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柳 四郎
日本の神々・日本人の道徳 神社=の社(杜)は=森・・・森の中に居る神を祭る建物を立てた・・=神社 【社】社祠(しゃし)・社稷(しゃしょく)」2 神を祭る所。やしろ。 【杜】もり杜(神の森) 鎮守の杜 境内(けいだい) ご神木 山、滝、岩、森、巨木など多く自然を畏れ「カミ」(=信仰対象、神)とみなした。 山、滝、岩、森、巨木など多く自然=どれも全て森だ・・・そこに祭り行う建物を立てた!! 神社=後から作られたものだ・・だが次第にこの建物に神が居る事に成り神社となった。 神域で社殿裏の杜に神界との境界などない・・・事後に境界を作ったに過ぎない。 さてこれで判る事は・・山、滝、岩、森、巨木など多く自然を畏れ「カミ」・・・何処にも道徳などないと言う事だ・・・日本の無道徳を僕は論じてるのだ。 森羅万象に神が宿ると考え 神道とは惟神の道(かんながらのみち)であり、「ただあるがままを生きる。この世には人智を超えた神々の計らいがあり、その中をただ自然に生きることこそ大切」とも言われるが、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。 「神道」という言葉は中国の『易経』や『晋書』の中にみえるが、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。 *********** 本居宣長は『古事記』の註釈をする中で古代人の生き方考え方の中に連綿と流れる精神性、即ち『道』の存在に気付き、この『道』を指し示すことにより日本の神代を尊ぶ国学として確立させました。(*wikipedia古事記伝参照) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E4%BC%9D ーーーーーーーー この『道』のことを宣長は『古道』と名付けました。『古道』についての宣長の具体的な捉え方は宣長研究の第一人者である村岡典嗣が自著の中で、『古道とは何ぞ。そは天地万国を通じてただ一すぢなるまことの道で、我が国にのみ正しく伝はつて、外国には既に、その伝来を失つてゐる。道といふといへども、そは、人間が究理作為の結果になつた道理道徳の類でなく、ただこれ、我が国の古典に伝へられた、神代の事実である。万国に勝った御国にのみ伝はつた古への言伝へ、これやがて古道の根拠である。』と述べています。 『「記紀」には、道徳に関する記述がなく、神道は無道徳である。』 謂わば『古道』とは『神の道』であり、「人間が究理作為の結果になった道理道徳の類」ではない、つまり儒教道徳のようなものではない日本独自の道徳なんですね。 ーーーーーーーーーー 宣長の時代、『神道』はすでに宗教として確立していましたが、そうなる以前の原始信仰としての神道、『古神道』とはまさしく天地万国を通じてただ一筋なる真の道である「神の道」に従って生きようとする古代人の規範であり、『道徳』です。 したがって日本の道徳の源、日本人の道徳観の源は、『神道(古神道)』にあると言えるでしょう。 ************* 『古事記』 天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島を筆頭に本州・四国・九州等の島々、石・木・海(大綿津見神・おおわたつみ)・水・風・山(大山津見神・おおやまつみ)・野・火など森羅万象の神が含まれる。 聖書 エロヒムは全ての生き物と人間を天地創造の最終日6日目に創造したとされる。エロヒムは全ての生物を創造した最後に自分達の姿に似せて男と女を創って彼らが多くを得られるように祈り、「海の魚、空の鳥、家畜、地の全ての獣・這うものを治める者」 ーーーーーーーーーーー 古事記=人も・・森羅万象全てに神が含まれる 聖書=人は・・地の全ての獣・這うものを治める者 ーーーーーーーーーー 聖書の民=森羅万象全を治める者・・とんでもない間違い!! 聖書に依ると・・日本人は治められる者・・とんでもない間違い!!
だが聖書の民が世界を治めようとして混乱と破懐をもたらしてる。 ***********
米国欧米は新約聖書・・・ キリストの神話を持ち出して今の世を動かしてる!!
イスラエルは旧約聖書・・・ 神話を持ち出して今の世を動かしてる!!
中東諸国はコーラン・・・ マホメットの神話を持ち出して今の世を動かしてる!!
インドはヒンズー・・・ バラモンの神話を持ち出して今の世を動かしてる!!
中国は儒教・道教・・・ 孔子・老子を持ち出して今の世を動かしてる!!
日本・・新約聖書をマッカーサーから押しつけられた憲法・・聖書を持たない日本人は・・無道徳で今の日本を動かしてる!!
日本人として日本人の心を道徳を再確認することが重要。
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日本人の道徳
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