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大河・真田丸では斉藤由貴演じる徳川家康の側室・阿茶局が
活躍してますね。
阿茶局の墓所の記事でも書きましたが家康には茶阿局と
云う側室もいて紛らわしい
あちゃちゃ&ちゃちゃちゃとしてユニット組んで欲しい
今回は斉藤由貴じゃない方の側室茶阿局さん記事を。
茶阿局ってどんなお方?…(Wiki参照)名をお久。遠江国金谷村の鍛冶屋兼業農家の嫁で、お久が美人であることから代官が横恋慕し、夫を闇討ちにするという事件が発生する。謀殺された夫の仇を討ってもらおうと、鷹狩に来ていた徳川家康の一行の前に飛び出して直訴し、代官は処罰されることになった。家康は美しいお久を一目で気に入り、3歳になる娘(於八)と一緒に拉致に近い形で浜松城に連れ帰り、側室として「茶阿局」と呼び、厚く寵愛した。天正20年(1592)後の松平忠輝、辰千代を生む。聡明であったため、奥向きのことを任され、強い発言力と政治力を持っていたと言われる。元和7年(1621)6月に病死。法名は「朝覚院殿貞誉宗慶定禅尼」
美貌に惚れた家康が拉致って側室にしたのね。
職権乱用のエロたぬき!
東京都文京区小石川4−15−17 宗慶寺お墓がある宗慶寺へ 播磨坂の途中にある近代的なお寺。応永22年(1415)了誉聖冏上人による開基。当時は伝法院。慶長7年(1607)家康の母、於大の方が没し、伝法院を菩提所とするよう命を受けたが境内が狭く、新しく一寺を開創し、菩提寺としたのが今の伝通院。伝法院は家康の死後、剃髪した茶阿局(宗慶尼)の隠棲所になり法名から宗慶寺と改名。説明板があります。
本堂の階段の横にある宝篋印塔が茶阿局のお墓。ポツーン
と。何だか寂しい…
家康の死に水を取った阿茶局。しかしは忠輝は面会されも許されなかった…元和2年(1616)秀忠の怒りに触れた忠輝は越後・高田を改易され流罪に。この時、茶阿局は阿茶局に取り成しを依頼し奔走しましたが、聞き入れられませんでした
屋根の向こうには庭園が広がっています
家康が思わず拉致ったほどの美人・阿茶局。どのようなお顔
だったのでしょうかね。実は肖像画が伝わっていたのですが
戦争でお寺ごと消失…
仕方ない、想像しましょ… 美しいお姿を
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