旦さまと私

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板部岡江雪斎展♪

大河・真田丸で一躍有名になった北条家臣・板部岡江雪斎

登場当初は何だか嫌な感じの坊主でしたが観てるうちに

北条家を想う忠臣ぶりに心魅かれた私
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そんな時に神奈川県横浜市緑区の長津田地区センター

板部岡江雪斎展板部岡江雪斎と長津田領主岡野家

開催されていると知り、行って来ました(現在は終了)
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キャッチコピー真田丸、見てる? 出てたよ!江雪が…
これPOPでステキ
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天正18年の北条家滅亡後江雪斎は豊臣秀吉に気に入られ御伽衆なるのですがこの時に岡野融成(つぐなり)と改名。元々は田中融成の名前でしたが北条氏政の命により板部岡家を継ぎ板部岡江雪斎秀吉死後は徳川方として関ヶ原へ出陣。屏風にも描かれています。小早川秀秋の寝返り説得
に当ったのが江雪斎。グッジョブ!! 関ヶ原合戦図屏風
にも描かれています。
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そうそう何で横浜市長津田の地区センターで開催かと云うと
北条家滅亡の翌年(1591)江雪斎の息子・岡野房恒が徳川家康に仕え、長津田・栗木500石を拝領。以降旗本として代々この地を治めました。つまり『地元の殿さまの御父上が江雪斎!』近くの菩提寺・大林寺には江雪斎の供養塔もあって町興しにもなる感じね。
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長津田地区センター1階は図書館。展示は2階。階段にも展示されています。
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さてさて内容の方ですが板部岡江雪斎とその子孫・岡野氏
についての研究が書かれた大きな模造紙?が何枚も廊下に貼ってありました(学生時代の研究発表展示を思い出した)。とにかく凄い文字量(情報量)なのですが写真撮影禁止、資料配布もナシなので読んで覚えるか、書き移すしかありません
ガラスケースに書状とかが飾ってあるのかと思ったら違いましたねぜひとも書籍として発刊して欲しいです。


岡野家には徳川秀忠が関ヶ原に向かう時に江雪斎に宛てた『真田を仕置きをする!』との書状が残っているそうで、「きっと大河・真田丸の関ヶ原場面で放送されるでしょう!」と江雪斎再登場の期待を込めた一文が印象に残っています


長津田地区センターの次に向かったのは岡野家菩提寺・大林寺(横浜市緑区長津田6−2)
境内側から見た山門ですが仏さまが二体ずついるぞぉ〜と
思ったら四天王立像だから四体並べたのかな 
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天正19年(1591)江雪斎息子岡野房恒が建立。以後岡野家の菩提寺となりました。元は現在地より東側の山麓にありましたが三代目の時に現在地に移されました。
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説明板〜岡野融成(板部岡江雪斎)供養塔の記述もありますね
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岡野家墓所  たくさんのお墓が並んでいますがどこが誰の
お墓かの案内図がないのですぅ…
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長津田地区センターの展示画像で見た板部岡江雪斎供養塔である宝篋印塔はたぶんこのどれかだった気が… 長年の風雪に晒され文字は判読出来ない この後お寺さんに尋ねたら「最近、よく訪ねられる方が多いと聞いていますが私は留守番の者でどれが融成さまのものかは私は分からないのです。」との事。でも真田丸効果あるんだね 帰宅後調べたら
画像右の宝篋印塔が板部岡江雪斎の供養塔(お花が供えられていると分りました。寛永18年(1641)三十三回忌に建立。
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さすが、お寺創建者である息子・岡野房恒のお墓は一番大きい。右から二番目(宝篋印塔)。
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岡野氏の由来が刻まれた石碑
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どの大河ドラマでも北条家の扱いは酷いものですが真田丸

ではメチャ濃いキャラの高嶋氏政、家臣の板部岡江雪斎に

も注目が集まり北条ファンとしては喜ぶべきかと…

しかし氏政の汁かけ演出はしつこ過ぎる気が…

信繁の小田原城潜入もオイオイだったけど。

ドラマだからと割り切るしかないよね。

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最後に…江雪斎の再登場を期待しながらド・ラ・マであ

真田丸を楽しみましょう

井上昌己ミニライブ

昨日、上尾駅前のショーサンプラザで行われた   井上昌己ミニライブへ
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昔から旦さまはファン。気合いで開演2時間前に会場到着。
やったぁ〜斜めだけど最前席をゲット
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13時、1回目のステージ開始 るなも知ってる「恋が素敵な
理由」「純心」と2曲続けて演奏。
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るなは初昌己さん。いやぁ〜メチャ綺麗なお方
瞳、鼻、口…すべてのパーツが美しい
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新譜より血液型のB型をテーマにした曲「B−blood」を演奏。B型あるあるの歌で、昌己さんB型なんだぁ。るなもB型
だから興味深く聴き入ってしまった
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ギターの江口正祥さん。
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パーカッション&コーラスの那須野綾さん。ごめんなさいマイクスタンドが顏に…。何だぁ〜跨って叩いているこの箱型打楽器は?
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ライブ終了後にスタッフさん&綾さんに聞いてみた〜ベルー発祥の打楽器で『カホン』と言うそうです。叩く位置によって音が変わりバスドラムみたいな低音も出ます。中は空洞。
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ライブ終了後にサイン会。
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昌己さんとの写真は本来、女性だけなのですが、女性同伴なら男性もOKだそうです。
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もちろん新譜・MELODIESⅡ購入。ヘビロテ再生中。
B型の歌聴きながら、あるある〜
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ライブの帰り道、どれだけ綺麗だか、THE美人!!だか語り

ながら帰ってきました。もちろん歌もステキ。

るなもファンになりましたぞぉ またライブ行くぞぉ

天正8年・駿河湾海戦


天正8年(1580)北条、武田両軍の間で駿河湾を舞台にした大規模な合戦が行われました。後に駿河湾海戦と呼ばれる戦です。
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武田勝頼率いる武田軍沼津千本浜から吉原海岸に布陣したとの報告を受けた北条軍は水軍基地である重須湊から安宅船で10艘で出撃!総大将は梶原景宗。(海上から望む長浜城重須の湊
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北条水軍無敵の安宅船  甲板と船倉の二重構造で甲板に戦闘兵士50人、船倉に漕ぎ手50人の計100人。この巨大船と関船加えた編成で戦います。
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こちらが武田軍が布陣していた千本浜(千本松原)。富士山も望める景勝地で沼津の人気観光スポットです こんな美しい
場所が約400年前に戦場となったとは…
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うっすらとだけど富士山見えるでしょ
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砂浜いっぱいまで陣どっていた武田軍に対して0艘の安宅から一斉砲撃!こりゃたまらん〜と武田軍は撤退。
しばらくして陣容を立て直した武田軍、今度は砂浜に土塁
を築き、鉄砲隊を配置。そこに再び安宅船がやって来て
陸上(武田軍)vs海上(北条軍)の一大砲撃合戦に!雨あられの如くしかし椋の木製防御板を装備した安宅船には効き目なし
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、『北条五代記』は伝えています。しかしその後どうなったのか、どちらが勝ったかは記載されていないようででもこの流れだと武田勝頼無念の撤退かな。
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千本松原の松林〜農民が防潮・防風のために植えたと云われますが武田軍戦の邪魔になると伐採!この後約5年の歳月をかけ千本の松を植え根付かせ再生されました。
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千本松原の北側にある本光寺に隣接する首塚。元は千本浜の浜辺にあったもので明治33年地元の網元・小池さんが暴風雨によって砂浜に露出した頭蓋骨を集めて改葬して石碑を
建てたそうです。
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砂浜におびただしい頭蓋骨が転がっていてさぞやビックリ
したでしょうね 「こりゃ昔あった戦のサムライさんの骨に違いない!」と云われてましたが昭和29年の調査でその通り!と確定されました。
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説明板〜地元の方は「お首さん」って呼んでる!?
『戦国時代、沼津周辺では小田原北条氏と甲州武田氏の勢力争いが激しく、とくに天正8年(1580)の千本浜の合戦は激戦であった。
 明治33年、暴風雨で倒れた松の大木の下から たくさんの頭蓋骨が発見され、地元の人たちはこの骨を集め、塚を築き、碑を建て「お首さん」と呼んで手厚く葬った。
 人骨はこの合戦の戦死者のものと言い伝えられてきたが 昭和29年、人骨研究の権威・鈴木尚東大教授の調査により当時のものと確認された。おびただしい頭蓋骨の数や刀傷の深さから、戦いの激しさがうかがわれとくに十代後半の若者の骨の多い ことが注目されている。 碑文は旧沼津藩士岩城魁によるが、地元市道町の人びとが今も霊を厚く弔い、香花の絶えることがない。昭和59年7月』
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『骨が語る日本史(鈴木尚著 学生社)』に首塚調査の模様が
詳しく掲載されていますので興味のある方はどうぞ。

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本の内容を引用した沼津市HPより
・沼津千本浜の首塚が形成された時代は人骨の研究に基づくと、伝説の通り、室町時代中期から戦国時代にかけての合戦による戦死者と見なされる。遺体は合戦が終わると、直ちに埋葬されたが、その数は少なくとも200体に達したことであろう。
 ・遺骨は永い年月の間、海浜で風雨波浪に曝され、明治の改葬の頃は、人骨の多くが破片となって海浜に散乱し、ごく一部の遺骨だけが、埋葬当初のまま埋まっていた。改葬時、頭蓋骨が重点的に現在の首塚に移された。
・発見された遺骨の2/3は男性、1/3は女性と判断され、彼らは成年が主体で、熟年は少数、老年と幼少年はない。 人為的損傷:頭骨には穿孔されたと思われる大小の円孔があったが、天正年間に千本浜で起こった武田・北条氏の合戦(北条五代記)に際し、種子島銃、矢、槍によるものと思われる。
本首塚人のあるものは、遺体から頭皮が剥がされている。同じ行為は新田義貞の鎌倉攻めの際、悪性の病の治療の目的で、性別、年齢に関係なく行われた疑いがあるが、本首塚ではある特殊な男性が目標となった疑いがある。
本首塚人の頭骨の中に、鋸で断ち切られたと推定されるものがある。意図は不明であるが、脳摘出の疑いがもたれる。
・頭骨形質:本首塚の形質を人類学的に研究した結果、これらは中世の日本人と見なして、全く矛盾がない。
いま、千本浜首塚人を含め、鎌倉材木座遺跡、市原町梁瀬八幡平首塚、江戸崎町古城西遺跡から発見された人骨をもとにして、中世日本人の頭骨形質の平均型を総括すると、長頭型または中頭型、低顔型、低眼窩型、扁平鼻根、広鼻型を具えていたと考えられ、鎌倉材木座発掘の頭骨形質は、中世日本人の典型とみて差し支えないようである。



「頭皮が剥がされてる…」「脳を摘出…」等、かなりショッキン
グな内容です。しかしこれが戦国時代の真実かぁ…



以上、駿河湾海戦記事でしたが、駿河湾海戦この一回の

合戦だけじゃなく武田水軍北条水軍基地の重須を奇襲して

始った北条水軍安宅船vs武田水軍関船(天正8年3月15日・

北条五代記)、武田軍向井兵庫の活躍で北条水軍の船分

捕りに成功した海戦(天正8年4月?甲陽軍鑑)など数回行わ

れ、全てひっくるめて駿河湾海戦みたいです


戸倉城は戦国時代北条氏綱が築いたと云う。主曲輪は本城山の頂上にあって、東西40メートル・南北30メートルの平場で、もとは土塁がめぐっていたと云う。東側に一段下がって袖郭があり空掘で仕切られる。南側には見張り台の役目を果たした天狗岩がある。東曲輪は東方にのびる尾根上にあり、左右から切り込んだ三本の空堀によって、屈折した平場をつくる。先端の南東斜面には三段の平場と、反対の北東斜面には空堀切と二段の平場と、その最下段には裾郭がある。
 また主曲輪から北西に下る斜面には空堀を左右からくい込ませた小郭が連続してつくられ最下段左手より狩野川へ向かって空堀があった。大手登り口は龍泉寺山門左手にあって、数段の平場を経て右にまがり主曲輪に至るが、その中ほど左右に空堀と土橋がある。西曲輪は本城山西端下で空堀切によって区切られる。それにより左右に九本の竪空堀と陵部に小郭が八幡神社裏まで連続している。八幡神社西側の県道を越えて摩利支天郭があり、ここから烏帽子岳太鼓櫓まで、空堀切と平場が尾根上にある。外原出口にも小郭があった。城主の居館は龍泉寺内であったという。
 永禄11年(1568)から元亀2年(1571)にかけて駿河に攻め込んだ武田信玄と北条氏は、この戸倉城で戦った。また天正8年(1580)、武田勝頼は沼津三枚橋城に本拠をおいて戸倉城を攻撃した。北条方の城将笠原新六郎はよく城を守ったが、天正9年(1581)武田方に寝返って城は武田方のものとなった。天正10年(1582)、武田氏の滅亡と共に戸倉城は再び北条氏のものとなった。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城征伐が始まると、北条氏は戸倉城を捨てて韮山城へ退いたという。(現地案内板より)

戸倉城  現在本城山公園となっています。北駐車場入口
から望む。
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戸倉城復元図
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戸倉城跡概略図(『静岡の山城ベスト50を歩く』より)
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北駐車場から本曲輪西曲輪を隔てる堀切を…案内看板の
右上なのですが写真だと何だかわかりませんね
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登山道は整備されていますが久々の山城、キツイ…
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本曲輪
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ムーミン谷にありそうなこの木は展望台
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展望台に上がってみた 残念ながら富士山は見えず
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韮山城大平新城を望む。
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東曲輪
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本曲輪南西の土橋
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↑の土橋から堀切を…これまた何だかわかりませんねぇ
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居館跡に建つ龍泉寺
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龍泉寺前の狩野川の船着場跡
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武田方に寝返った城将・笠原新六郎が映画・ステキな金縛り更級六兵衛(西田敏行さん)のモデルと言われています。
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総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★3つ)

北条、武田の境目の城、戸倉城。比高65mですが狩野川の

蛇行により三方を守られた要害の地。現在、本城山公園となっ

います。しかし公園として整備されているのは本曲輪部分

けみたい

本曲輪には太平洋戦争時に高射砲が設置され、その時か

公園化の時かに改変があった模様。かつて取り巻いていて

土塁は跡形もないです。展望台に上ってみると伊豆の北条

支城群の位置関係が見えて面白い。当たり前だけど城地選択

重要と再確認。ただ風景案内図とかの類がないので地図持

参をおススメします。

西曲輪へ行こうと堀切を渡って進んでみると下山しそうな気

配。えぇ!どこから行くの!? この日は気温も高いし、

虫君たちもいそうだし、藪漕ぎは避けたい…結果断念

帰宅後調べてみると麓から曲輪にある八坂神社を目指す道

がありました

気を取り直して居館跡と云われている麓の龍泉寺へ。

お寺のすぐ横が狩野川。かつて船着場だったそうです。

北条武田の激しい攻防戦が行われた戸倉城公園化された

本曲輪では眺めを楽しむ。遺構が残るけど未整備な西曲輪

は藪漕ぎ覚悟で行かなきゃダメなようです。山城シーズンにリ

ベンジを果したいです なんだか消化不良の戸倉城訪城

でした。

治承4年(1180)10月20日、富士川の戦いで勝利した

源頼朝は、黄瀬川宿へと引きます。翌日、奥州から若者が

やって来ました。その若者こそ、頼朝の弟、九郎義経。

兄弟の初対面。お互い涙を流し、これまでの苦労を語り

共に平家打倒を誓う!これが有名な兄弟対面の話しね。

今回はその対面場所である八幡神社対面石をご紹介。

八幡神社(静岡県駿東郡清水町八幡39)

八幡神社
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太鼓橋で弁慶の真似…自分で言うのも何だけど弱っちそう
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本殿の左裏を目指します。
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じゃ〜ん!これが頼朝・義経対面石』。左が頼朝、右が
義経が座った石と云われてます。頼朝の石の後ろの木は
これもゆかりの『ねじり柿』
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説明板〜治承4年(1180)10月、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せてきた時、鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣した。たまたま、奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。 この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石という。 またこの時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじってかたわらに捨てた。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この二本は幹をからませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は呼ぶようになった。
ねじり柿は兄弟対面記念に頼朝が植えたとの説もあります。
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説明書が欲しかったけど本殿は閉まってるし、社務所に
行っても留守だし…残念

石と石の間は狭くて膝突き合わせる状態 もちろんこの石
に座ったのは伝承ですが信じた方が楽しいからね。でも気に
なる〜元は江戸時代の陣屋の庭にあったらしいそしてここに置かれる以前は10m北側にあったとか…真実は??
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対面石を見たら、大河での兄弟対面場面が見たくなる
『大河・平清盛』での対面場面。本当は『大河・義経』が見たかったけど近所のTUTAYA置いてなかったのよぉ〜
神木君両作品で義経だったからね。それにしてもさわやか
な表情だねぇ。
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さぁお兄ちゃんの登場だよ。
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若々しくて超イケメンお兄ちゃん。個人的には中井さんの頼朝
イメージが強い。「共に鎌倉に参ろうぞぉ〜」ってさ。
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大河・平清盛での対面は陣所だし涙の抱擁もないし…
う〜む、違うTUTAYAで大河・義経を探すか。義経では感激の対面シーンだった気が…
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どうなんだろう〜用心深い頼朝、いきなり奥州から来た弟で

す〜って言われてすぐに信じたのかなぁ。大河・平清盛では

えっ弟?って感じの演出でしたけどね。身分証明書もない時

だし顏も知らないからね。富士川合戦大勝利で気持ちが寛

大になっていたのかもね。

とにもかくにも源平スーパーヒーロー源義経、歴史

表舞台に登場!なのです。



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