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自分を信じるときに使われる「信じる」って言葉
最近、この言葉が妄信のためや再考しないために使われている気がする。
「信じる」という言葉は”過程”に使われるべきなのに”結果”に使われてしまっている。
自分も含めて。
決断や判断を下すときに自分を「信じる」べきであって、一度決断や判断を下したら「受け入れる」なのだ。
もしその判断や決断が「受け入れ」きれないとか迷いがあるときは「疑う」べきなのであろうと思う。
むしろ、”過程”で「信じ」きれていれば、”結果”に「疑い」や迷いは生じないといっていいと思う。
自分を疑うことが良くないことのように考えられてしまっている。
しかし、この「疑う」という機能は、失敗したらもう一度やりなおしたり、考え直すために欠かせないのだ。
たしかに自分を信じることは必要ではあるけれど、残念ながら我々は過ちを犯す。
そんなに完璧じゃない。
だから迷いがあったら疑えばいい。
そのまま間違っているのに、正しいと「信じ」込んでいるよりずっといい。
迷いが解消されるまで迷えばいい。
最近の「自分を信じる」はただの頑固であると思った。
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non-noみたいに「疑い深い」人間はまだマシってことなのかも。
詳しいことはアメブロの記事に書きますが、non-noの疑い深さから原発反対に執念を燃やしている「原子力情報資料室」という過激な原発反対運動で有名な団体を知れてよかったと思う。
2011/4/7(木) 午後 4:48 [ マリーンズ応援団 ]
マリーンズ応援団くん
ここでは自分を信じるということであって、他の人に対する疑いはまた違うと思うよ。
ただ自分にしても他人にしても盲信はよくないと思うね。
2011/4/7(木) 午後 6:14
nonちゃん
そうね。ありがとう。
私自身が、「自分を信じる」と自分に言い聞かせることで、それが単に考えるのを放棄しているときがあるなーと思ってね。
2011/4/8(金) 午後 0:34