先日所用で上野に行ったのでちょとばかり上野の山散歩
西郷さんの銅像 もしかしてちゃんと見るのははじめてかも。
明治31年の除幕式で西郷嫁・イトさん が「うちの人はこげな人ではなかったこてえ 」と言ったのは有名な話。そして「浴衣姿で犬の散歩しませんけど 」…と。一番気になるのはこの発言に対して周りの役人さんはどうしたのかと… 有無を言わさず奥さん退場させられたりして…
西郷さんの銅像は皇居前広場に建立の計画があったのですが一度は賊軍となった人なので、そりゃマズイでしょとなり、ゆかりの地である
ここ上野の地に決まったそうです。また最初は軍服姿の予定でしたが
これも賊のイメージに繋がるからマズイでしょとなり浴衣で狩猟中姿に
決まったそうですよ。でもなんで鹿児島の西郷さんは軍服??
愛犬ツン 。ツンは本当はメスなのですが、像のモデルになった
薩摩犬がオスだったので、そのままオスになってしまったのです
こんなんで良いのかいなぁ〜
西郷さんの銅像のすぐ後ろには上野戦争で江戸っ子の意地を見せた
彰義隊の墓所があります。皆さんご存知のように上野戦争で彰義隊
を壊滅されたのは西郷さん。
雨ざらしのまま放置されていた (新政府軍得意の埋葬禁止のため)彰義隊士の遺体を円通寺の住職らが火葬した場所に建ちます。新政府を憚って「彰義隊の墓」ではなく「戦死之墓」と刻まれています。
実はこの墓石は二代目で初代墓石は下の写真←の小さなもの。明治2年に寒松院と護国院の住職さん達が密かに近くの土の中に埋めたもので、後に掘り出されて二代目墓石の前に置かれています。この初代墓石にはしっかりと「彰義隊戦死之墓」と刻まれています。(アップ写真がなくてゴメンなさい )
英語表記だとショウギタイ・ウォーリアーズ 何かカッコイイね
この上野合戦の絵は史実に忠実に描かれていると云われています。
黒門は荒川区南千住の円通寺に移築され現存。
彰義隊の墓所から見た西郷さんの銅像↓新政府の許可を得て彰義隊の墓が建立されたのは明治7年。西郷さんの銅像建立時にはすでにありました。なぜ場所を目の前にしたのか?何も考えなく偶然だったのか?
一度は賊となった西郷さんですが「かつては天皇家のために後ろの賊徒・彰義隊を成敗したんですよ!」をアピールするためか?それじゃ白虎隊の墓所の前に板垣退助らの銅像を建てるのと同じやん!(ちょっと違うか )
この逆を考えると…
実は上野の山は靖国神社建立の候補地として挙がっていたのです。しかし大村益次郎(上野戦争の総指揮官)の「上野の山は彰義隊の亡魂の地」の反対意見で現在の九段になりました。この事から考えるに…
もしや西郷さんの銅像は彰義隊の御霊を鎮めるため新政府が生贄としてあえて目の前に建立した??墓所から見ると背中を向けた西郷さんは隙だらけ… 「彰義隊の皆さん〜さぁ〜やっちゃって下さい 」ってか。賊徒・西郷を新政府は許していなかった!?
こんな妄想をしてみたくなる西郷さんと彰義隊墓所の位置関係なのです。
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