獅子浜城は、鷲頭山が、西に向かって駿河湾に大きく突出した丘陵を利用して築かれている。館は本能寺境内にあったといわれ、東側は鷲頭山の急崖、北側に砦、南側に詰城が築かれており、三方が要害となっている。このため海上方面の防備、陸上の根拠地として、小田原北条氏の要害地であったと思われる。この地により、南の陸上交通は完全に遮断される。
詰城は館の東南にあり、半独立丘状を呈し、二つの郭で構成されている。砦は東西に伸びる尾根上にあり、空堀で背後の山と区切られている。また、鷲頭山上が見張り台としてり利用されたといわれるが、明確ではない。
創築年代は不明。後北条氏が伊豆に侵攻し領国化した時期には存在したと思われる。天正4年(1576)頃に北条氏の大石越後守が守備していたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに際し、ここを退去。以後、廃城となった。(沼津市HPより)
位置関係を(沼津市HPより)
居館跡の本能寺へ。「居館は本能寺にありぃ…」てか
オシャレな本能寺本堂。寺の名前→信長→六角形屋根が
安土城天主を彷彿させる?
境内。居館跡の遺構はないようです。
海抜160mの詰城を望む。
出城を望む。
出城にチャレンジ! でも途中扉があって立入禁止らしい…
扉の先に続く登山道…残念
総評…詰城、北出城は未確認のため評価なし m(__)m
北条水軍の拠点・長浜城(沼津市)の前線基地だった
獅子浜城。居館、詰城、出城の3つから成ります。
本能寺の地が居館跡。境内に獅子浜城関連の案内板等がな
いか探しましたがないようです。丁度、出掛けるところの住職さ
んとお会い出来、獅子浜城について尋ねました。
「詰城に登る道は埋もれてないに等しい。出城には昔、
企業の保養所があったけど今は取り壊され、荒れ放題。
こちらも道は途中まででその先は埋もれてしまっている。
でも貴重なお城の遺構なので将来的に整備したいと思っ
てはいるのですが…」との事。忙しい時にありがとうござい
ましたm(__)m
遠征先で時間も限られているので、とりあえず比高の低い
出城に行ってみることに。414号を沼津方面に行くと階段が
あります。しかし途中、扉が…閉まってるし 。脇から入れるけ
ど無断侵入になるから断念しました 。帰宅後ネットで調べると
住職さんの話し通りかなりのヤブのようです…
獅子浜城…北条水軍を調べると名前よく出てくるだけに
現状が残念。出城には堀切などの遺構があるそうなので
今度、許可得て、再チャレンジしたいですね。
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