麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城である。当城は、この地の豪族白倉氏の居城であり、約500m東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれ、別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態といわれている。
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こんにちは、ゲストさん
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麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城である。当城は、この地の豪族白倉氏の居城であり、約500m東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれ、別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態といわれている。
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ここは前回紹介した小幡陣屋・拾九間長屋の中。
本日はあるお方にお目通りにします
そのお方とは…
「そちかワシに会いたいと申す女子は。よし顏を上げぃ〜」
「ワシが織田信雄じゃ!ちなみに引退だけどスケートの信成はワシの末裔じゃよ。」
長屋内には織田信雄さん
和睦したのも、秀吉からの国替えを拒否したのも…み〜んな信雄さんなりの考えあっての事…たぶん、きっと…全部裏目に出たけど
信雄さんの書状 なんて書いてあるのかわかりましぇ〜ん
ご安心を要約アリ。小牧長久手合戦の際に家臣に送ったものですね。
小牧長久手合戦関連の年表もあります。
どうですか長屋内はちょっとした信雄さん博物館でしょ
崇福寺(甘楽町小幡1416)の織田七代の墓所。
信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富と並んでいます。
はじめは宝積寺が菩提寺でしたが四代・信久がここ崇福寺を菩提寺
としました。かつては回廊が墓所まで続いていて各墓所には母屋が
ありましたが宝暦8年(1758)に焼失。その後再建されましたが明治4
年に再度全焼
こちらが織田信雄さんの墓所。三代目までのお墓は宝積寺から
移されました。 隠居後京都・北野にある屋敷で寛永7年(1630)に亡くなりました。享年73歳。将軍家光から江戸城の茶会に招待されていることからも長生きした〜って感じしますね。
明治4年の火災で辛うじて焼け残った位牌が位牌堂に安置されています。覗いてみると信雄さんの位牌もありました。
再び小幡陣屋に戻り、陣屋周辺散策です
挟んで武家屋敷が並んでいました。
食い違い郭 陣屋が復元整備される前、小幡陣屋の紹介で必ず載って
いたのがここ。陣屋の遺構かと思ったら武家屋敷(山田家)のものでした。防衛のために造られましたが下級武士が上級武士に出会うのを避けるために隠れたとも云います。サムライも身分制度のため大変だった
のですね。エピソード的に大河・龍馬
武家屋敷・松平家。ペリーがやって来た時に江戸城大奥の女官ら
15〜16人を将軍がこの家に疎開させたとか。小幡藩は親藩だったので。
松平家の庭園 「流れのない静かな池で大奥にふさわしい庭園」〜案内板より。大奥ってあったから小幡藩に大奥があったと思いましたよ。
中小路の中でも大きな高橋家は勘定奉行さんでした。
松平家・高橋家ともに現在居住者さんがいますが一部分のみ好意により
見学可能です。ありがたいですね。
織田家中から「三介殿のなさることよ…」と毎度呆れられた信雄さん。
最大の功績は織田宗家の血を後世に残した事と言われますね。
ある意味暗愚だから良かったのかも。秀頼の例があるからね。
波乱万丈の人生、大河ドラマにしたら面白いかも。
大坂の陣では西軍の総大将にされそうになるとマズィ〜
抜け出し家康についたりしているし。
視聴者に「何やってるんだよ〜普通ここで秀吉と和睦しないだろう!」とか
毎回ツッコまれるの(^^ゞ 実はおバカさんを演じているしたたかな男の
設定でね。テーマは生き抜く
るな「最後に質問です。安土城を燃やしたのは貴方さまですか??」
信雄さん 「ノーコメント…」
こんな信雄さんに会えちゃう小幡。機会がありましたらぜひ
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元和元年(1615)大坂の陣で功のあった織田信長の次男・織田信雄は大和国宇陀郡3万石と上野国甘楽郡2万石合わせて5万石の大名となった。元和3年(1617)信雄の四男信良が上野国甘楽郡2万石を分封され小幡藩を立藩した。はじめは福島村に陣屋を設けたが寛永19年(1641)三代信昌は小幡に陣屋を築いて移住。藩邸は旧小幡氏重臣熊井戸対馬守正満の屋敷を利用したものと言われている。ここは山紫水明の地で、水豊かな雄川の段丘に位置している。織田氏は2万石の藩主として8代約150年間統治に当たったが明和事件により明和4年(1767)出羽国高畠に移封された。代わって松平氏が藩主となりこの藩邸を本拠として4代約100年続いて明治維新に至った。楽山園は江戸時代に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園で戦国武将庭園から大名庭園に移行する過渡期の庭園と位置付けられ京都の桂離宮と同じ特色があります。小幡陣屋図 内郭、外郭、庭園から成りますが庭園がウリだけあって一番広い
敷地面積
武士の公式な出入り口だった中門
謹賀新年〜門松
門跡
土塁と空堀 角々していてまさに復元〜って感じ
難しいのかな。
正月なので餅つきに参加。 気分はクールポコってか。右のサムライさん「なにぃ〜やっちまったなぁ〜
藩邸の使用人が暮らしていた拾九間長屋
藩邸御殿跡 東側は広間などの公的空間、北側は台所、西側は生活空間。
小幡陣屋と言ったらこの楽山園
大名庭園
楽山園の梅の茶屋
梅の茶屋からの眺め。気分は信雄さん
藩邸御殿復元模型(長屋内に展示)
凌雲邸では抹茶
歴史民俗資料館の斜め前にある大手門礎石
総評 ★★★★☆ (旦さま私見 ★4つ)今年の初城詣ではお正月
門松、餅つきサムライ、優雅な庭園、抹茶…と、くればまさにお正月
訪れた正月2日は小幡陣屋2014年度公開初めの日。開園時間前に着いたうちら
は今年1番目のお客さんと言う事で楽山園ミニカレンダーを頂きました
小幡は織田信長の次男坊・信雄さんの領地で「織田宗家の城下町〜小幡
プッシュしています。武家屋敷も残っていて城下町の風情も楽しめます
でも信雄さんが居たのは小幡でも大和国でもなく京都ですが…
陣屋は現在・国指定別名勝の庭園・楽山園として整備・復元されています。
なので門や長屋などの建物は復元したもの。土塁、堀もそうかと。
中門は実物見たらそのデカさにビックリ。
拾九間長屋は群馬のからっ風がピューピュー吹く
い場所でした。内部には陣屋、織田信雄さん等の資料や大型スクリーンで小幡の
歴史&見どころを上映。信雄さんについては次回取り上げます
信雄さんが気合いを入れて造った楽山園はお見事!
季節にもう一度訪れたいですね。とにかく寒かったんですよぉ
楽山園が完成したのは小幡陣屋より前なので初めはただ単に信雄さんの別荘
庭園として造られたようです。抹茶の頂ける凌雲邸からも眺められますよ。
関東で唯一織田家ゆかりの地・小幡。町一押しの楽山園のある小幡陣屋
楽しめました
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築城者、年代は不明だが安中城と松井田城の中間に位置し、碓氷川の渡河点を押さえている事から安中氏によって築かれたと推定される。簗瀬城縄張図(日本城郭体系より)
本郭北東の虎口にある標柱。斜めっている?
本郭内には城山稲荷神社が鎮座
境内から土塁を
この部分の土塁が一番高く矢倉台と思われます。
本郭の東側堀跡。右の郭跡は住宅地
南側です。左手はすぐ崖
本郭西側の堀跡。左手の郭跡も住宅が立ち並びます。
北側。ここが一番の見どころですね。
本郭土塁上から見下ろせば素晴らしさ倍増
総評 ★★★☆☆ (旦さま私見 ★3つ)5月のGWに訪れた群馬県安中市。まだ簗瀬城が残っていました…
こりゃまずい
城山稲荷神社のある本郭以外は宅地、耕地になり消滅していますが、
本郭の北側と西側の土塁は良く残っています。
特に北側の土塁は二重土塁で堀も確認出来ますよ。他の堀はコンクリ舗装道路
と化し味気ない
高低差に往時の要害ぶりが想像出来ますよ。
安中氏のお城と推定されていますので、武田信玄の侵攻時に攻められて
いるのでしょいうか? もしや近くにある八幡平首塚の首ってここの城兵のもの?
…勝手な妄想は続く
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| 後閑城は嘉吉・文安の頃(15世紀中葉)、信州の依田忠政が築いたと伝えられています。上後閑の長源寺にある文明2年(1470)10月3日付けの依田信濃入道寄進状もそれを裏付けています。この城は、後閑川と九十九川の合流地点に突き出した、南北につづく丘陵の末端部分に築かれた山城です。この山城は四ヶ所の掘切で断たれ、南端の最も高い部分に本丸があります。本丸は南北約60メートル、幅約30メートルで、西には階段状に3つの大郭(西第一〜西第三郭)がならび、東にも階段状に郭(東郭、東郭群)が並んでいます。また本丸の東南と西南には枝尾根が分岐していて、それぞれの尾根の基部は掘切で断たれています。
これにより二の丸と南郭は本城から切り離され、いわゆる一城別郭の構造になっています。二の丸は本丸より約16メートル低く、大堀切に面して櫓台が築かれています。 このたび後閑城址公園整備にあたり、発掘調査を行いましたが、本丸虎口部分の柱穴、二の丸櫓台上の柱穴の他には、建物に関係する遺構は検出することができませんでした。 (現地案内板より) 後閑城縄張図
さぁ登りましょ 右手に西第二郭
見所のひとつである北第一堀切 深さも幅も十分でしょ。
やっぱりよじ登るのは大変や
段々になっている北郭群
北第三堀切 未整備堀切に萌える方はかなりなお城マニア
北郭 「僕、ナナフシ。ようこそ後閑城へ」
本郭虎口からの眺望
本郭
東郭 何かいるかぁ?
二の郭には推定再現された物見矢倉があります。
みんなぁ〜ご飯だよ。じゃなくて敵が来たぞぉ〜
南郭から本郭を見る
総評 ★★★★☆ (旦さま私見 ★4つ)ブロ友さん達の評価が高い後閑城。 実際訪れ、その素晴らしさに高得点
車で上れる楽チン山城+木々が伐採され素晴らしい遺構が見やすい+建物
がある(ここは推定でけどね)
広いと対向車を気にしないですむのに
駐車場は2ヶ所あるようですがうちらは第三西郭に。ここから本郭目指してGO
大規模な北第一堀切に感動
と、ばかりにチャレンジしましたが、結構滑るし大変。甲冑を纏った武者さん達は
上から石、矢、鉄砲で狙われてもっと大変だったろうなぁ〜と。気になる三本目の
堀切は公園化の時にあえて未整備にしたのか? ←そんな事はナイでしょうが…
本郭からの眺望は素晴らしく群馬の名峰が眺められます
く並んでいて異様な雰囲気も。またここだけ芝生が少なく、芝生公園的は他の郭と
別格な聖なる本郭
段々状の東郭群から物見矢倉の建つ二の郭へ。本郭と二の郭間は大堀切に
よって断たれた一城別郭と言われる構造(どこかのお城もそうだった記憶が)。
物見矢倉に登れますが、震災時は大丈夫だったの??と思うくらいに揺れます
大堀切を通って南郭を見学し、後閑城散策は終了。
GW真っ只中の訪城でしたがうちらの滞在時間中に他の見学客は2組。穴場スポッ
トな上に(中世城郭の殆どがそうですが)素晴らしい遺構を満喫出来る後閑城、
お勧めですよぉ。
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