連方屋敷は、一辺が130mもある方形の広い屋敷跡で、四方に土塁と堀が巡っています。戦国時代には武田氏の財政面で活躍した「蔵前衆」が居住したとも、「蔵前の庁所(役所)」であったとも言われています。
築造された時期は戦国時代より古いと考えられているものの、史料が少なく、いつ頃造られたのか、どんな人がどんな目的で造ったのかなど謎の多い屋敷跡でもあります。
これまでの発掘調査の結果、礎石建物や掘立柱建物の跡、朝鮮半島や中国で作られた青磁、かわらけとよばれる使い捨ての土器の皿、常滑焼の大甕、内側に把手がついた内耳土器とよばれる土鍋などが発見されました。これらのうち、青磁の一つは13世紀前半から中頃に生産された高麗青磁梅瓶であり、梅瓶の優品は大名など身分の高い層の人々に珍重されることから、築造者は相当身分が高い人物であったと考えられます。かわらけは県内でも出土例が少なく年代の特定が難しい、14世紀中頃から15世紀はじめ頃のものである可能性があります。この時期は、のちに戦国大名として成長する甲斐武田氏が東郡に勢力を扶植し拡大させていく時期で、北東に近接する国宝の清白寺仏殿(1415年建立)、ほぼ真北の安田氏五輪塔(南北朝期)などとも時期が重なる可能性があり、武田氏との関係が注目されます。(山梨市HPより)
南側に石碑と案内板があります。
屋敷図
南側の土塁
郭内は発掘中
東側の土塁
北側の土塁と堀
空堀に佇む女子の図
土塁上から
土塁上から
富士山 見つけたぁ〜
総評 ★★★☆☆ (旦さま私見 ★3つ)
中央本線東山梨駅の東南に位置する連方屋敷。連方?仕分で有名になった
あのお方の屋敷? それは蓮舫さん。 こちらは連方(れんぽう)
一辺約130mの方形館で現在は東と南部分の多くは失われていますが
西と北側には見事な堀と土塁が残されています。土塁には階段があるので
上がって散歩出来るようになっています 。
郭内は発掘中のブルーシートが敷かれていますが、「まだ発掘しているの?」との
声もチラホラ 南側に三軒の民家があるので散策時には近くに行かないように
気をつけました。
躑躅ヶ崎館が武田信玄公の政庁。これに対して連方屋敷は財務省にあたるとか。
掘ったら金目の物 出てくるかなぁ〜
駅からも近くて天気の良い日には土塁越しに富士山 も眺められるステキな
物件、連方屋敷でした。
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