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徳川四天王を有名な順番に並べると…
本多忠勝、井伊直政、榊原康政、酒井忠次となる?
まてよ…井伊より榊原の方が有名かぁ??
でも大河
個人的に馴染みのない方(ごめんなさい
一方の井伊はアパガードの東幹久君が演じてるし…
そんな事を考えながら榊原康政の眠る善導寺へ行ってきました。
善導寺(群馬県館林市楠町3692)元々館林駅前にありましたが再開発のために昭和58年から
7年の歳月をかけて平成2年現在地に移転。立派なお寺です。
和銅元年(708)、行基により開山。天正18年(1590)館林
城主になった榊原康政が、谷越の地に菩提寺として諸堂を
建立しました。元和元年(1615)、徳川家康が定めた浄土宗
の学問所である関東十八檀林
本堂の裏に榊原康政の墓所がドーン!
がどれがどなたのお墓?
案内板にしっかり出てました。
榊原康政のお墓〜5m46㎝の大きな宝篋印塔。
12歳で家康に仕え、以降数々の戦功をあげますが中でも
有名なのは小牧長久手の戦で秀吉に対して「織田家を裏切り、天下を狙うとんでもないサル!
つけた話し。これに激怒した秀吉は榊原康政の首に10万石
の懸賞金を懸けたとか
徳川幕府では老中職にありましたが、盟友で同じ武功派の
本多忠勝らと徐々に遠ざけられ、慶長11年(1606)5月
14日館林で死去。訃報を聞いた本多忠勝は桑名から館林
に駆け付け、亡骸を抱き起して号泣したと言われています
殉死した側近南直正のお墓。
左より大須賀忠政(康政の長男で横須賀城主)、榊原康勝
(康政の次男で榊原家を継いだ)、花房氏(榊原康政の側室)
のお墓。
関ヶ原合戦の時、徳川秀忠の軍勢にいた榊原康政は上田城
攻めで合戦に間に合わず激怒していた家康を必死の思いで
説得して許しを得ました。これに恩を感じた秀忠。「決して榊原
家を見捨てたりしない。安心せぇ〜
言葉は嘘じゃなく、家督を継いだ康勝が大坂夏の陣後死去。
後継ぎがなく(本当は隠し子がいた!?
潰しのところ、秀忠は榊原康政の長男で大須賀城主・大須賀
忠政の子、忠次に榊原家を継がせています。約束を守ったん
だね秀忠さん
館林城に訪れた際にはぜひ榊原康政のお墓参りもセットで
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