旦さまと私

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愛知県岡崎に7月16日に行ったばかりのるなですが3週間後の8月6日早くも
再訪を果たしましたグレート家康公葵武将隊目的で(笑)
今回のお供は旦さまとお友達のよーぴさん。なので当然マニアック旅行に
 
まずは新選組局長・近藤勇の首塚がある法蔵寺

法蔵寺(愛知県岡崎市本宿町寺山1)

大宝元年(701)行基によって創建されたと伝わる古刹で徳川家康のご先祖さま
松平親氏が伽藍を建立、以後松平家の菩提寺になりました。竹千代(もちろん
家康の事ね)は叔父さん(7世住職・教翁上人)が住職をしていたので手習いに
通ってました。当時の愛用品が寺宝として残されているそうです。門前には東海道。
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山門前駐車場の御草紙掛松(3代目)です。
竹千代が寺の庭に植えた松と伝わり、この松にお草紙を掛けたとか。10数年後に
法蔵寺を訪れた家康は松の成長ぶりに感激して、門前に移植。その後も寺の前を通る度に「いつもの茶を」と頼んでこの松の下でだんごを食べながらお茶したそう
です。
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これまた古そうな本堂だぁ。
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本堂の横にの旗が!左の階段をあがり坂道をのぼると…
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近藤勇先生の首塚〜暑くても厳かな気持ちになります。

近藤勇は慶応4年4月25日東京板橋の刑場の露と消えました。勇の首は塩漬けにされ京都に送られ三条大橋の西に晒されました。それを同士が三晩目に持ち出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼する事になりました。しかし和尚はその半年前から三河国法蔵寺の39代住職として転任されていたので法蔵寺に運ぶことにしました。この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて密かに埋葬するには好適の地でした。しかし当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい無縁仏の様にして香華していました。そして石碑の存在も忘れられてしまいました。昭和33年総本山の記録等に基づいて調査した結果、埋葬の由来が明らかになりました。今回石碑をおおっていた土砂を取り除き勇の胸像をたてて供養する事にしたのです。(現地案内板より)

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総本山である京都の誓願寺で「近藤勇の首塚は法蔵寺に埋葬してある…」との
記録が見つかったと。昭和34年の伊勢湾台風の時に埋葬品と思われる刀
一部が首塚土中から発見されています。う〜む〜なんだか信憑性が高い気が。
でも肝心の首は見つからなかった??
個人的には土方さんもお参りに来た会津のお墓に一票派だったのになぁ。
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台座には土方歳さまの名前が…他の人は知らないなぁ…
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近藤先生の胸像。これって三鷹の龍源寺と同じかと。
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近藤先生の首塚の前は家康のお父さん松平広忠らの墓所です。
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お父さんの墓所裏は東照宮。
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夏の旅行〜「岡崎再び!」の第一弾記事は旦さまの念願でもあった近藤先生
 
首塚のある法蔵寺です。これで近藤先生のお墓は全て巡ったと思ったら、山形県
 
米沢にもあると旦さまに知らされました。制覇ならずじゃん
 
偶然とはいえ松平〜徳川家ゆかりのお寺に埋葬された近藤先生です。
 
徳川家に忠義を尽くした身としては、感無量でしょうね。ちょうど松平広忠の墓所を
 
守る置だし。
 
ふと大河ドラマスペシャル『新選組!!土方歳三最期の一日』のワンシーン〜
 
松平容保公斉藤一に「近藤の首を奪い返して来てくれ!」を思い出しました。
 
首塚の真実はさておき、新選組ファンはもちろん徳川家の史跡も多いので
 
歴史好きに法蔵寺はオススメです。
 
 

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