「御三階」
江戸時代の建築で、明治初年まで鶴ヶ城本丸にありましたが、明治3年にこの地に移されました。
外観は3階ですが、内部は4層になっており、2階と3階の間に天井の低い部屋があります。3階に
上がる梯子は用のない者が上がれないように、上から引き上げる仕組みになっており、当時は密議所
に使用されていたと思われます。また、本丸東北の正方形の石垣の上に建っていたところから、物見
や展望台の役目を果していました。戊辰戦争の戦火で阿弥陀寺が焼失したために、長く本堂として使
用されてきました。玄関の唐破風は城内本丸御殿の玄関の一部を配したものです。鶴ヶ城の遺構とし
て現在残る貴重な建物です。(案内板より)
鶴ヶ城・御三階(会津若松市七日町4−20・阿弥陀寺)
御三階は七日市駅近くの阿弥陀寺に移築現存しています。
あくまでも「御三階」で「御三階櫓」ではないのでこんな感じ。
この玄関部分は移築の際に大書院表玄関が付けらました。
御三階内部の階段はうぐいす張りなのですが、残念ながら非公開(ノ_<。)
こちらは元あった場所〜鶴ヶ城本丸。
実は御三階は明治の取り壊し前に阿弥陀寺さんに貸した物だそうですよ。
本堂などが会津戦争で燃えてお葬式も出来なくなったので、再建するまでの間お願いします…と。
鶴ヶ城側としては移築復元したい意向なのですが、阿弥陀寺さんとの話し合いや移築費用の問題等
色々あるらしいです。
会津戦争・東軍墓地
阿弥陀寺は会津戦争の東軍戦死者1281体の埋葬地でもあります。
9月22日の戊辰戦争集結後、西軍の命で放置され、触るのも許されませんでした。
(西軍戦死者は戦争中に陣地である融通寺に葬られていた)
会津の人々は烏につつかれたり、野犬に食べられたり、腐敗していく戦死者を指をくわえて
見ているしかなかった…
幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのが翌2年2月の事。
埋葬地は長命寺とここ阿弥陀寺に限られ許されたのです。
しかしあくまでも賊軍としての埋葬で「戦死墓」の文字以外は許されなかった。
この話はいくらなんでも酷すぎます…(ノ_<。)
御三階は移築の時に現在の外観に改修されたのかと思ったら、絵図に描かれている姿と同じで、
初めからこの外観だったのですね。
いつかは鶴ヶ城に里帰りする日が来るのでしょうか?
阿弥陀寺にはこの他、新選組の斉藤一の墓もあります。この日も何組かの観光客が
斉藤一のお墓参りに来ていました。さすが新選組、その人気は今だに高いです♪
実は私達も新選組のファンです。
新撰組関連記事はまとめて後日UPしたいと思っているのですが…(;^ω^A
東軍の墓地にお参りしたので次は東明寺にある西軍の墓地へ
会津戦争・西軍墓地(会津若松市大町2丁目・東明寺)
こちらは市内大町にある西軍墓地。戊辰戦争で戦死した薩長ら150人が眠っています。
敵方を埋葬した会津武士の心意気が素晴らしいです!
会津には東軍・西軍と出身地に関係なく数多い戦死者の地がしみこんでいるのです。
会津戦争から今年で140年。
たった140年前の事か、140年も昔の事か…戦争と云えば会津人は戊辰戦争を指します。
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