千葉常胤の三男・三郎胤盛が武石郷を拝領し承安元年(1171)に構えた城館。胤盛は武石氏を名乗る。まずは真蔵寺へ
武石胤盛が入水自殺した母の菩提を弔うために造営しました。
応永2年(1294)武石当主となった武石胤晴が胤盛の母の供養のために建立
したと云われる板碑。元は須賀原の愛宕古墳にありましたが開発のため真蔵院
に移されました。
正元元年(1259)武石長胤が建立。胤盛の守り本尊が祀られている波切不動堂
波切不動堂横から裏の台地へ
台地上が武石城跡です。
城跡の愛宕神社
城跡は現在耕地。このラインが城跡っぽいですね。
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)京葉道路武石インター
現在『武石』の読み名は行政により『たけいし』に統一されていますが、昔は
『たけし』でした。なので武石城=たけし城が正しい読み方かと。
『千葉の風雲・たけし城』です
現在城跡は耕地、宅地になり完全消滅ですが真蔵院には武石氏ゆかりの
モノも多く、馬加城跡同様に想像力を働かせて楽しみましょう。
源頼朝の御家人として平家追討、幕府開府に貢献した武石氏はその後、戦国
時代まで続きましたが、天文7年(1536)第一次国府台合戦で武石胤親が
討死。武石氏は途絶えてしまいました。
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