北条家の重臣・板部岡江雪斎の長男の岡野房恒は北条滅亡後の天正19年(1591)に徳川家康に仕え長津田・栗木500石を拝領し長津田陣屋を構えた。以降岡野氏が代々長津田を知行した。長津田幼稚園周辺が長津田陣屋跡です。
長津田陣屋跡から岡野氏菩提寺・大林寺を望む。
明治になり岡野家が屋敷を建てたので『殿様屋敷跡』とも呼ばれていました。
幼稚園前の道を東に行くとコメダ珈琲とマンションの間に
ちょっとした垣根が…
そこに陣屋内にあった八百屋お七稲荷社があります。
菩提寺・大林寺には領主・岡野家の墓所があります。
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)長津田幼稚園周辺が長津田陣屋跡ですが遺構は消滅
現在は『長津田』の地名ですがかつて幼稚園から岡野家
菩提寺・大林寺にかけて『御前田』と呼ばれていました。
御=殿さまの 前田=田んぼの前〜との意味。田んぼが広
がっていたのですね。殿さまは江戸にいて実際領地を任されて
いたのは家臣でその後名主さんに代わったようです。
コメダ珈琲とマンションの間にある『八百屋お七稲荷』は
江戸大火で有名な『八百屋のお七』に関係するお稲荷さん。
お七の取り調べを行ったが中山勘解由ですが岡野氏三代目
の平兵衛房勝も同じ盗賊追捕役で、吟味に関係し、処刑時に
馬の手綱を持ったとか
火事
「これはきっとお七の崇りだぁ!」
ために建てたのが『八百屋お七稲荷(福寿稲荷)』です。
道を背にして、しかも垣根の中。マンション側からしか拝むこと
が出来ません。人目を避けてる…?やっぱり崇りがある?
な〜んてね
領主岡野氏の祖・岡野房恒は大河・真田丸で勇名になった板
部岡江雪斎(北条滅亡後、苗字を板部岡から岡野氏に改めま
した)。徳川家の旗本として代々仕えるのですが最後の領主、
岡野由成は江戸無血開城後徳川家に付いて駿府へ。駿府藩
士として勤め駿河富士郡原村に住んでいましたが、廃藩置県
後帰農を願い出て長津田に戻ってきました。その時、屋敷を
建てたのがかつての陣屋跡、現長津田幼稚園の地
現在何もない、長津田陣屋跡ですが興味深く調べられたのは
『板岡部江雪斎の息子さん陣屋』と云う真田丸
やっぱりミーハーなうちら |

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