旦さまと私

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 『新編武蔵風土記稿』によると成田氏の家臣・小宮山氏の城と云う。今の宝勝寺辺から荒川堤防を越えて五反田へ通じる一帯の広い面積と云われる。今なお土地の人々から「城山」「城山池」「小城が池」「元屋敷」「しおきば」「ちょうれんば」「かなやま」「かわだな」「鐘塚」「さぎまち」「おおちょう寺跡」「金乗寺跡」と呼ばれている畑地が残っている。また、鐘塚には伝説があり、昔六人の堂守(鐘番)がいたが敵襲に際し、この鐘を最後まで鳴らしながら六人の者が戦死したという。(現地案内板参考)

  
   


荒川堤防上にある小谷城案内板
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現在の地図と
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昔の地図を照らし合わせて城跡を巡ります
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案内板によると小谷城は『宝勝寺辺から〜
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荒川堤防を越えて〜
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五反田に通じる広い面積といわれ〜 五反田ってどこだぁ?う〜む
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堤防から下りてみる。河川敷は耕地。図によるとこの辺りが
墓塚元屋敷?
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城山池めくら橋はこの辺り?
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宝勝寺
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日枝神社  元は山王神社と呼ばれ小谷城に対して北東
に位置するため鬼門除けとして祀られたとも考えらている
とか。
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案内板に小谷城についての記載があります。
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評価 ★★☆☆☆    旦さま私見(★ 2つ)

埼玉の小谷城は『おだに』じゃなくてこや』と読みます

荒川堤防上の案内板に昔の図がありますので、これを

頼りに散策ね

宝勝寺辺から荒川堤防を越えて五反田へ通じる一帯の

広い面積…』が城域とありますが中心部はおそらく河川敷

耕地に入って歩き回ると泥んこになりそうなので昔の地図

を写したスマホ見ながら「あの辺が○○かなぁ〜」と想像。

道もないしね

新編武蔵風土記稿が出た文政11年(1828)にはすでに

跡形もなかったようです。河川敷なので水害もあったでしょ

うから。こんな感じで何も残っていない小谷城に案内板を

設置して訪れるお城ファンを喜ばせてくれている鴻巣市

感謝ですね。


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