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名もなき詩/Mr.Children


歌詞付きがよかったんだけどなあ。

可能性を信じることができるというのも一つの才能だと思います。

足の引っ張りあい

どこぞを見ておりますと、

ほんとに足の引っ張り合いが大好きなんだな・・・

とほとほと愛想もつきるし、がっかりしますね。



支え合うという理想を抱いた果ての幻想のもとに、寄りかかり合って、

誰か一人が抜けたらよりかかれなくなるもんで

みんなでよってたかった足の引っ張り合い。


情けね。


そのくせ、自分が正しいこといってるつもりになって評価あがるだろうと思っちゃってて、自分の強欲優先かよって。




何年後?

例えば、いまつらい状況にいるときは20代だと仮定すると、20年後くらいの40代ぐらいのときに
「オレも若い頃はこういうことがあってさ」ってな感じで酒の肴にするイメージがあれば乗り越えやすいってな話を聞いたりする。


また学生さんなら、あと何年後には学生終わって、こんな感じで働いてるっていうイメージ持つと今何をやればいいかとかぐっと具体的になってくる気がする。

ほかにも、価値観とか方向性が自分とは違う人がこの人10年後とかどうなってるのかなあって、逆にそのとき自分もどうしてるんだろうなあって思いを馳せるとおもしろい。





最近、周りがちょいちょい結婚とかしだした。。。

一方で自分はまだまだ子供だな〜とよく思う。

あと5、6年後には30にもなるから結婚とかしてんのかと妄想したりする。

『大人』になったら結婚するってものでもなくて、そういう「儀式」を通して大人になっていくものでもあるんだろうけど・・・

結婚した友達のしっかりっぷりには打ちのめされた(笑)


信じると疑う

自分を信じるときに使われる「信じる」って言葉

最近、この言葉が妄信のためや再考しないために使われている気がする。



「信じる」という言葉は”過程”に使われるべきなのに”結果”に使われてしまっている。

自分も含めて。

決断や判断を下すときに自分を「信じる」べきであって、一度決断や判断を下したら「受け入れる」なのだ。

もしその判断や決断が「受け入れ」きれないとか迷いがあるときは「疑う」べきなのであろうと思う。

むしろ、”過程”で「信じ」きれていれば、”結果”に「疑い」や迷いは生じないといっていいと思う。



自分を疑うことが良くないことのように考えられてしまっている。

しかし、この「疑う」という機能は、失敗したらもう一度やりなおしたり、考え直すために欠かせないのだ。

たしかに自分を信じることは必要ではあるけれど、残念ながら我々は過ちを犯す。

そんなに完璧じゃない。

だから迷いがあったら疑えばいい。

そのまま間違っているのに、正しいと「信じ」込んでいるよりずっといい。

迷いが解消されるまで迷えばいい。


最近の「自分を信じる」はただの頑固であると思った。


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