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善光寺のすぐそばにある横山城
主郭に建つ健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけ神社)。長い名前だなぁ
社殿です。 あ、指が…
社殿裏の土塁
堀切跡と思われる道路
城山公民館、蔵春閣の敷地もかつての城域
案内板あり
蔵春閣から主郭を見下ろす。高台に築かれているのが分かりますね
蔵春閣から長野市の眺望
総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)川中島の合戦時、上杉謙信の拠点となった横山城は善光寺の東隣、
健御名方富命彦神別神社の地が主郭。神社の境内は二段となって
いて区画的に二段の主郭なのか、二郭なのかは不明?
社殿の裏に土塁が残っています。
案内板の場所が見つからず城山公民館の職員さんに訊いたら
ご親切に城の説明と普段は立入禁止
下さいました。屋上からは長野市が一望出来て、謙信がなぜここを
拠点にしたのか分かりました。
神社周辺以外かなり改変されていているので城の様子を知るのは
難しいですね。
気になったのが川中島合戦時の善光寺。善光寺にも当然ながら
兵が駐屯していたのでしょうね。詳しく調べてみよう
横山城は善光寺と共に存続したと考えられ、南北朝時代から川中島合戦に至るま
で軍事拠点として重要視された城である。
弘治元年(1555)村上義清、高梨政頼らに援助を求められた上杉謙信は川中島に
出陣し川中島の合戦が本格化した。武田側は大塚に布陣し旭山城に籠る栗田氏を
支援した。これに対して上杉側は善光寺横山(城)に布陣。武田側の旭山城に対し
葛山城を築きこれに応戦した。上杉側は川中島に出陣する時は横山城を軍事拠点
として武田軍との戦に臨んだ。(現地案内板より)
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