旦さまと私

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濠に映る黒い天守、ステキ過ぎます!松本城

本丸入口の黒門 もちろん黒いから黒門だろうけど、松本城の門って全て黒くない? 桝形だけど二つの門が同じ向きなのね。高麗門の二の門は平成元年の復元。
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門を護る武者さん 絵になりますね。
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売店前で信玄公にばったり
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天守前に武者さん勢揃い この日は群馬甲冑会の皆さまがおもてなしのために出陣されていたので甲冑武者さんがいっぱいなのです。うちらのお知り合いの方もいますよ
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こちらは公式・松本城おもてなし隊の登久姫さまと小笠原秀政さま。
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天守内部御座所でカシャ
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天守最上階
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本丸水門跡に白鳥さん
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天守
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定番アングルですが
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濠越し天守が一番好きだなぁ
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紅い埋橋って昔、通行できましたよね?老朽化を防ぐためかな。
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太鼓門 これは見たことないから復元されてから初訪城になります。
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中にはむろん太鼓あります。DRUM TAO張りに叩けたら気持ち良いだろうなぁ
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総評 ★★★★★ (旦さま私見 ★5つ)

久しぶりの国宝・松本城。いやぁ〜やっぱり本物は凄いですね。

ベテラン俳優さんのようにオーラが漂っています。時間の関係で外郭を

含む全てを観る事は出来ませんでしたが、群馬甲冑会の甲冑武者さん

も雰囲気作りに一役買っていて言わゆる観光ルートだけでも十分楽し

めました。

平成11年復元の太鼓門とは初対面。最近は天守以外の建物にも入れ

るお城も増えて嬉しい限り。

天守の最上階は元々高欄廻縁でしたが、雪国のため維持が大変

そこで外壁で覆って今の姿になったとか。でも今の姿のイメージが付い

ているので高欄天守が想像出来ないです

現在、空前の城ブームと言われていますが、天守入場規制も度々

ある大人気の松本城。明治維新後、競売落札された天守を買い戻

した旧藩士・市川量造さんもきっと喜んでいるでしょうね

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善光寺のすぐそばにある横山城


主郭に建つ健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけ神社)。長い名前だなぁ

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社殿です。 あ、指が…
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社殿裏の土塁
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堀切跡と思われる道路
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城山公民館蔵春閣の敷地もかつての城域 
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案内板あり
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蔵春閣から主郭を見下ろす。高台に築かれているのが分かりますね
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蔵春閣から長野市の眺望
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総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)

川中島の合戦時、上杉謙信の拠点となった横山城善光寺の東隣、

健御名方富命彦神別神社の地が主郭。神社の境内は二段となって

いて区画的に二段の主郭なのか、二郭なのかは不明?

社殿の裏に土塁が残っています。

案内板の場所が見つからず城山公民館の職員さんに訊いたら

ご親切に城の説明と普段は立入禁止の蔵春閣屋上に案内して

下さいました。屋上からは長野市が一望出来て、謙信がなぜここを

拠点にしたのか分かりました。

神社周辺以外かなり改変されていているので城の様子を知るのは

難しいですね。

気になったのが川中島合戦時の善光寺善光寺にも当然ながら

兵が駐屯していたのでしょうね。詳しく調べてみよう


山城は善光寺と共に存続したと考えられ、南北朝時代から川中島合戦に至るま

で軍事拠点として重要視された城である。

弘治元年(1555)村上義清、高梨政頼らに援助を求められた上杉謙信は川中島に

出陣し川中島の合戦が本格化した。武田側は大塚に布陣し旭山城に籠る栗田氏を

支援した。これに対して上杉側は善光寺横山(城)に布陣。武田側の旭山城に対し

葛山城を築きこれに応戦した。上杉側は川中島に出陣する時は横山城を軍事拠点

として武田軍との戦に臨んだ。(現地案内板より)


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善光寺から見える(見えた)山の上の天守が気になる!…大峰城

大峰城鳥観図(「余湖くんのホームページ」よりお借りしました)
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善光寺から標高828m(比高430m)の大峰城を望む
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七曲と云うキツイ山道を車で上ります。六文銭が付いたガードレールがここって上杉の城なのに…真田丸放送時に作ったのかな?
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長野市斎場までは綺麗に整備された道ですが、その手前を右折。そこから狭い道を進みます 天守廃城以来整備されていないので落ち葉等で道も狭まれてますね。これは対向車が来てもすれ違えない
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主郭下の駐車場に無事到着。安堵 番所付きの門がお出迎え。
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瓦には☆マーク。長野ってUFOがたびたび目撃され、基地があるとかの噂??UFO〜宇宙〜星繋がり☆の瓦?
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階段から模擬天守!やばっ模擬でもテンション上がる
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おぉ〜これが大峰城模擬天守ね。錆びたシャッターが廃城感
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西側からだと木々に遮られ天守見えませんけど…
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東側 あれぇ〜下見板張仕様なのに黒く塗ってないのね もしや雪を表現しての白壁なのか??
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北側には土塁有り
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北側の堀切
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一旦、駐車場に戻り堀切を見に行きましょう。
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車道沿いに3本の堀切を見る事ができますよ。
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堀切  実は中々の山城
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総評  ★★★☆☆ (旦さま私見 ★3つ)

昔、善光寺から見えた山の上の天守が気になった大峰城

今は茂った木々のために見えませんが…

標高828mのキツイ山城ですが車で行けます。山腹の長野市斎場まで

は地獄の七曲もありのキツイ傾斜、愛車に頑張れ!と言いつつ斎場手

を右折。ここから道幅も狭くなり、ドキドキ。対向車来たらどうなる

いく殆ど訪れる人がいないと云ってもウチラ同様にお城マニアがいる

からねぇ 開けた広場に無事到着! ここは車道造った時のもの

で曲輪ではないでしょうね。

模擬天守は昭和37年(1962)に長野市が観光促進のために建設。平成

19年に観光客激減のため閉館。営業当時は素晴らしき眺望だったの

でしょうね。今は何も見えません1,2階が蝶と自然の博物館、 3階

が大峰城関係の資料、4階が展望台でした。埼玉県の天神山城みたく

朽ち果てる前に再利用できないものでしょうかねぇ

主郭、二の郭、三の郭を区切る堀切が残っていますが、曲輪の内部は

藪だらけで模擬天守の醸し出す廃城感に合ってます。そこがまた良かっ

たりします


大峰城は武田方の旭山城の向城として上杉方が築いた山城で、葛山城主落合備中守の家臣大峰蔵人の城といわれ、築城時期は明確ではありませんが、天文年間初期と思われます。
天文22(1553)年から5回にわたる川中島合戦で、大峰城を中心とする山城は甲越双方にとって最前線の突破口として、また守備陣地として重要であったため幾度か争奪戦が行われ、善光寺平一帯は武田方の支配下となり、大峰城も武田方のものとなりました。
今の大峰城はもとの本丸に昭和37年に築かれたもので入母屋殿館造り鉄筋コンクリート重層4階建てです。城内はチョウや昆虫の標本と築城時の出土品が展示され
4階の展望台からは川中島合戦の善光寺平が一望できます。
大峰山最高峰(828メートル)に本丸を設け、その西北に二の丸、三の丸が続き、各丸は尾根に直角に切り割った深い堀切によって区画されています。各丸の西北端には土塁を築き上げて内部を隠した跡が残り、本丸跡は形で周囲に高く厚い堅固な土塁を廻らしている。本丸南西の一段低い所は曲輪の跡で、これに続いて本丸の廻りに帯曲輪と考えられるものが二の丸まで延びています。(かつての案内板より)

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東京都武蔵村山市・真福寺で開催された
火渡り行に参加して来ました。
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太田道灌の村山の陣でマニアに有名な真福寺
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いつもは静かな境内に屋台が並びます。
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さぁはじまりますよ
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山伏さんのパフォーマンスの後に火入れですイメージ 5


おぉ!!
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炎が小さくなり、渡れるようにならします。
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無病息災を願って〜るな、行きます!!
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多くの方が渡っていました。リピーターが多いらしいですよ。実はるなも去年に引き続き二度目なのです。
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火渡り行をすることによって火の中に勧請した不動明王さまと一体に
なれる。無病息災。

もちろん熱いですが、あぢぃ!ではないので
立ち止まらなければ、全然平気です。
渡ってからしばらくは足の裏からポカポカ


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東京都東村山市野口町に加藤清正公を個人で祀ったお社があります。
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清正公
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その経緯は祀ったのは前田耕造医師で前田家は万治2年(1659)熊本藩の支藩である細川家宇土藩3万石に仕える代々医者の家系で明治に入って東村山に移り住みました。前田耕造医師は大正15年に亡くなり梅岩寺に葬られています(東村山観光ボランティアガイドの会さんの報告より)。

表札見てこなかったけど…
前田さんが家主さんなのでしょうね

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清正公の位牌
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加藤家の次に熊本に入った細川さんは清正公を尊敬してましたからね。
その家臣の前田さんにより祀られたと言う事ですね。
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東村山の隠れた名所・清正公紹介でした

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