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慶応元年(1865)5月将軍・徳川家茂の大坂入りに備えて、多くの幕臣が将軍警護と治安維持のために大坂入りをしました。この時に新選組が旅宿(大坂屯所)として割り当てられたのが萬福寺(大阪市天王寺区下寺町1丁目3−82)
今回はその萬福寺を紹介します。ちなみにこの時会津藩は本多忠朝の墓がある一心寺に駐屯。
萬福寺山門は享保年間に建てられたものなので隊士もくぐった門。
往時は『新選組大坂屯所』とか看板が掲げられていたかもね〜ワクワク
大阪では珍しい新選組石碑〜
説明書きもちゃんとあります
庫裏も隊士のいた頃のままで新選組の提灯が置かれていた棚が現存するとの事。
本堂では七番隊組長・谷三十郎ら約30人が寝起きしていたと当時の住職さん
の話が残っています。
本堂裏の庭園が少し見えます(柵があるので近づけません)。かつてここに納屋を改造した牢があって慶応元年(1865)捕縛した漢詩人・藤井藍田を拷問の上、絶命させています
元々萬福寺は文禄3年(1594)に前田利家の弟・前田利信と僧・開導によって
開創されたお寺です。
萬福寺のある下寺町界隈は、寺社がいっぱい立ち並びどこが萬福寺!?って感じ
でなかなか見つかりません…
間も午後4時少し前、ラストに控える真田出丸跡への移動&見学の時間を考えると
気が焦ります。頑張って順に寺社の名前を確かめながらやっと発見!ほっと一息
でも山門には柵あって入れないし…時間が遅かったのですでに閉門?
しかし木戸が開いていたのでそ〜っとお邪魔して急いで撮影
実際に隊士がいた静かな境内で新選組へ想いを馳せるとタイムスリップしそうな
不思議な感覚。やはりその現場でしか感じる事の出来ないものがありますね。
ここにはすべての隊士が滞在していたわけではなく京都からの出張者が。記録に残
っているのは六番隊組長・井上源さん、七番隊組長・谷三十郎、九番隊組長・鈴
木三樹三郎。また沖田総司も故郷へ出した手紙の内容から滞在していた可能性
があります。 以前紹介した京屋・忠兵衛には好きで滞在、ここは仕事場(屯所)とし
ての滞在だったのかと勝手に解釈
帰宅後調べたらここは非公開のお寺のようでして…
のかなぁ…失礼しました(_ _*)_ _*)
大阪で新選組の名が刻まれた碑などがあるのはここ萬福寺と京屋・忠兵衛、
そしてぜんざい事件の石蔵屋跡の3ヶ所のみ。もっと大阪も新選組史跡に
注目して欲しいと思いました
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