『清水城』市指定史跡 『栃木県誌』などによれば、安貞2年(1228)、佐野国綱が岩崎義基のために築いたとある。 後、子孫が代々居住したが、永正年間(1504〜21)、義基12代の孫、左馬介重長が岩崎城 へ移り、大永元年(1521)、佐野秀綱の居城となる。慶長19年(1614)佐野氏改易と共に 廃城となる。寛永12年(1635)、興聖寺が田之入(田之入町)からこの地に移され、現在に至 っている。 城跡の規模は、東西116m、南北133mのほぼ方形である。四方に土塁と、その外側に堀の遺 構が残る。古絵図によると、大規模な城の本丸がこの城跡に当る。この城跡は本丸、北二の丸、南ニ の丸、三の丸からなり、それぞれ曲輪が水堀で囲まれていた。さらに周辺には侍屋敷があって、有力 な家臣が配置されていた。(現地案内板より)清水城の地図↓ http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.34684526&lon=139.57936718&sc=2&mode=map&pointer=on&home=off 清水城本丸跡には興聖寺が建っています。標柱&案内板の黄金コンビもありますよ(*^ー゜)b 山門を入ると塀で枡形を表現している? 本丸跡である興聖寺境内〜土蔵が渋いっす 境内から土塁の上に上がってみました。 北側の堀〜堀幅はこの辺りが一番ありますね。 南側の堀〜1月だというのにこんなに茂ってて見づらい…\(−"−)/ 東側の土塁 調べたら『清水城』って城名は結構あるのですね、なので「次郎長親分はいませんが清水城です!」 の書き出しは使えませんでした(笑)すいません〜栃木県佐野市の清水城です。 興聖寺が建っているので、『興聖寺城』とも呼ばれていますが、標柱に従い清水城でいきますね。 方形にお寺を囲って土塁と堀が残るので、単郭の城館と思ったら、他にも曲輪が存在したらしく、 唐沢山城〜佐野城を守る重要な支城として、機能していたのですね。 山門を入ると、枡形になっているのですが、これは清水城の枡形を踏襲した思われます。 堀は空堀ではなく水堀だったらしいのですが、今は水はおろか、かなり狭まれてしまったのが悲しい です…(ノ_<。) しかし、これだけ残っているのですから、貴重ですね(;^ω^A 道の駅「どまんなかたぬま」からも近いので、イチゴ狩りの帰りにでも寄り道する価値は充分ある 清水城です。
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