江田館跡は反町館跡と共に太田市の中世平城の代表的な遺構で俗に「堀の内」と呼ばれる本丸 跡は東西の側面に「折」を持ち、東西約80m、南北約100mの土塁と堀を巡らせています。 虎口は南面中央部と東側にあり、土橋となっています。外郭には、本丸の西と南を「カギ」型 に囲んで、「二の丸」があります。本丸から北東に向って、黒沢、毛呂、柿沼の各屋敷跡があり、 それぞれ土塁と堀が残存しています。 この館は、江田行義の館と伝えられています。行義は、新田義重の子、義季の四世の孫で、新田 義貞の鎌倉北条討伐に参加し、極楽寺坂口の大将として軍功をたてました。転戦後、備後国で農業 を営み、以後この地で9代にわたり足利氏の目を忍び、姓を「守下」に改めていましたが、10代 目大膳が文禄年間(1593頃)祖先のこの地に移転してきたと云われています。 戦国時代には、反町館跡とともに金山城の出城として改修され、金山城主由良氏の四天王の一人 矢内四郎左衛門の居城になりました。天正年間には後北条氏が金山城攻略に先立ってこの出城を奪 い、金山城攻撃の拠点としました。天正18年(1590)後北条氏滅亡と共に廃城となりました。 本丸中央の土塁の中には義貞様と言われる石宮があります。江田子孫が代々義貞、行義を合祀し た氏神で、明治6年(1873)新田一族旧臣達が太田金山山頂にこれを祀り、社殿を造営して新 田神社としました。地域住民が、先祖の地として館跡を保存に協力してきたため、中世豪族の館跡 として規模、構造ともに原形を良く残しています。(現地案内板より) 江田館復元図 江田館跡図〜案内板には東にも虎口があるとなっているけど…? 虎口に標柱があります。 虎口西側の土塁と堀 本丸内には土塁が巡ります〜草ボウボウですが史跡公園ですよ。 北東の土塁上から黒沢屋敷の土塁を見る。 空堀に下りてみました〜落ち葉に埋っていくぅ〜(ノ_<。)前方に折です。 新田荘に関連した11の史跡を一まとめで新田荘遺跡(国指定史跡)と呼びます。 この江田館もその中の一つで、方形館の遺構として保存状態も良く「太田な金山城だけじゃないぞ!」と 誇らしげに語っています。(元は新田町ですが) 私は土塁に上って郭を一周するのが好きなので、この江田館気に入りました♪
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