『北ノ庄城』 北ノ庄城は天正3年(1575)に柴田勝家が築きはじめて完成をみないまま、天正11年(1 583)羽柴秀吉に攻められ落城した事が記されています。慶長6年(1601)結城秀康の福井 築城に城跡地は含まれ破壊されてしまいました。城の範囲は不明ですが、足羽川と吉野川(のちの 百間堀)の合流点を背にした事が考えられます。江戸時代の文献には福井城の鳩之御門の南、百間 堀に突き出た枡形に天守があったと伝えられています。これらの資料に合致するのが、現在の柴田 神社の地にあたります。(パンフより) 北ノ庄城跡である柴田公園に到着。今回の入籍記念旅行最終地でもあります。 越前戦国家族です。 柴田勝家とお市の方を祀る柴田神社 三姉妹神社はもちろん茶々、お初、お江与を祀っています。 この厳つい顔はまさに『鬼柴田'』って感じ。でも実は優しい男だった柴田勝家・権六さん。 戦国絶世の美女・お市の方さま♡ しかし気になるなぁ〜両像の立ち位置が… 「(´へ`; 慰霊碑 お市の水は城内の井戸を復元したもので、これを飲めばお市のように美人になれる?? チャレンジしたけどその効果は…(笑) 北ノ庄城の根石〜濠の西側の根石 東西方向の濠跡と石垣遺構 資料館には北ノ庄城関係の資料が展示されています。二階からは城跡を見下ろす事が出来ますよ。 発掘された権六さんの?じゃなくて鬼瓦です。丸岡城同様に石で葺かれていたのですね。 辞世の句碑 勝家「夏の世の 夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」 お市「さらぬだに うちぬほども夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」 お市の方は天正10年(1582)10月に再嫁し、翌年の4月24日に自刃していますので 僅か6ヶ月の夫婦だったのですね。しかし織田信孝に「勝家に嫁いで下さい」と懇願された時は 「えっ、勝家!」と驚いたでしょうね。でも勝家はとても大事にしてくれたから良かったのかな。 復元想像図〜越前に来たお市は安土城並のこの壮大な天守を見て、こりゃ凄い!と思ったでしょうね。 秀吉はこの天守を参考に大坂城天守建てたのかな。 前世はお市の方だったと勝手に思い込んでいた(爆)るな念願の北ノ庄城です。 市街地にある小さな柴田公園が城跡ですが、ここはお市の方、柴田勝家ファンにとっては ありがたいほど充実した空間です。敷地内にある資料館は入館無料で撮影もOK^^ それにしても勝家像の隣にお市の方像を立てられなかったのでしょうかね?お市の方に背を向けてる 勝家は前夫・浅井長政に対してヤキモチ焼いて、すねてる権六さん?にしか見えません(笑) これじゃ『戦国・夫婦ケンカの像』ですよぉ(^-^ゞ 大河になる再来年には三姉妹の像を立ててもらって家族5人仲良く並ぶ姿が見たいですね。 公園内には福井城の石垣があるので、北ノ庄城遺構と勘違いしそう。発掘時に見つかった僅かな 石垣遺構は二ヶ所で見られます。この石は笏谷石なのですが、風化しやすい特性のために表面に風化 防止の薬を塗って保存してるそうです。 大好きなお市の方終焉地に立っているんだと思うと非常に感慨深かったですね。 女性が自分の意のままに生きれなかった戦国の世ですが、その運命の中で幸福を探すのも 一つ生き方だったのではないかと。 旅の最後に勝家・お市の方の夫婦円満にあやかって柴田神社でお守りを購入して東京に戻りました。
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