らく書いていない音楽記事も10月頃に書く予定で有ります。 このように計画は頭の中で整ってはいますがそれを実行する余裕が無いので意味が有りません。 前書きが長く成りましたが、そろそろ本題に入ります。 今回紹介する落語は「黄金餅」です。 あらすじ 下谷の山崎町の貧乏長屋にに寺を持たない念仏僧、いわゆる乞食坊主の西念が住んでいた。 この西念は 薬を買うのも嫌だというケチ。 ある時、西念が重い風邪をひいて体調を崩し、寝込んでしまったので隣りの部屋に住んでいる金山寺味噌売りの金兵衛が西念の様子を見に来た。 何か食べたい物はあるかと金兵衛が尋ねると、西念はあんころ餅を沢山食べたいという西念はケチだから勿論自分から金を出さないので仕方無しに金兵衛が大量のあんころ餅を購入して届けると、西念は「人のいる前でものを食うのは好きでない」と理由を付けて金兵衛を帰宅させる。 癪に触った金兵衛は、長屋の壁の穴から隣の西念の部屋を覗き見る。 一人になった西念がボロボロの胴巻きから取り出したのは、密かに蓄えてあった山ほどの二分金や一分銀。その小さな粒を、餅で一つずつくるんでは、口に入れて丸呑みし始めた。 金銀入りの餅をすべて呑み込み終えた西念は、苦しそうに呻き声をあげる。驚いた金兵衛は西念の部屋に飛び込み、餅を吐き出すように勧めるが、西念は決して口を開けず、そのまま息絶えってしまった。 何とか腹の中の大金を手に入れたいと思った金兵衛は焼き場へ西念の死体を持って行った時に腹の中の金だけふんだくってやろうと一計を案じる。 金兵衛はまず、大家のところへ行き、金の事は伝えずに、西念の死んだことを伝え、死に際に「自分は身寄りもないから金兵衛さんの菩提寺に弔ってほしい」と頼まれた、と言う。 それを聞いた大家さんは早速、長屋の連中に招集を掛け、葬式の段取りになり、線香を挙げる。 長屋総出の葬列と成り、早桶代わりの菜漬けの樽を、今月と来月の月番が担ぐ事になった。 「金さん、菩提寺はどこだい」 「ええ、麻布絶口釜無村の木蓮寺」
「それは遠いな。明日の朝にしよう」
と言う大家をうまく説得して、今夜中に行くことになる。長屋の連中の葬列がはじまった。中には「わっしょい、わっしょい」なんて掛け声まで出て来る有様。 わあわあ言いながら、下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下へ出て、三枚橋から上野広小路へ出まして、御成街道から五軒町へ出まして、そのころ堀様と鳥居様というお屋敷の前を真っ直ぐに、筋違御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出まして、新石町から鍛治町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町から室町へ出まして、日本橋を渡りまして、通四丁目から中橋へ出まして、南伝馬町から京橋を渡ってまっすぐに、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新し橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、神谷町から飯倉六丁目へ出まして、坂をあがって飯倉片町、その頃おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂をおりまして、十番へ出まして、大黒坂をあがって一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に来た時にはずいぶん皆くたびれた。 さて、木蓮寺に着いたのは良いがこの寺が汚いお寺で、犬が出入りしている所が入口で、肝心の衣が無いから麻の大きな風呂敷で代用。本堂には阿弥陀様から何から売っちゃったので何も無い。音のする物が無いから、お茶の缶で代用。こんな様子だから経も適当。そんなこんなで葬式が無事終了。 金兵衛は、葬儀の出席者である長屋の住人や家主と別れ、西念の遺体を入れた棺桶の代わりの樽を荷車で火葬場へ運ぶ。 火葬場に着いた金兵衛。 「今は夜も大分更けているから翌朝に火葬する」と言う隠亡(火葬場の作業員)を脅迫して即座に火葬させる、しかも「腹は生焼けにしろ」と強く念を押す。 翌朝、金兵衛は焼けた西念の遺体を受け取りに行く。隠亡を無理に追い払い、遺体の生焼けの腹部を棒で掻き回して中を探ると、予想通り胃の中には損傷を免れた大量の金銀が入っていた。 金が手に入れば遺体に用はない。戸惑う隠亡と生焼けの遺体を残し、金兵衛は火葬場から嬉々として立ち去る。 金兵衛はこの金を持って目黒に餅店を開き、大層繁盛したと云う江戸の名物「黄金餅」の由来の一席。 この噺は数ある落語の中でもかなりダークですが、それを五代目古今亭志ん生師匠が言い立ての道中等を入れて爆笑落語に仕立てました。 下谷の山崎町は、今の上野駅と鶯谷駅の間あたりで、明治になって「万年町」と名前が変わりましたが凄まじく貧乏な町だったそうです。 一方の麻布も江戸の外れで当時の人は行きたがらない所だった様です。 主な演者はこの噺を爆笑噺に仕上げた志ん生師匠を始め、三代目古今亭志ん朝師匠や七代目立川談志家元で、上方では桂文太さんが「よもぎ餅」と云う題で場所を大阪に置き換えて演じています。 次回も恐らく落語の記事ですが、うちのブログで初めての芝居噺を取り上げようと思っているのでお楽しみに。 それでは皆さん、さようなら。 (注釈 画像の黄金餅と噺の中に出てくる黄金餅はたぶん関係がありませんのでご注意ください)
|
|
今晩は、えび助です。少し間が空いてしまいました。体育祭に模試にその他諸々と何かと忙しかったのですがなんとか余裕ができたので更新します。
さて、今回も落語の記事です。 今回紹介する落語は「無精の代参」です。 あらすじ 不精な男の家に朝早くから近所のある男がやって来る。 この無精な男と云うのがとんでもなく無精で男が来ても布団に入りっ放し。理由を聞くと、昨日の朝、起きようと布団から出ようとしたが、足の親指に服のほつれが引っかかり、それを取るのが邪魔臭いからとずっとこの態勢のまま。同じ着物をずっと来ていて、風呂も長い間行かず。挙げ句の果てには洗濯と云うものが何かを知らない、正に無精の中の無精。 そんな無精男にある男は「能勢の妙見さんに月詣りに行ってんねんやが、どうしても用があって行かれへん。お前やったら体が空いてると思って来たんやが、代わりに参ってくれへんか。」と頼む。 無精の男は「断んのじゃまくさいから行きまひょか。」ということで、賽銭、蝋燭代、弁当一式を用意してもらうが、何せ不精者だからそれを懐に入れるのが面倒なので、首に括りつけてもらう。 準備は整いさあ出発となるが、やはり不精者の事なので自分から歩き出そうとしない。 「あんた、行けるようにしとくんなはれ。」「どないするねん。」「能勢の妙見はんとこ指してトーンと突いとくんなはれ。」と思い切り突かれて、そのまま男は能勢の妙見宮へ向かう。 ブツブツぼやきながら三国、岡町と過ぎて暫くするとお題目が聞こえて来た。 「お。題目の声聞こえてきたな。でも坂道でだんだん勢い弱なってきた。こら、止まってまうがな。足に力いれなあかん。あ、今度は止まらんようによってきた。こらあかん。」と参詣客に当たってしまう。 「もし、何しなはんねん。人に当たってきて。」「えらいすんまへん。あんたに当たらんかったら、すんでのとこで賽銭箱に当たるとこやった。ついでに頼みあんのやけど」と、首にっくてある賽銭と蝋燭代を出してもらい、代参の代参をしてもらった後、 「ほな、もと来た方へ向き変えて、トーンと突いておくんなはれ。大阪の丼池に着くぐらいの強さで頼んます。」というが、相手も流石に怒って強く押してしまったから、「うわ〜。むちゃくちゃ突きよった。」一間ほど跳びあがりながら坂を下って行く。「こら、大阪まで行くどころの話しやない。堺から和歌山、通り越して海はまってしまいよる。」と慌てていると、はずみで首に括ってある弁当が前に回ってきて邪魔になってきた。 すると向こうの方から大きな口をあけた男が坂を上がってくる。 「あれ。大きな口あけて登ってきよったで。腹減ってんねんやろか。あいつに食わしたろ。お〜い。下から口あけて登ってくるやつ〜。」 「わしか〜い。」 「腹減ってんねんやろ。わしの弁当やるから食べてくれ〜。」 「そんなもん、食うのじゃまくさいわい。」 「何や。わしと同じこと言うとるで。腹減ってんのと違うんかい。何で口開けてんねん。」 「笠の紐ゆるんでんので、顎でとめてんねん」 この噺は「能勢の妙見さん」がどんな所かを分かっておいた方が良いと思うので簡単に説明を。 大阪府北西部と兵庫県の境にある妙見山頂に能勢の妙見さん」こと能勢妙見宮、正式名称 無漏山真如寺境外能勢妙見宮が有ります。行基により開かれた古刹で、一時衰微していましたが17世紀初めに身延山の日乾上人によって再興、今妙見大菩薩を本尊とする関西随一の日蓮宗の霊場となり、「日本三大妙見」の一つです。 今でも沢山の参拝者で賑わっていて、関西ローカルの番組でもしばしば取り上げられます。 詳しくは下記のホームページをご覧下い。 http://www.myoken.org/menu.html
「能勢の妙見さん」のある豊能郡能勢町は大阪のどちらかと云うと郊外に有るので、いざ行こうと思うと遠いのですが是非行楽シーズンである秋口に足をお運び下さい。 そろそろ落語の記事で自分の意見も書きたいと思うのですが、受験生なので忙しい、紹介したい噺は3つぐらいは有る、自分の意見を纏めるのに恐らく時間が掛かる等様々な理由で、ほぼ不可能な気がしています。 そんな事よりまずは勉強なので、受験が無事に終われば、色々な記事が書けると思います。 これからどんどん忙しくなる予定ですが、それでも月二、三回は更新しようと思っています。 今は季節の変わり目ですので体調管理には充分お気を付け下さいませ。 それでは皆さん、さようなら。 |
|
今晩は、えび助です。日付変わって今日9月9日は重陽の節句(菊の節句)ですね。だからどうしたと言われればそれまでですが。
さて、気を取り直して今回も落語の記事です。今回紹介する落語は「万金丹」です。 あらすじ 江戸を食い詰めた梅吉と初五郎の二人連れ。 旅の道中で路銀が底をつき、水ばかり飲んで腹は大シケ、何を見ても食べ物に見えてしまうという餓死寸前の大ピンチ。 見つけた古寺に、地獄に仏とばかり転がり込む。 いざとなればタコの代わりくらいになるから、坊主でも食っちまおう、というひどい料簡。 中に入れてもらってやっと食い物にありつけると思ったら、精進物(しょうじんもの)の赤土と藁(わら)入り雑炊を食わされるが食べれる物では無い。 そんなこんなで何日か経って、同情した和尚の勧めで、先の当てもないことも有り出家して、梅坊、初坊と立派な名前を貰う。 早速仏道修行に励むが、経を読んでいる途中にここの坊主は金を持っている様だから、絞め殺してずらかっちまえ等と相談する有様。 何日か経ったある日、和尚が京都の本山に出張で、一月は帰れないという。 留守番を頼まれた梅と初、和尚から乱暴狼藉は相成らんと言われているのにも関わらずさあこの時とばかり、「それ酒だ」 「銭箱の鍵を壊しちまえ」「木魚で調子を取って都々逸でもやろうか」と云う有様。
そこへやって来たのが檀家の衆。 近在の大金持ち、万屋(よろずや)の金兵衛が死去したので「葬式をお願え申してェ」と言う。 和尚から葬式は山一つ超えた寺に頼む様に言われていたが、お布施で何とか肴に回るので万事引き受けてしまう。 悪い坊主があったもので、 香典目当てに金兵衛宅に乗り込んだ二人、さっそく怪しすぎる読経で煙にまく。 何とかかんとか経を読み終えて終わったはいいが、どうぞ戒名をいただきたいと言われて、さあ困った。 「何か字のあるものは」と探していると、和尚の部屋を掃除していてたまたま見つけた薬の効能書き。 「戒名は官許伊勢朝熊霊法万金丹だ、有難くお受けする様に。」 「この戒名はえらく四角いねぇ」「それは戒名の新型だ。」 「坊さま、こんな戒名聞いたことが無ぇよ」 「仏のニンに合ってるじゃねぇか。 棺の前で経を読むからカンキョ、 生きてるときは威勢がいいが死んだら浅ましくなるから、イセイアサマ、何時もより出す様に礼は宝によって出しなさいよで霊宝、仏様が万屋金兵衛だから万金。何? 屋根から転がり落ちて死んだ? それなら屋根から落っこったんの丹だ。立派な戒名じゃねえか」 「それじゃあ、但し白湯にて用うべしとあるのは何だね」 「この仏はお茶湯をあげるにゃ及ばねえ」 この噺の原話は延宝3(1675)年刊の笑話本「軽口曲手毬」 中の「文盲坊主戒名付る事」。 さらに遡ると安楽庵策伝の寛永5年(1628)刊の笑話本「醒睡笑」巻一の小咄「無智の僧」に似たような噺が有ります。 上方で旅の噺として落語化され、「鳥屋坊主」の題で演じられ、これが幕末か明治初期に東京に移植されたと言われています。 題名の「万金丹」とは目まい、癪、下痢や痛みなどの万病に効くとされる常備薬の事で落語の「ん廻し」にも出てきます。(写真参照) 元々、「丹」は中国で不老不死の霊薬を指し、丹薬の形状は練り薬ですが、「万金丹」は「仁丹」と共に例外的に丸薬で、わらべ唄などにも唄われ、悪童どもの「鼻くそ丸めて万金丹」という囃し言葉にもなっています。 意外と速く原稿が上がったのでまさかの2日連続更新になりました。 恐らく次回も落語の記事になると思いますが、そろそろ噺の紹介以外で他の事もしてみたいと思っている途中です。 現時点で色々考えているのでお楽しみに。と書いて置いて次回も噺の紹介になりそうです。 それでは皆さん、さようなら。 |



