『名胡桃城』 名胡桃城は沼田氏の一族と云われている名胡桃氏がこの地に築いたのが始まりと云われています。 上野を結ぶ三国街道と清水街道、さらに吾妻の鳥居峠を越えて信濃へ通じる道にも近いため、この 付近は軍事的・戦略的に重要視されていました。 戦国時代、上杉氏・武田氏・北条氏は沼田城の争奪を繰り返していましたが、天正7年(158 9)武田勝頼の命を受けた真田昌幸が名胡桃城を築き、ここを前線基地として天正18年(158 0)に沼田を攻略しました。天正17年(1589)昌幸は豊臣秀吉の仲介により沼田城を北条氏 に明け渡しましたが、沼田城代・猪俣邦憲は秀吉が天正15年(1587)に大名間の私戦を禁止 した『関東惣無事令』を無視して真田領であった名胡桃城を攻略。これがきっかけになり小田原征 伐が行なわれ、北条氏は滅亡しました。現在も堀跡などの遺構が残され、群馬県指定史跡になって います。(パンフより) 『真田の里』の幟が嬉しい名胡桃城です。 名胡桃氏の居館跡と推定される般若曲輪は駐車場として利用されています。 縄張り図。いわゆる連郭式ってやつですかね。 丸馬出しとその後方にある三の丸。 馬出しは現状から丸なのか角なのか判断し辛いです。 二の丸堀ですが、真夏の雑草が堀を埋め尽くして深さの確認が出来ません(ノ_<。) 二の丸から本丸を望む。かつては木橋だったので、この土橋は後世のもの。 はい本丸に到着。発掘調査時の模様が展示されています。 日陰で休憩中!?のバッタさん発見(;^ω^A 本丸から笹郭を望む。 笹曲輪には低いながらも土塁が残存。発掘により基礎部には石積みが使用されている 事が確認されています。 笹曲輪の先の袖曲輪から沼田方面を望む。 この景色を見ながらここで起こった歴史的ドラマに思いを馳せればテンションアップ↑^^v 鈴木主水も見たであろう景色ですね。 木々が伐採されているのは嬉しいのですが、そのため木陰が少なく、炎天下の散策は厳し過ぎ… 「あち"いぃ〜退却じゃあぁ…!!」 17号を挟んだとこにある外郭遺構も忘れずに見なきゃネ。 関東人としては北条氏滅亡の原因となった名胡桃城は見なきゃ! 念願叶って初の訪城です。 真田昌幸がどうしても手放したくなかったお城ですから、ワクワク((o(^∇^)o)) 実際に訪れて散策してみると、規模はそんなに大きくありませんが、各曲輪が良好に残り、 往時を偲ぶ事が出来ます。案内板の下にパンフが置いてあるのも嬉しい。 もちろんパンフは使用のためと、保存のためと、もしものための予備用で3ついただき!(*^-^)b 曲輪が平坦な感じがするのは、本来あったはずの土塁が均されいるせいですかね〜各曲輪が丸見え。 馬出しから本丸まで高低差がないので平城のよう感じましたが、本丸の断崖絶壁を見ると、その要害 堅固な様子が窺えます。 城代・鈴木主水を騙してまんまと名胡桃城を乗っ取った北条家臣の猪俣邦憲。主家のため良かれと 思ってした事が、まさか主家滅亡に繋がるとは…「あちゃ〜とんでもない事になってしもうた」と。 主水と名胡桃城を失った真田昌幸はこの事件を太閤殿下に報告、北条征伐の軍に加わります。 北条滅亡後、名胡桃城は沼田城の支城として真田に返還されましたが、江戸時代の一国一城令にて 廃城になりました。
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デキ太さん>20年前ですか!当時も今のように木々が伐採
されていたのでしょうか。17号が貫通する前の姿も見たかった
ですね。いつでも行けると思うと中々行かないものですが、パンフ
をゲットしに是非^^
2009/9/13(日) 午前 8:10
薫少将さん>発掘調査中に行かれたのですか。現地説明会って
行った事ないのですよね。青いシートが被ったままの時は何度か
ありましたが…資料とかもらえたりするのかなぁ?
土橋は今も健在でしたよ。資料によると本丸と二の丸は木橋で
結ばれていたそうです。
2009/9/13(日) 午前 8:16
月の輪さん>TBと☆ありがとうございます。
はい、整備されていると言う情報だったので訪れたら草ボウボウ
(笑)やっぱり夏場は無理がありますね^^
「真田の里」幟があったおかげで、通り過ぎずに済みましたよ。
2009/9/13(日) 午前 8:20
スノボ−の帰りに何度も寄った城です〜〜
何も無いけど、ちゃんと曲輪がはっきりしてて見所ありますよね!
外郭の方をみると、ほんと広い城だな〜〜って思ったものです
2009/9/13(日) 午前 8:54
はい。確か資料もらった覚えがあります。
2009/9/13(日) 午前 9:47
るなさんこんにちは。
写真の説明よく読まずに失礼しました。記憶では土橋もう少し曲がっていたような気がしたものですから。
2009/9/13(日) 午前 9:50
私は2009年8月13日とほぼ同時期に行っています。
国道沿いにあるとは思っていなかったため、あわや行き過ぎるところでした。
真田太平記の影響か、それなりに人が訪れるのか、整備されていますよね、ここ。
2009/9/13(日) 午後 4:40
真田ファンなんでこの「のぼり」ほしいな!
1本分けてくれないでしょうかね。ちょっと背中に付けるといい感じではないでしょうか?
2009/9/13(日) 午後 11:41
おしょうさん>整備されていて散策し易いのが良いですよね。
二の丸に「喰い違い虎口」の石碑がありますが、土塁がないので
食い違っているか判別できないのが痛いですが(;^ω^A
2009/9/14(月) 午前 3:44
薫少将さん>やはり資料が配布されるのですね。
機会があったら現地説明会に参加してみよう〜と。
いえいえ、本丸から笹曲輪への土橋は曲がっていた気がします…
確か(;^ω^A
2009/9/14(月) 午前 3:48
yzak-juleさん>坂を上ったカーブにあるので、六文銭の幟がないと
通り過ぎる危険性がありますよね(笑)
ほぼ同じ時期とは奇遇ですね。草ボウボウで空堀など確認し辛い
かったのが切ない…
2009/9/14(月) 午前 3:54
城モデラーさん>おぉ、真田ファンなのですね。
いずれこの幟も朽ち果ててしまうでしょうから、譲って欲しい
ですよね。私は部屋に飾りたい!
2009/9/14(月) 午前 3:56
名胡桃城はあの縄張りがいいですよ。私も好きな城です。まさに崖の上のポニョじゃない、崖の上の城ですね(笑)。
2009/9/14(月) 午前 6:47 [ 高橋 遊 ]
高橋さん>今度は雑草の枯れる冬に訪れて遺構を確認したいです。
「崖の上のポニョならぬ崖の上の城」←上手い、座布団1枚!
河岸段丘上のお城に使わせていただきます(笑)
2009/9/14(月) 午後 10:59
国道からすぐ入れるので楽に中世城郭が堪能できますね。
何しろ、小田原の役の引き金を引いた城というのは「はく」がありますね。六文銭の旗、欲しいなあ。
2009/9/17(木) 午後 10:34 [ あおれんじゃあ ]
わかりやすい、綺麗な縄張りですね。素晴らしい♪
草ボーボーですが、この二の丸の堀って、
かなり立派なものでは…。
夏のお城訪問は草と日光との対決ですね(^^)
無事の帰還なによりです。ポチ☆
2009/9/17(木) 午後 11:02
ごぶさたです。
なぐるみ城行かれたんですかぁ、写真を見るとあつそうですね、確かに~~流石に日除け対策万全って感じですな。
この城は、六文銭だけに、「陽の城」ってやつですよね。
大抵武田の城は縄張を見ると出撃路があらゆる方向に開けている・・
この有名な城もそんな感じです。三日月堀も有名ですが・・
2009/9/18(金) 午後 9:08
アオさん>北条氏の運命を決めたお城は、坂を上がってカーブを
曲がると「名胡桃城→」がいきなり出てきて、急ブレーキ状態で
焦りました(笑)
六文銭の旗は綺麗だったので最近立てたようですよ。
カッコイイけど非売品ですから(;^ω^A
2009/9/20(日) 午前 6:48
しゅうちゃんさん>☆ありがとうございます^^
真田さんのイメージからだと、もっと複雑な縄張りを想像して
しまいますよね。
中世城郭は夏場の散策は厳しいです…分かっているのに毎年夏場
にも訪れてしまいます(笑)
2009/9/20(日) 午前 6:54
ロベルトさん>日焼けと虫対策は万全にして行かないと!(笑)
とにかく暑い日でした…休憩が出来る資料館とかあると助かる
のですが。中世城郭でもあるとこあるし(;^ω^A
真田さんのお城として人気があるのでしょうね。パンフもしっかり
置いてあるし☆
2009/9/20(日) 午前 6:59