旦さまと私

るなと旦さまの歴史バラエティブログ+音楽+美味しいもの

お城散策(埼玉県)

[ リスト | 詳細 ]

旦さまと埼玉県のお城巡りをした記事です。歴史なんかも簡単に載せてあります。
九州旅行の書庫にも熊本城、知覧城などの記事がありますので、興味のある方は見てみてください♪
記事検索
検索

全45ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


 文禄年間(1592〜1596)頃に徳川家康が関東支配のため、大久保長安によって設置された小陣屋です。宝永7年(1710)に廃止されるまで周辺50箇村あまりを支配したと言われています。県道のバイパス工事などに伴う発掘調査により陣屋表門をはじめとするたくさんの建物跡が発見され、古文書により推定されていたこの場所が玉川陣屋跡であることが証明されました。(「比企の中世再発見」より)

陣屋跡の石碑
イメージ 1



見取図…御蔵屋敷、御竹藪、御陣屋屋敷。
イメージ 2


ときがわ町のHPに載ってました。想定図
イメージ 7



陣屋周辺
イメージ 3


イメージ 4


台地上に構えられていたのが分かりますね。
イメージ 5


土塁跡があるらしいって??…これ? 違うなぁ。
イメージ 6




総評  ★☆☆☆☆  (旦さま私見 ★1つ)


大久保長安さんの陣屋、玉川陣屋

のどかな旧玉川町の県道沿いに石碑があります。

石碑裏の陣屋図がありますが、これがまた見辛いの

ですよ。もちろんありがたいのですが…

でも、ときがわ町のHPに観易い見取り図が載ってました

土塁で仕切られた3つの郭によって構成されていたのかぁ。

あれれ、ひとつは竹藪。サムライにとって竹は重要アイテム

ですからね。

日本城郭体系には濠跡の水路と土塁跡が残る〜と

ありますが、どこ??探したけど確認出来ず。古い資料

ですからねぇ。

石碑と想像力で楽しむ玉川陣屋でした

元弘3年(1333)5月8日上野国生品明神で挙兵した新田義貞

11日小手指原の戦い、12日久米川の戦い、15日分倍河原の戦いを

経て鎌倉に攻め入り22日に鎌倉幕府を滅亡させました。

今回はこの時義貞さんを乗せて共に戦った愛馬が祀られている

山口観音紹介します
イメージ 11



山口観音(埼玉県所沢市上山口2203)


お寺に納められている祈願文によると義貞さんは元弘3年庚申5月15日にここ山口観音に立ち寄り、戦勝祈願しました。祈願の後、南下
して東京都府中市の分倍河原へ。
イメージ 1


誓いの桜  義貞さん、この桜の前で幕府を倒して天皇を護ると誓い、
枝を折り鞭として使用したと云われています。現在の木は何代目かですが
イメージ 2


この馬舎義貞さんを乗せて鎌倉攻めをした愛馬が祀られています。
イメージ 3


「ワシが義貞公の愛馬じゃ。」名前は…調べても分からりませんで
した
イメージ 4


絵馬はニンジン形してます
イメージ 5


本人口調の説明書が良いですね。「鎌倉攻めの後、義貞公の命により
ここ山口観音を守護し余生を送ったのじゃよ」
イメージ 12


勝負運アリ
イメージ 6


見事な奉納額
イメージ 7


百頭の彫像 これは凄い
イメージ 8


「さぁワシに乗りな。いざ鎌倉じゃ!」
イメージ 9


境内には太田道灌家臣が奉納した天女稲荷大明神(蚕祖神)。五穀豊穣・万民豊楽を祈念。道灌家臣…って誰だか気になるぅ
イメージ 10



新田義貞さんって鎌倉幕府を滅ぼしたのにその後足利尊氏

差をつけられ… 戦術では楠木正成には叶わない… 何か第3

の男的イメージありますが、各地に伝説があり、愛馬まで祀られ、

実は庶民に人気ある?? ツメの甘さが気になりますが、うちら的

には大河の主人公に推したい一人です

天正18年(1590)小田原攻めで前田利家は北国軍として

上野国を経て松山、鉢形城などの武蔵国諸城を攻略。

その時、埼玉県所沢市北野天神社に立ち寄りました。

イメージ 6

北野天神社(埼玉県所沢市小手指元町3−28−29)

『景行天皇の御代(71〜130)、日本武尊が東征の折、この地にニギハヤ・ヤチホコの二神を祀り、物部天神・国渭地祇神として尊称した古来武蔵野の延喜式内社入間郡五座の一つに数えられている由緒ある神社です。その後長徳元年(995)菅原修成(道真の五世の孫)が武蔵守となり、この地に京都の北野天満宮を勧請し祀ったことから、北野天神と称されるようになりました。(案内板より)』
イメージ 1

 
小田原攻めの時には幾度の戦災(近くに新田義貞の鎌倉攻め時の小手指ヶ原古戦場がある)により灰燼と化していた北野天神社

菅原道真の子孫前田利家さんとしてはご先祖様が祀られている
神社の荒廃ぶりを放っておけなかったのでしょう、社殿を再興
イメージ 8


元々北野天神社は武家の信仰が厚く、利家さんの前だと源義家、
頼朝、足利尊氏の有名武将により社殿の造営が行われています。
ちなみに現在の本殿は安永年間(1770年代)、拝殿幣殿は平成6年の再建で残念ながら利家さんのものは残っていません
イメージ 7


大納言梅 武運長久祈願のため利家さんが献裁 今度は花咲く頃に来たいな
イメージ 2


案内板には菅原道真の子孫だと云う前田利家は〜の一文が…
えっ!利家さんって自称子孫なの?…それは言わないお約束
神社的には自称で子孫を名乗る利家さんに対して複雑な気持ち?
諸説あるようですが領地の加賀国は天神信仰が盛んで統治のため
子孫を名乗ったとか。色々と苦労があるのね
イメージ 3


そう言えば前田家の家紋ってちゃんと梅を愛した菅原道真と同種類の梅鉢紋だね
イメージ 9



境内には↑の大納言梅の他、宗良親王(後醍醐天皇の息子さん)の
陣跡&歌碑や…
イメージ 4


日本武尊の手植えの桜もあります。
イメージ 5



攻めた北条氏支城を抜かすと東京近郊(所沢市は東京都に

隣接)に前田利家さんの史跡って珍しいのですよね。

あっ、でも大納言梅は二代目だそうです…


今年も一番多く訪れたお城は忍城おもてなし甲冑隊絡みが

多いからね  年々訪城数は減っている…
イメージ 1


今回は忍城の移築遺構がある小見真観寺の記事を。

小見真観寺(埼玉県行田市小見1124)

イメージ 2


瀧憲鏡阿闍梨により仁冶3年(1242年)に創建された真言の古刹。この本堂がかつての忍城の仏間。破風の部分は後世に付けられたもの。普通寺院は軒の屋根が出てる?
イメージ 3


お寺の奥さまに話しを伺えました…小見真観音寺は天正18年の忍城攻めの時に石田軍に焼かれてしまいその後本堂が再建されずにいました。
イメージ 4


寛永11年(1634)時の忍藩主松平信綱さんが「お宅に本堂
ないだろ、忍城の仏間あげるよ」と。よっ、太っ腹!さすが知恵伊豆小見真観音寺忍藩との強い繋がりを感じますね(徳川家より御朱十石を賜っています)。
イメージ 5


本堂内部を窓から拝見。本尊は大日如来像。
普通の寺院より柱が多いとの事。京畳。
イメージ 11


襖の桟もありますね。これだけ貴重な遺構なのに文化財指定されてない…結構改変されているのかな?
イメージ 12


こちらは観音堂
イメージ 6


実は小見真観寺小見真観寺古墳(国指定史跡)で有名。
出土遺物などから6世紀末から7世紀初め頃に築かれた市内最後の前方後円墳でなはいかと推測されています。全長102m、高さ8mの前方後円墳。後円部と鞍部の2ヵ所に横穴式石室があります。
イメージ 7

真観音寺奥さま、年末の忙しい時に色々と貴重な話をありが
とうございました。



さて、この日の忍城では忍城おもてなし甲冑隊、1年間の総括〜忍城師走絵巻』が開催されました。
イメージ 8


プレゼント大抽選会もありましたが5年連続何も当たらなかった…はずれ記録更新中
イメージ 9


石田三成&真田信繁豊臣軍も攻めに来てましたよ
イメージ 10


本日、大晦日…今年最後に更新間に合ったぁ

毎年思いますが1年ってあっという間ですね。年々短く

なっている感じですよぉ

今年も『旦さまと私』に遊びに来ていただき心より感謝

致します。来年も宜しくお願い致します。

皆さん良い年をお迎え下さい。




 『新編武蔵風土記稿』によると成田氏の家臣・小宮山氏の城と云う。今の宝勝寺辺から荒川堤防を越えて五反田へ通じる一帯の広い面積と云われる。今なお土地の人々から「城山」「城山池」「小城が池」「元屋敷」「しおきば」「ちょうれんば」「かなやま」「かわだな」「鐘塚」「さぎまち」「おおちょう寺跡」「金乗寺跡」と呼ばれている畑地が残っている。また、鐘塚には伝説があり、昔六人の堂守(鐘番)がいたが敵襲に際し、この鐘を最後まで鳴らしながら六人の者が戦死したという。(現地案内板参考)

  
   


荒川堤防上にある小谷城案内板
イメージ 11



現在の地図と
イメージ 1


昔の地図を照らし合わせて城跡を巡ります
イメージ 2


案内板によると小谷城は『宝勝寺辺から〜
イメージ 3


荒川堤防を越えて〜
イメージ 4


五反田に通じる広い面積といわれ〜 五反田ってどこだぁ?う〜む
イメージ 5


堤防から下りてみる。河川敷は耕地。図によるとこの辺りが
墓塚元屋敷?
イメージ 6


城山池めくら橋はこの辺り?
イメージ 7


宝勝寺
イメージ 8


日枝神社  元は山王神社と呼ばれ小谷城に対して北東
に位置するため鬼門除けとして祀られたとも考えらている
とか。
イメージ 9


案内板に小谷城についての記載があります。
イメージ 10

評価 ★★☆☆☆    旦さま私見(★ 2つ)

埼玉の小谷城は『おだに』じゃなくてこや』と読みます

荒川堤防上の案内板に昔の図がありますので、これを

頼りに散策ね

宝勝寺辺から荒川堤防を越えて五反田へ通じる一帯の

広い面積…』が城域とありますが中心部はおそらく河川敷

耕地に入って歩き回ると泥んこになりそうなので昔の地図

を写したスマホ見ながら「あの辺が○○かなぁ〜」と想像。

道もないしね

新編武蔵風土記稿が出た文政11年(1828)にはすでに

跡形もなかったようです。河川敷なので水害もあったでしょ

うから。こんな感じで何も残っていない小谷城に案内板を

設置して訪れるお城ファンを喜ばせてくれている鴻巣市

感謝ですね。


全45ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
るな
るな
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事