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地震、震災の第一報はなんと、携帯に飛んで来るようにしているFBのメッセージからでした。
しかも、最後に会ったのは15年前くらいのいとこ。
(「見つけてくれてありがとう!」との言葉に「前からFBで見ていたけどね」との答え。むむむ。ここらへんがなんか。。。)
すぐさま、東京の実家に電話をかける。
運良くすぐ繋がり、東京は無事、郡山の叔母一家は、家の建物はまあ無事ではあったものの、瓦が落ちたり家財がめちゃくちゃになったりで、余震もあるので目の前の畑に出ている、と。
その電話の最中もCNNの中継を見る。
これは、何を映しているんだ?と自分の見ているものが理解出来ない状況。
9.11の時と同じ。
理解するのに時間がかかる。
翌朝から、メキシコ国内方々の友人、知人たちから電話やメッセージがつぎつぎと舞い込む。
「お前の家族、友達は無事なのか?今後、これ以上なにかあったらすぐにメキシコに呼び寄せろ」と、お祈りの言葉とともに。
その都度、「自分の周辺は大丈夫。でもそれで喜べないのよ」と伝える。
数日間、USTREAMの映像を画面に出しながら仕事をする。
地震から4日目、夜に音楽を消して一人で車を運転している時に、ふと、とてつもない恐怖と淋しさに襲われる。
「単身乗り込んできたメキシコ。なにか起こるのは私ではなくて、残して来た日本の家族、友人達の方になるのか?私はここでひとりぼっちになってしまうのか?」
その夜は、となりの農場の暗闇を窓からみながら、その気持ちを抱えて過ごす。
翌日、一番大切な友人から「国を思うきみの気持ちが良くわかる。僕の胸も痛む」との言葉にハッとする。
私がここで悲しんではいけない、私の悲しみをここの人達に伝染させてはいけない。
それこそ、家も家族も思い出も未来もすべて流されてしまった方達に申し訳ない。
私はここで、悲しむのではなく、それをきちんと伝えて2度と繰り返さないようになにかしなければならない、と誓う。
彼には、私の弱音で彼にも多少なりとも悲しみを味わわせてしまったことを詫びる。
相変わらずニュースでは被害の広がりを聞く。
そして叔母の家から50kmの原発の事故。
どんどん不安は増すが、先日の誓いを守る。
東京から人が逃げて行くことを、友人達のメールで知る。
偶然にも、3週間前から予定していた旅行のために、東京在住イギリス人の友人がやって来る。
地震を知らない国で生まれ育った彼女は今回の震災でかなり憔悴している。
成田空港にごった返した「脱出組」外国人の様子をおしえてくれる。
日本語以外の情報量の少なさに、だれもかれもが不安をMaxにし、日本人の友達を残すことに大きな罪悪感を抱えながら、でも脱出していた、とのこと。
予定通りの旅行で来ている彼女は、その後数日間、夢で地震を再度体験し、眠れずにいた。
地元新聞から「震災の故郷を遠く離れた日本人」として取材を受ける。
彼らが聞きたい事は判っている。衝撃的な内容なんだろう。
でも私はそれは言わない。それはニュースで聞いてほしい。
私が言える事だけを伝える。
「みんなが”日本”と聞いてまず思い浮かべる、『高度に発達したテクノロジーと、他者への礼儀、尊敬を忘れない日本』でさえ、この状況。メキシコでだって、どこでだって起こりうる巨大な自然災害に、最大限の用意をしてほしい。」
膨大な数の犠牲者。
「無気力で方向性のない今の若い日本人」と言われていた彼らたちが彼らなりに協力しあっている姿。
私と彼女はその後数日、ずっと話し合っている。
日本人が、いつかの時点で失った大切な何かを取り戻すため、もしかしたらこれは与えられた試練なのではないか。経済的にも文化的にも、人間的、将来的にも、すべての面において日本が忘れていた何かとても大切なものを再確認するために必要な、乗り越えなくてはならない試練なのではないか。
全盲の母からメールが来る。
「東京の店から商品がなくなっている。備蓄生活を日頃からしているけれど、義兄を思って買い物に行った。盲導犬をつれて、行き慣れたスーパーに行くと、年齢を問わず奥さん連中がものすごい勢いで買い物をしている。普段はほとんど商品が動かない分野の棚まできれいになっている。それでもすこし手に入れられたので、そのままタクシーにのって、90歳の義兄の家まで行く。彼が杖をついて、わずかに残された食料を買いに行く姿を想像したくないから」と。
強い者が弱い者を思う、弱い者がさらに弱い者を思う。けれど、強い者の中にはそれができない者も多い。
原発の影響や、水、空気の事、各地で起きている地震など、さらに多くの人を不安にさせ続け、もう今までの生活が送れなくなっている。
母からは相変わらず「普段から質素な生活だから特に苦労はしていないよ」とのメール。
茨城で農家をする友人と、都心の友人たちの間では、冷静な現状分析と対応を伝え合うメールがこちらにも送られて来る。
もう私は彼らに「頑張って!」なんて言わない。言えない。
だって、人生最大の困難に今必死で立ち向かっているのだから、もう頑張っているのは百も承知。なので言わない。彼らの感じている事、している事をしっかり見つめている。
こちらに滞在中の彼女を連れて、海に行く。
波間で遊ぶ子供、大人、私も海に入り、波を見て立ちすくんでしまう。
たった1mの波。
すこし大きな波に飛び込み、その中で10秒ほど揉まれる。
被災地を襲った最大の津波は7mを越えたという。
それを、周囲の光景と比較して考えてみる。
彼らを飲み込んで行った波は水だけではない。
数分前まで生活が営まれていた家、会社、車、そして生きていた友人達。
それらが巨大な壁となって迫り、逃げられない。
私達に出来る事は何か。
震災から3日目に置いた、私のオフィスの募金箱は日増しに重くなって行く。
これから長期間に渡って再建させるために必要なお金。みんな、ありがとう。
それと同時に、やはり私にできることは伝える事。
備えよ。自分と自分の家族を守り、それ以上に守れなかった人達にも分けられる程度の物質的用意と技術的な用意(たとえば救命講習や避難訓練)。
この「備え」を、伝えなければならない、と思う。
遠く離れたメキシコで、人々が私と日本を元気づけようと言ってくれる言葉。
「戦争も原爆も、毎年の台風も乗り越えて、立ち上がって来た日本。今回もかならず乗り越えて、また「小さいけれどすごい国」になって僕らを驚かせるんだよね。」
多くの不安要素で混乱はまだまだ続いているとのこと。
毎日、何回も友人間で取り交わされるメールでその声が判る。
でもなんとかふんじばってやっている。
こんな時こそ、ジョークでもブラックジョークでもかまして、笑いながらやってみせる、って。
逞しい。あきらかに、彼らはどんどん逞しくなって行っている。
私と違う経験をしている。そんな彼らがとても誇らしい。
今、日本にいるみんなに多いかぶさっている巨大な雲。
だけど日本は「Rising Sun」の国。
かならず、いつかたどり着くその先にある何かをつかみ取るために、友人達は変って行っている。彼らと友達でよかった。彼らの生き様を見られる事が私の何よりの誇りだ。
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2011年03月28日
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