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先月の玉縄城遺構見学会終了後に向かったのが
源氏の守護神〜鎌倉・鶴岡八幡宮
八幡宮と言えば、鎌倉幕府・三代将軍源実朝が甥の公暁に
殺害された現場でもあります
公暁が隠れていた大銀杏はニュースにもなったので覚えている方もいるでしょうが平成22年3月10日に倒れてしまいました。
しかしそこにはひこばえが
倒れた大銀杏の幹です。
どーも皆さん私が鎌倉幕府・三代将軍源実朝です。
と、言う事で今回は実朝さん本人じゃなく偶然知った側室・
久米御前さんの記事を。強引に持って行った感じ…
以下旦さま取材
法台寺(埼玉県新座市道場1−10−13)武蔵七党の片山氏館跡の推定地でもある法台寺
目的は城館跡散策だったのですが…
境内散策中に立派な宝篋印塔と銅像を発見
『源實朝室 久米御前塔?』…源實朝…『實』?何て読むん
だ?久米御前?…どなた?説明板等がないのでここでネット検索
すると久米御前は源實朝(=実朝)の側室だと分かりました。
正室は公家の娘だからね。
『実朝が殺害された時に遺骨を持ってこの法台寺の地
(当時は清浄殿)に逃れて来た』との事。
これは興味深い話!鎌倉将軍の奥さんが埼玉・新座に?…
これは初耳!
もっと詳しく知りたくなり、新座市歴史民俗資料館へ。
すると職員Jさまが(実はお友達
直に話しを聞けるようにセッティングしてくれました
急いで法台寺に戻り、ご住職さまからお話を伺いました。
源頼朝存命中にこの地に館=清浄殿が建てられました(実朝の命とも云われています)。久米御前は千葉常胤の娘で実朝の側室。実朝が殺害された承久元年(1219)に実朝の遺骨を持って家来と清浄殿に逃れて来て草庵を結び隠遁生活を送りました。共に従って来た家来もこの地に土着。しかし久米御前は同年9月に亡くなってしまいました。
文永3年(1266)宗尊親王の命により久米御前の菩提を弔うために清浄殿を寺院としたのがこの法台寺の始まりです(当時は廣澤院寶臺寺)。
明治にお寺が大火に遭い史料等が残っていないので
過去帳等からの推測もありますが…
ご住職さまに境内を案内して頂きました。
久米御前の宝篋印塔は元禄14年建立。相輪部分が違うの
で手が加えられているかも。
久米御前像 肖像画等容姿についての史料はないので
あくまでもイメージとの事。
このお墓は侍女の墓じゃないかと…
『征夷大将軍』の文字が…
付き従って来てこの地に土着した家臣さん4人のお墓もあります。
貫井さん。墓碑に『久米御前の御附家老として仕える〜』と
ありますね。
本多さん。こちらも『久米御前附家老也〜』と刻まれていま
すね。
浅海さん。『久米御前御附家来 浅海源太貞行』と。
4人なのであと一人は並木さんです
城館散策で偶然出会った久米御前さん。
史料がないので謎多き女性ですが、非業の最期を遂げた
源実朝を想い、この地で暮らしていたのは事実。
実家の千葉家は和歌にも長じた一族。和歌繋がりで仲が
良かったのかな。
実朝が亡くなった半年後に久米御前が亡くなってます。
半年間どれだけの悲しみに襲われたのでしょうか…
最期は自害説もあります
今も家臣さんにしっかりと護られているのがせめてもの
救いですね
忙しい中、お話しを聞かせて下さったご住職さま&新座市
歴史民族資料館の職員さま、ありがとうございました。
(法台寺取材・旦)
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銀杏が倒れたちょっと後の同じ3月に行きました。
その時はひこばえが沢山ありましたが、育ちの良いものだけを残したのですね、鶴岡八幡宮に続く段葛は工事中のはずですが見ましたか。
2015/12/5(土) 午前 9:44
銀杏が倒れた後行きましたが、シンボルがなくなって何か寂しくなったような気がしましたね。
久米御前知りませんでしたね。
アップしていただき勉強になりました。
ヒロ
2015/12/5(土) 午後 7:49 [ kqj*b30* ]
> kacujoaiさん
大銀杏が倒れたニュースには驚きましたね。
あと頼朝のお墓に悪戯したニュースも(T_T)
あっ…駅から八幡宮まで小町通りで行ったので段葛
見ませんでした(*_*)
2015/12/6(日) 午後 8:56
> kqj*b30*さん
多くの歴史を見てきた大銀杏が無くなって
凄く寂しく感じますよ。リスさん達はどこに
行ったんだろう…(*_*)
久米御前さん〜うちらも初めて知りました。
歴史は知る喜びも楽しいですね☆
2015/12/6(日) 午後 9:02