川田館跡は、武田信玄の父信虎が永正16(1519)年に躑躅ヶ崎(現在の武田神社一帯)に館を移すまで、甲斐国統治の中心であった。15世紀後半、信虎の祖父信昌がこの館を築いたといわれる(甲斐国志)が、信虎が築造したという説(王代記)も出されている。
現在でも「御所曲輪」「御厩屋敷」など城館跡に関係する地名が伝えられる。「御所曲輪」と呼ばれる一帯には掘と土塁の痕跡が認められ、土地区画から南北1町(約109m)・東西2町(約218m)に及ぶ規模の館を推定することができる。
昭和62(1987)年甲府市史編纂室によって試掘調査が実施され、15〜16世紀のほぼ信昌〜信虎にあたる土器や擂鉢、大陸から輸入された陶磁器等が出土した。(現地案内板より)
今回は武田信虎さんの館、川田館散策です
仲代達也さんのクルミにぎにぎ信虎良かったですよね。
駿府に送られる時は可哀そうだったなぁ…
川田館跡です。ブドウ畑 の前に案内板アリ。
後方の山は狼煙台跡
館跡に建つ旧家。
水路はかつての濠跡だそうです。
川田館を築いた時に鎮守社に定めた二宮大明神も館跡範囲
内です。
社殿
境内で土塁跡を探すのだぁ
これが土塁跡かなぁ?
境内北の水路(濠跡)
二宮大神宮の西にある寿徳院にも寄ってみましょう。
この延命地蔵さんが有名らしいですね。
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)
武田信玄父・信虎さんの川田館です。館跡はブドウ畑、二宮
大明神などで、館跡の面影はナシ かつて甲斐国の中心地
だったとは思えません。
神社境内に土塁跡があるそうなのですが社殿後方に僅かな
高まりを発見。これなんですかねぇ??…
こういう時こそ想像力を発揮しなきゃ!
館跡周辺の水路はよくあるパターン、濠の名残だとか。
見所は極めて少ないけど案内板があるだけでも儲け物 
永正16年(1519)度重なる笛吹川の氾濫で嫌になった信虎
さん、躑躅ヶ崎館に引っ越します。
武田信虎さん=暴君 のイメージですよね。
実際はどうなのでしょうか?『甲陽軍鑑』はあくまでも信玄公
がヒーロー。父親追放を正当化するために信虎さんを悪人
に仕立てたとも考えられますよね。あと、家を滅ぼされた勝頼
しかし甲斐国を統一したのは信虎さん。ただの暴君じゃなかっ
たはずですね。
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