『宮尾城』 弘治元年(1555)5月、毛利元就は陶晴賢を討つ為に、厳島に戦場を求めここに城を築き 拠点とし、島の町衆を味方に引き入れ、陶軍の広島湾進出を阻止しようと軍備を整えた。この城 は数個の郭に分かれた山城であるが、海上に突き出し、味方の水軍と連絡できる水軍城の特色も 合わせ持っていた。 同年9月、晴賢は2万余の大軍率いて厳島に上陸し、五重塔がある塔の岡付近に本陣を置いて この城を攻撃したが、3百余の城兵はよく守り持ち堪えた。元就は主力の軍を率い、包ヶ浦から 上陸して、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、この城兵も主力軍に呼応して陶軍を壊滅させ た。 (案内板より) 『神の島』宮島にはJR宮島口からフェリーで約10分。 念願だった宮島〜紅い大鳥居が見えてくると心が躍ります((((ノ^◇^)ノ フェリーを降りると『毛利元就ゆかりの地〜厳島合戦跡』の看板が♪ そうです、宮島は厳島神社だけではなく、古戦場でもあるのです。 『厳島合戦』 天文20年(1551)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、その家臣陶晴賢の突然 の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった、毛利元就は天文22年(1553)晴賢に対し 挙兵したが、戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の一計を案じた。 平地での戦いを不利と見た元就は、厳島に戦場を求め弘治元年(1555)5月、島の宮尾に城を 築き、陶の2万余の大軍をおびき寄せた。同年9月30日、元就は3500の兵とともに、折から の暴風雨と夜陰に乗じ、厳島神社の背後にある包ヶ浦に上陸、翌10月1日早朝、山を越え塔の岡 にある陶軍の本陣を急襲した。これに加え大鳥居側の海から元就の三男、小早川隆景の軍と宮尾城 の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍は壊滅した。 晴賢はわずかな兵とともに島の西部へ敗走するが、なすすべもなく山中で自刃した。 これが世に言う厳島合戦である。この合戦に勝利した元就は、戦いで荒れた厳島神社の再建・修復 に努め、中国地方統一の第一歩を踏み出したのである。 (案内板より) 宮尾城主郭跡〜ここが毛利元就を一躍有名にした厳島合戦の舞台! 主郭址から陶晴賢が本陣を置いた『塔の岡』を望む〜現在は千畳閣、五重塔が建っています。 一段低いところには伊勢神社があります。 先に進むと堀切発見! この橋を渡るとまた上りになって一番の高地の郭に辿り着きます〜ここがもしかして主郭? 要図(日本城郭体系)を見ても郭の名前表記がないので… 宮尾城は桟橋から厳島神社に行く途中にあり、散策コース(要害山)として整備されているので 厳島神社参拝の途中にふらっと寄れるお手頃な、それでいて歴史的価値のあるお城です。 『←厳島合戦跡 宮尾城跡』の看板に従ってお土産屋の裏を上って行くとすぐに主郭跡。 標高30m足らずですが、かつては海岸に突き出た海賊城でした。 急造された小さな囮の城ですが、300の城兵でよく持ち堪えたものです。 でも300人いたら満員御礼!かも。そのくらいの規模ですね。 遺構的には削平地、堀切くらいでしょうか、しかしここは毛利元就にとっての『出世城』! この合戦後中国の大大名に成長します。 その合戦を見ていた厳島神社はこの日も荘厳な佇まいで観光客を楽しませてくれました。
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