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『鎌倉大草紙』に「太田道灌村山に陣をとる」とあります。
太田道灌は長尾景春の乱で景春に味方して二宮城に籠る大石駿河守を攻めるために村山に陣を構えました。
しかし「村山に陣をとる」としか記されてなく
武蔵村山市のどこなのよぉ??
推定地として市内中藤の真福寺と三ツ木の大将山がありますが…
あ、一応説明すると武蔵村山市は東京都で
唯一駅のない市で有名?
よくある勘違い…志村けんの出身地ね〜
それ東村山市ですから!
と云うことで9月24日(日)武蔵村市民会館1階会議室、PM1時30分〜村山の陣の講演会が開催されます
真福寺なのか…
大将山なのか…
どっちなのか白黒つけようじゃないかぁ!
真福寺が本陣で指揮を執っていたのが
大将山って感じもしますが…どうなんだろう。
マニアックな村山の陣の講演会、興味のある方
はぜひ
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紋が「丸に細桔梗」で白抜きではなく、黒なので「黒」。
その白黒ではなかったのかな!?
2017/9/16(土) 午前 10:36
太田道灌には江戸城とられたからなぁ。そんでもって世田谷も明け渡して結局横浜にやってきたわけだけども。蒔田城の吉良の殿さまと仲良かったからだっていう理由だけで。
2017/9/17(日) 午前 6:04
> kacujoaiさん
違いますよぉ〜それではありません(*^-^*)
先生の見解だと真福寺に本陣を置き大将山が物見。
両方利用された説。
2017/12/31(日) 午前 8:28
> こぐーさん
そうですよね〜さも太田道灌が江戸を切り開いたと
云われてますがそのず〜と前に江戸さんがいましたからね。
2017/12/31(日) 午前 8:30