『朝倉氏の歴史』 朝倉氏の祖先は、兵庫県養父郡の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前 に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、 斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。以後、孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代10 3年間にわたって越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、 北陸の小京都とも呼ばれました。義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。しかし 天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあい灰燼に帰 しました。(パンフより) 足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あい(東西約500m、南北約3Km)に築かれた 戦国大名朝倉氏の城下町と館跡、背後の山城の総称が一乗谷朝倉氏遺跡です。 朝倉氏遺跡入口に建つ石碑です。 一乗谷の北側の谷が最も狭まるところに構築された下城戸 城下町は上城戸と下城戸によって仕切られていて、内側を城戸内と呼びます。 よって下城戸と上城戸は大事な防御施設で、この下城戸は巨石を使用した枡形。 下城戸の北側には幅約10mの濠が廻らされています。 平面復元地区 復元された戦国時代の町並みで〜す。 建物が直接道路に面して建っているのが商人や職人の住居で、裏庭を持つ形式。 左と奥の土塀に囲まれているのが武家屋敷です。 トイレが2つあるの所は商家で多くの人が働くお店だったと思われます。 では旦さまとるなも戦国時代にタイムスリップ!(爆) 復元された武家屋敷〜東西30m×南北30m敷地で、元の遺跡上に30cmの土盛りして 復元されています。江戸時代の武家屋敷より質素ですね〜。 将棋を楽しむ様子。こうして人形があると分かりやすいですね。 台所の様子。今日のご飯は何かのなぁ? では最後に復元模型を。 整然とした町並みはまさに北陸の小京都。都の文化も入ってきて、その繁栄ぶりが偲ばれますね。 復元模型は見ていて楽しい(*^ー゜)b 戦国テーマパークでもある朝倉氏城下町の復元町並を散策して来ました。 いや〜楽しいですね、こういうの。江戸時代の町並復元はありますが、戦国時代はここだけかもね。 この素晴らしい町を焼き払った織田信長は越前じゃ悪者扱いだそうで…(^-^ゞ 戦国時代の城下町は江戸時代と違って武士と町民の居住地区が分かれていなく混住型だったのが 大きな特徴だと。復元町並を歩くと戦国時代にタイムスリップ気分。 無料での着物、甲冑体験場もありますよ。もちろん、るな達は変身! あいにくこの日は小雨が降ったりだったので外には出れませんでしたが、この格好で町並を闊歩して みたかったなぁ(^-^ゞ じっくり見たかったけど、遠征時のお決まり事である時間との戦い、足早に次の朝倉義景館跡へ。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




