市川城は、享徳の乱初期に発生した千葉氏内紛の際に、宗家側の生き残りであった千葉実胤・白胤兄弟が籠城したが康正2年(1456)、足利成氏に組する馬加康胤、原胤房に攻められ陥落(市川合戦)。この事により水運にて栄えた市河津を背後に持ち府中として栄えた市川は大きく衰退し、軍事的・経済的な要所は宗家方勢力(武蔵千葉氏)が落ち延びた武蔵国石浜城や江戸城、反宗家勢力(下総千葉氏)の拠点の1つであっ小金城に移ることになる。(Wikipediaより)市川城の推定地・真間山の弘法寺
天平9年(737)行基菩薩が建立して「求法寺」と称し、のち弘法大師によって伽藍が造営され「弘法寺」と改められたと伝えられています。元慶5年(881)天台宗となり、さらに建治2年(1276)法華経寺の開基
日常上人の義子日頂によって日蓮宗に改宗されました。(市川市
HPより)
仁王門
仁王門脇の土塁
東の土塁上には鐘楼堂
土塁上
客殿
伏姫桜
眺望
太刀大黒尊天
里見龍神
弘法寺の近くにある木内ギャラリー
明治から大正時代に活躍した政治家・木内重四郎が、別邸
として真間の高台に建築した和洋折衷様式の大正近代建築
物を保存するため、洋館部分のみを移築し、ギャラリーとして
公開しています。
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)康正2年(1456)千葉実胤・白胤兄弟が拠って市川合戦の
舞台となった市川城(市河城)です。しかし場所は特定されてい
ません
すが、当ブログでは違うお城とします。国府台城は太田道灌の
陣城が始りと云われていますし。
さて市川城は国府台の台地のどこかにあった事は確実なの
ですが戦時中に高射砲陣地となり台地は掘り起こされたりして
かなり改変されてしまっているので遺構は見つけられません。 有力推定地が真間山の弘法寺
仁王門の脇に土塁がありますがこれ市川城のものなのか
は??眺望も利くし、元亨3年(1323)に千葉胤貞より寺領の
寄進を受けていて千葉氏と強い繋がりがある弘法寺、お寺を
陣城として利用したとも考えられます。真相は専門家の方々
の研究を待つことにして素人お城ファンのうちらは弘法寺散策
を楽しんで来ました
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