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福山城は駅のすぐ前(正確には駅も城内)なので電車利用の今回はすごく助かりました。 ニの丸神辺一番櫓跡〜神辺城の天守を移築したと云われ、その姿は古写真で確認できます。 伏見櫓(現存・重文)〜この姿が「ひよこ」に見えるのは私だけ… 昭和29年の解体修理で『松之丸東やくら』の陰刻がある梁が見つかり伏見城からの移築である事が 確認されました。 御湯殿(戦災焼失・昭和41年復元)〜内部は物見の間とお風呂に分かれていています。 外部も内部も復元ってことは殿様のお風呂が再現されている! 中を見たいけど鍵がかかっていました(ノ_<。) せり出した回廊でお風呂あがりのお殿様が城下を眺めたりしたんでしょうかね〜何か楽しそう! 月見櫓(明治に壊され昭和41年復元)〜伏見城より移築です。紅い高欄がいいですね。 筋鉄御門(現存・重文)往時は大扉は閉まっていて小さな門(脇門)から出入りしました。 この門も伏見城より移築。 そして本丸です〜かつては伏見城より移した絢爛豪華な伏見御殿が立ち並んでいました。 鐘櫓(現存・市重文)〜時の鐘と半時の太鼓を打っていました。 昭和41年復元の天守〜天守台上から高さ26.36m。内部は博物館。 戦災前の古写真を見ると最上階に雨囲覆板があり不思議な外観をしています。 この雨囲覆板の中は今見る復元天守の姿だったわけですね。 雨囲覆板の天守はパンドン(ウルトラセブンに登場)に似ていると… 天守最上階に再現された御調台〜障子を入れて延広八幡宮の神霊を祀っていました。 定番の名城パネルも飾られています〜指さして「このお城行ったぁ!」とやってしまいますネ。 東から天守〜層塔式天守の完成形です。 かつては鉄板が張られていた北側〜岡山城の金箔瓦みたくリニュアルして鉄板張りましょう! 鏡櫓(明治に壊され昭和48年復元)〜破風の位置が面白い 水野勝成が元和6年(1620)に築いた福山城ですが、西国の押さえとして江戸幕府が面子を かけて金銭援助、専門職人の派遣、そして伏見城、神辺城の建造物移築と全面的な援助をしています。 なので広島城、岡山城、萩城などの西国の城と比べても遜色のない大城郭でした。 しかし今も一二三段状の石垣、巨大な白漆喰の天守、そして櫓も数多くあって壮観なのですが、 何か物足りなさを感じました。それは濠が残っていないせい? 福山駅南口で発見され外濠を、ぜひ史跡公園として復元保存して欲しいです。(内濠は駅構内) でも駅で外濠と本丸を分断される形になってしまいますが、この際贅沢は言わない事にしましょう。 そして福山城の特徴は何と言っても天守北側が鉄板で覆われていた点ですね。 復元時にはなぜか鉄板は無視されご覧のように白漆喰になってしまいました。この事を博物館の 職員さんに尋ねてみると「う〜ん、なんせ昔の事だからね〜どうしてだろうかね〜?」と。 結局真実は分かりませんでしたが(ノ_<。) この天守北側の鉄板と格子が黒から白に、雨囲覆板の最上階等が戦災前と復元天守との相違ですが もし忠実に復元していたら、もう少し人気が出たかもしれせんね。 当時は見栄え重視だった?(特徴をなくしたら無個性の天守になってしまいますぉ) しかし素直に見れば、完成された築城技術の粋を誇る福山城はやっぱり名城です。
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