旦さまと私

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お城散策(群馬県)

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旦さまと群馬県のお城巡りをした記事です。歴史なんかも簡単に載せてあります。
九州旅行の書庫にも熊本城、知覧城などの記事がありますので、興味のある方は見てみてください♪
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 この城は戦国時代上野国守護代白井長尾氏の出城として、箱田地衆によって築かれたと考えられますられる。城の形式は丘城で、長袖140m、横幅75mと西北ー東西にやや長い。山頂を内郭としてその周囲に土居、土居の外側に濠、更にその外側に土を盛った高土居となっている。城の東西に追手虎口、西南に搦手虎口が開き、両虎口ともに内枡形様の構造をもっている。搦手の内側には武者屯、北角には櫓台があり、中世末期城郭の築城法がわかる好遺構である。(現地案内板より)

城山麓のセンブンイレブンから望む箱田城です。
好き嫌いは別としてやはり模擬天守(むろん本物も)があると目立ちますね。
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案内板に掲載されていた縄張図
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まずは主郭下の帯郭にある標示板を見ましょう。
塵除け(右側は堀跡)               搦手〜後方は主郭の切岸
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堀跡                                             帯郭
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次は主郭跡〜「たちばなの郷 城山(温泉旅館)が建っています。
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どうですかぁ〜見事な模擬天守振りでしょ
一階〜ロビー、食堂、客室等、二階〜客室。三階〜展望室(出来れば廻り縁が
欲しいかったなぁ)になってます。あとミニ資料展示スペースがあれば良いのに。
でも田舎の方にこんな感じのお金持ちの家ありますよね
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パンフ貰って来ましたよ。一度宿泊してみたいなぁ〜
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主郭の標示板&遺構を見ましょう。
櫓台〜全然台じゃないけどね。          虎口です。
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武者屯〜土塁も残存。              城跡標柱もちゃんとあります。
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しかし一番のおススメはこの微笑ましい夫婦像
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眺望を〜正面は榛名山かな。
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帯郭の下には日帰り温泉「ばんどうの湯
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総評  ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

 ひろさんのブログで初めて存在を知った箱田城ですが、一郷山城以外に群馬県
 
に模擬天守があったんだぁ〜天守建築好き夫婦としては行かなきゃ!」
 
まずお城の遺構ですが、1973年の旅館の前身・老人福祉センター建設で
 
破壊された部分も多いかと思われます。帯郭の堀はほとんど埋れたのか埋められ
 
のかで、よくわかりません 掘り直して、整備すれば中世城郭ファンも納得する
 
のにね。でも個人的は各遺構に標示をしてくれてて好印象。さすが天守旅館が建っ
 
ている城跡ですね。でも塵除けって何だぁ??
 
模擬天守の旅館・たちばなの郷は7千〜9千円くらいで宿泊できますが、日帰り
 
入浴もあります(4時間500円)。でも帯郭下にも日帰り温泉施設・ばんどうの湯
 
(300円〜1時間超過毎に200円加算)があり、ひとつのお城に二つの温泉施設
 
がある珍しいパターン しかし入浴料安っ!東京は高いなぁ〜と再確認。
 
お城巡り後に温泉を探す手間のはぶける箱田城ですが、この時はまだ昼前だった
 
ので入浴せず次の目的地へと向ったのでした。今思うと何か損した感じ…
 

 元久2年(1205)6月23日鎌倉幕府御家人・畠山重忠及び重秀父子が戦死すると菅谷館にいた家人の宮野友右衛門左近が重秀の子とその母(足立遠元の子)を連れて碑文谷(東京都目黒区)に逃れ、暫くして母子だけが母の実家である桶川の足立遠元屋敷に落ち着き、承元2年(1208)同族の上野国守護である安達景盛に招かれて佐貫庄篠塚に住み、健保6年(1218)に元服して篠塚重興と称し、承久2年(1220)17歳で篠塚領主となる。篠塚4代の嫡孫が新田義貞四天王として名を馳せた篠塚伊賀守重広である。                  篠塚城は総面積3.5ヘクタールと広大であり、伊賀守の時には内濠と外濠とに囲まれた二重濠形式となった。現在は土壕の一部と八幡神社(戦後現在地に移転)、毘沙門堂(当時の大手門付近)が残っている。(「郷土の豪傑〜篠塚伊賀守」より)

 
 
篠塚城に行く前に城主・篠塚伊賀守の菩提寺で御廟のある大信寺(邑楽町大字
篠塚3999−2)に寄りました。
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6尺5寸(195cm)で240cmの金棒をぶん回す怪力大男・篠塚伊賀守重広の等身大パネル  るなも助太刀じゃ
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御廟所
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伊賀守の宝篋印塔 
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この石をお手玉として遊んだ!?         一人で担いだと云われる碇石    (お手玉石)                     (レプリカです)
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開基堂                        伊賀守ゆかりの三ヶ所交流記念碑                              (篠塚・魚島・波崎ね)
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ここからは篠塚城散策記事です 
篠塚城要図(住職さんから頂いた資料より)
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城跡の八幡神社
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倒れていますが… 城跡を示す木札。
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僅かに残る濠跡
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土塁も僅かに残っています。
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こちらはかつての大手門の位置にある毘沙門堂
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一応城跡を撮ったのですが…もう真っ暗
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総評  ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)

新田義貞四天王篠塚伊賀守重広の居城(館)篠塚城です。
四天王〜他の3人は畑時能、由良具滋、栗生顕友
 
菩提寺である大信寺の住職・岡田さんは地元が生んだ英雄・伊賀守を皆に
知っもらいたいと小冊子を発行、等身大パネル製作など宣伝活動しています。
訪れた時ちょうど新聞の取材中にもかかわらず伊賀守について色々とお話を
聞かせていただきました。ありがとうございました。
境内には伊賀守の宝篋印塔、等身大パネル、怪力(御先祖の畠山重忠ゆずり?)を示すお手玉石・碇石etc…ちょっとした伊賀守テーマパークですヨ。
 
現代ではマイナーに属する(失礼)武将ですが、義貞に従った鎌倉攻めの功績に
より後醍醐天皇から伊賀守を賜り、その活躍ぶりは太平記に7回登場。江戸時代には歌舞伎にもなりました。義貞の死後、脇屋義助に従い各地を転戦。四国〜沖之島より常陸に上陸後しばらくして消息不明に…足利の天下で南朝の武将は身を隠して暮らすしかなかったのでしょうか。
 
篠塚城はかつて二重の濠に囲まれていたそうですが、現在は八幡神社と毘沙門堂付近にその形跡があるのみです。
神社の祠裏にある濠跡土塁が唯一の遺構です。濠は内濠の跡でしょう。
案内板はありませんが、手書きの(個人製作かな)「寿 篠塚城跡」の木札に愛情
が感じられます。木棚が倒れているのは非常に残念ですが…
邑楽町で予算を捻出して地元の英雄ゆかりの地を大事にして欲しいです。
(大信寺の住職さんを見習って下さい)
大手の毘沙門堂がなかなか見つからず、とうとう日が暮れてしまいました。
しかし、せっかく住職さんに教えて頂いたので諦めるわけにはいきません。
道を尋ねてようやく辿り着きました。林の中にあったので、暗くて見えなかった
のです。
 
今回の訪城で知った篠塚伊賀守ですが、地元の英雄を皆に知ってもらいたい
という住職さんの熱意に胸を打たれました。等身大パネルはインパクト大!
新田義貞を主人公にした大河ドラマが放送されたら伊賀守の地名度もあがる
のにね。
 

 鶉新田字小城にある、多々良沼に突出した「荒間崎」と呼ばれた半島部に築かれた城である。城名については葵下坂といわれた幕府御用鍛冶康継二代の弟が、この地に住み脇差に「鶉古城打」という銘を残しているところから江戸初期、すでにこの名称が使われていたものであろう。
 城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向かって直線にのびる、高さ3m、長さ250mほどの土塁と、その西側に沿って空堀がある。
 元弘3年(1333)5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、その弟の僧彗性・荒間朝春らはともに逃れて来て、ここに築城。応永年間(1394〜1428)には多々良四郎忠致の居城となり、さらに戦国時代を迎えると、館林城主の重臣で下野国小曽根郷八形(足利市高松町)城主小曽根政義は小田原北条氏の来攻に備え、兼帯で当城を守備した。しかし、天正18年(1590)館林落城に伴い廃城となり鶉古城250余年の歴史を閉じた。今はわずかに残る塁濠と、先端浮島に安置してある南北朝期と推定される墓石の一部が、辺りの風景とともに往時の繁栄を物語る。 (現地案内板より)

 
西側の土塁空堀
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土塁の上を歩いてみましょう。
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虎口横の土塁は古墳を利用したものだそうです。
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案内板と標柱もあります
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二の郭はでっか〜い芝生地だぁ!
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二の郭主郭を区切る
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本郭はこんな感じ
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半島先端の浮島を望む
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浮島には江の島弁財天を勧請した浮島弁財天が鎮座しています。
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ここからの眺めはまさしく水城
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越冬のためにやって来ている白鳥さん達御一行
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白鳥カメラマンの方々も多く、それぞれのシャッターチャンスを狙っていました。
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 この公園  にはネコも 大勢住み 付いてい  ます。→
 
 
 
 
 
  
 美しい多々良沼です。
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総評  ★★☆☆☆  (旦さま私見 ★2つ)

シベリアからの白鳥の飛来地として名高い多々良沼公園鶉古城(うずらこ城)です。
 
うずらと言えば、うずらの玉子=中華丼。乗っかっているうずらの玉子は最初に食べる派です〜あは
 
話が逸れましたが、この鶉古城沼に突き出た半島部に築かれていて、今も水城の面影を偲ぶ
 
事が出来ます。隣まちの館林城もこんな感じだったのでしょうね。
 
公園駐車場に付くとすぐ目に飛び込んでくる土塁空堀(やや埋れ気味)
 
おぉ〜!すげぇ〜と喜ぶと、実はこれがお城としての唯一明確な遺構でした。
 
本郭二の郭間にも土塁らしきがありますが、公園造営時のものかもしれません…
 
案内板にもここの事は記されていないし
 
浮島弁財天は案内板によると、鎌倉幕府滅亡の年(1333年)最後の執権北条高時弟・四郎彗性
 
夢枕に立った江ノ島弁財天から告げられた、「北条家の再興を図るため」に建立されたとの事。
 
夢を見た後にこの地に来て築城しますので、鶉古城北条家再興の願いが込められたお城だったのですね。
 
城内は完全なる公園ですが、とても雰囲気が良く、白鳥を眺めながらゆっくり時間を過ごせます。
 
野鳥達が一斉に飛び立つ姿は圧巻です。その音はビートルズの「ACROSS THE UNIVERSE」(パスト・
 
ヴァージョンね)のイントロSEだぁ〜 

 吉井藩は、京都鷹司家の出である、信平を祖とする。石高は壱万石にすぎないが、徳川親藩として松平姓を名乗り、江戸城中では重きをなしていた。藩主は江戸定府で陣屋を置いて藩治に当たらせた。陣屋は始め木部村(高崎市)、次いで、矢田にあったが、宝暦2年にこの地に移った。11代信発は水戸家蟄居(勤皇党の過激運動に対して)の大任を無事に果たした名君である。なお、12代信謹は他藩にさきがけ明治2年に版籍奉還をして、吉井藩知事に就任した。 陣屋の位置は現「旧陣」一帯の地で、周囲に堀と土手をつき、その上に松と欅を植え、東南に表門を設けた。(現地案内板より)

まずは移築された表門を。 ドンドン〜「開門〜ん!」の図
明治に東深沢の民家に移築されたのですが昭和45年に当時の吉井町に寄贈され、この
場所に移されました。その際に屋根のソリが直線にされました。
 
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裏はこんな感じ。ベンチがあるので田舎のバス停のようでもあります。
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吉井陣屋絵図ですが、絵図の右が北になります。
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嬉しい今昔地図で陣屋内の位置を確認。
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陣屋内は市街地化…
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ガッカリするのは早い…遺構はあります。これは現存長屋です。
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土塁もあります。ここは陣屋の西南隅にあたります。
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土塁上は春日社跡標柱案内板を発見!
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フェンスに囲まれているのはケヤキの切り株
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総評  ★★☆☆☆  (旦さま私見 ★2つ)

吉井陣屋の散策はまず、移築された表門から。 思った以上に大きくて堂々とした門ですよ。
 
ここは吉井郷土博物館の前なので、博物館で資料等を見学してから出陣。
 
博物館は火打ち金(石に打ち付けて火を起こす道具)の体験コーナが面白かった^^
 
陣屋の規模は東西約240m、南北約160m。
 
絵図に畑とあるのですが、どうやら自給自足の生活をおくっていたらしいですよ。
 
博物館(表門)から北にちょっと歩くと陣屋内になりますが、市街地化です。
 
その中に残る土塁は貴重な遺構。土塁上の春日社跡は寛政3年(1791)に奈良の春日社から
 
勧請したもの。その後八幡宮に合祀されました。ここには大きな石碑が二つあるのですが、これは
 
「吉井藩治碑」と「天皇陛下御駐在記念碑」。
 
博物館の方に教えて頂いたのですが、当時の長屋が残っていました。
 
しかし今も暮らしているので、さりげなく見て退却。人さまのお宅ですから(^-^ゞ
 
だいぶ改変されている様子ですが、前と同じ場所で住居として今だに機能しているのは凄い!

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永享10年(1438)関東管領上杉憲実は、鎌倉公方足利持氏と争い、鎌倉を退き、平井城(藤岡市西平井)に拠った。
 その頃、平井城西方の守りとして、新堀城(多比良城)と共に築城され、一郷山城は、山頂にあることから、のろし台としての任務が主なものであったろう。
 永禄6年(1563)2月、西上州侵略を図る武田信玄は、平井城(管領府)攻略の諸戦として、一郷山城を攻めた。
 防戦のため、山頂から落とした大石は、真下の見銘寺を押し潰し、火災となり、城は全焼、将兵は全滅、婦女子は急崖に身を投げ、落城した。ついで新堀城も攻略された。(現地案内板より)

一郷山城のある標高491mの牛伏山遠望。
牛伏山はハイキング、季節の花なども楽しめる観光の山です。
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車で本丸まで上れます
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本丸には模擬天守が建っています。ちなみに本名は牛伏山展望台ですよ
入場無料。管理のおじさんが良い人なんですよぉ。
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内部展示資料にかつての縄張り図がありました。
イメージ 8
 
 
最上階です。
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ここの望遠鏡はお金を入れなくても見れますよぉ  嬉しいね!
他のお城でも望遠鏡を覗くお客さんって少なくなっただろうなぁ。
お金入れて、時間切れでパっと見えなくなるときの悔しさと言ったら…
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眺望は素晴らしいさすが展望台 
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小さいながら削平地が段々に残っています。これは腰曲輪の跡でしょう。
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もう一度模擬天守を眺めてみましょう。一階扉の洗濯物がいい味だしていますネ
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牛伏山の西峰にも行ってみました。
名前にちなんで創られた全長2,5mの臥牛石像
昭和61年に山頂にあった多胡石の原石を使って創られました。眉毛と前髪で個性的な顔に
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天狗松(天狗が住んでいた場所?)…昔、昔、この山に天狗が住んでおったそうじゃ。
天狗は麓の村の娘に恋し、若者に姿を変え、会いに行ったが、娘の心を掴むことは出来なかった。
娘を諦めきれない天狗は山に姿を変えてしまったそうじゃ(日本昔話風にネ)
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洞窟観音さまにお参りして山を下りました。
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山を下ったところに…でもシッポが長いぞぉ〜もしやキツネ!?
まさかね〜キツネに似た
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総評 ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)

群馬にも模擬天守があったぁ!
 
このお城の存在を知ったのは携帯お城ゲーム「発見!ニッポンの城」でです。
 
上信越高速道路を長野方面に行くと左手、山の上に模擬天守が見えるのです。今まで何度か
 
通ったのですが、全然気がつかなかった…(^-^ゞ
 
もとは砦程度の小さなお城だったのですが、上信越高速道路開通時に観光客を呼ぼうと牛伏山を
 
観光化。その時に牛伏山東峰の城跡に模擬天守を造りました(平成2年3月落成)
 
しかし、やってはいけない事を…模擬天守造営のために遺構を破壊!!(ノ_<。)
 
今なら戦国時代の井楼矢倉を再現して展望台にするとか考えられただろうに、当時はお城の築城
 
時代に関係なく「とりあえず天守!」の時代ですからね。小山城みたく共存出来たら良かったのに。
 
なので遺構としては東端の腰曲輪跡くらいしか確認出来ません。
 
信玄が攻めて来た時にこの白亜の模擬天守が建っていたら驚いたでしょうね。
 
模擬天守の内部は1F・吉井町の特産物紹介、2F・歴史、観光資料、3F・展望台。
 
展望台は360度開け、パノラマが楽しめます。平井金山城をはじめ近くの山城が手に取るように
 
見えますよ。この日はあいにく曇り空でしたが、晴れた日ならもっと素晴らしい眺望が楽しめるハズ♪
 
東峰(こちらが牛伏山頂)には平和の鐘、洞窟観音、臥牛石像などがあります。これらも観光のために
 
つくられたものでしょうが、小動物園の檻の中には何もいませんでした。
 
今でこそ模擬天守が建つ観光の山ですが、落城悲話が伝わるお城なのです。 

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