徳川家康は狩猟を好み、各地に狩猟用の「お茶屋」又は「御殿」とよばれる休憩所や宿泊所を建てさせた。慶長19年(1614)家康は上総土気、東金で狩猟を行ったが、船橋御殿の建造もその頃であろうと推定される。家康は元和元年(1615)11月ここに宿泊した。家康の宿泊はこの1回だけであったが、秀忠は其の後狩猟のたびに立ち寄ったと考えられる。将軍家の東金狩猟が寛永7年(1630)頃に終止した後も船橋御殿は存続していたが、寛文末年頃(1670年代)に廃止となったようである。船橋御殿の面積は約404アールで、海老川西側の土手に囲まれた地域であった。その後、この地は大神宮宮司の富氏に与えられ、開墾されて畑地となった。東照宮は富氏が建立したもので、この場所が御殿の中心であった場所であると伝えられている。(現地案内板より)
海老川の西側に船橋御殿はありました。海老川の名前は昔
この地に住む村人が源頼朝にエビを献上した事からとの説
もあるそうですよ
御殿跡南の商店街を御殿通りと呼びます。
御殿通りにある郷御蔵跡(年貢米などを保存していた蔵)
御殿通りで道標を発見 ここで曲がります。この辺りはすでに御殿跡敷地内ですが遺構は市街地化で消滅
道の先に御殿廃止後の貞享年間に建立された東照宮が
見えます。
東照宮と御殿稲荷(右) 『全国で一番小さい東照宮』と
謳っていますが…
確かに狭い境内
手水舎の横には感謝の木札が
横から見るとこんな感じ。宅地の中に埋没状態
以前訪れた埼玉県鴻巣市の東照宮(鴻巣御殿跡)
こちらの方が小さいと思うのですが…石祠だから比較対象
じゃない??
所変わって船橋大神宮です。 東照宮(常盤神社)が造営されるとか。
来年=平成27年10月にここに船橋・東照宮が完成…
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)
『全国で一番小さい東照宮』の東照宮がある船橋御殿跡。
よくある鷹狩御殿=地方宿泊所で東金御成街道の監視等も
担っていました。徳川家康は一度だけ宿泊しています。
この地には船橋大神宮の宮司・富氏の館が中世からあって
御殿造営のため徳川幕府に土地(館ごと??)を献上しました。
伊奈忠政はここに船橋御殿造営。御殿廃止後に富氏に返還
されました。そして御殿跡に富氏が東照宮を建立
現在の社は安政4年(1857)再建で1927年に修繕された
ものです。社の中に家康像があるかなぁ〜と覗いてみると
像じゃなく家康の遺訓「人の一生は重荷を…」の言葉が飾ら
れていました。手水舎には「家康公・秀忠公に感謝」の木札が。
数ある東照宮でもちゃんと「ありがとう! 」を掲げているのは
ここだけかも。良いぞぉ
徳川との繋がりがある富氏の船橋大神宮境内に元々あった
のかなぁ?キラキラ の東照宮(常盤神社)造営されるようで
すが御殿跡の東照宮の影が薄くなっちゃう !?と要らぬ
心配をしてしまいました
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