旦さまと私

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 矢沢仙石氏は仙石忠政の子で政俊の弟政勝をその祖とする。寛文9年(1669)政俊が隠居するに際し、その領地6万石余の内、2千石を政勝に分知することを願い出て、許可されたのが、仙石氏分知矢沢領のはじまりである。その村々は矢沢・下郷・赤坂・岩清水・漆戸・小井田・森および林之郷の内(約半分)の8ケ村(いずれも現上田市豊殿地区)であった。
 領主の館としての陣屋は矢沢におかれたが、旗本である仙石氏は江戸に常住し知行所へ来ることはほとんどなく、代官をおいて支配した。
 2代め以降は、政因、政啓、政寅、政和、政寿と継いで、7代政相のとき明治維新を迎える。大名であった本家の仙石氏は、宝永3年(1706)出石に移封されてしまうが、その分家の旗本仙石氏による矢沢領支配は、明治にまでおよんだのである。(上田市博物館HPより)

 
真田氏の後に上田城にやって来た仙石氏分家の矢沢陣屋
です 石垣造りの陣屋は関東にないのでドキドキ
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見事な石垣櫓(蔵?)で目立ちますね
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桝形
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後ろから。
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坂を上がって見る。
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この門は現存らしい。
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東側の石垣
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北側の石垣と堀
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総評  ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

前回紹介した矢沢城の麓にある矢沢陣屋
 
元々は矢沢城矢沢氏の館があってそれを利用して陣屋に
 
したかもです。仙石政勝が上田領からここ矢沢領2千石を
 
分地され矢沢支配がはじまりました。矢沢・仙石氏は江戸に
 
いたので実際支配していたのは派遣された代官の田中氏
 
現在も子孫の方がそのままお住まいになっています。
 
なので内部見学は出来ませんが見事な石垣の塁線外から
 
楽しむことが出来ますよ。どうやらは遺構らしいのですが
 
層の櫓(蔵?)は遺構なのか分かりませんでした
 
説明板や標柱の類はありません。家の方がいたら聞けた
 
のですが…残念。
 
矢沢城&矢沢陣屋はセット訪問ですね
 
 

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