旦さまと私

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お城散策(東京都)

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旦さまと東京都のお城巡りをした記事です。歴史なんかも簡単に載せてあります。
九州旅行の書庫にも熊本城、知覧城などの記事がありますので、興味のある方は見てみてください♪
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          『豊島清光館』
 清光寺の地は、平安時代末期から鎌倉時代初期に豊島郡を中心に活躍した武将・豊島清光の館が
あった場所と伝わります。(清光寺は豊島清光の名を取って命名)清光は豊島氏歴代中、傑出した
武将で源頼朝が房州より再挙の際、頼朝を助けて幾多の勲功をたてました。家庭的に不幸であった
ので、一族の 冥福を祈る為に、この清光寺を建てたと伝えられています。なお、本堂に清光坐像が
安置してあり、江戸時代の作と云われています。               (案内板より)


その地名もズバリ「豊島」にある清光寺。この地に居住したので豊島を名乗ったのです。
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古ぼけていますが案内板もちゃんと豊島清光が館を設けた地と記してあります♪
この他に案内板が2つあり、さすが開基者。
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短い参道を進んでビックリ、本堂が無い!w(°o°)w!??
あれ〜ネット情報ではちゃんと本堂の写真もあったのに…
もしかして火事?建て直し?
安置されていた豊島清光の坐像の安否が気になります。
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本堂跡左手の墓地前に真新しい豊島清光の供養塔がありました。
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本堂に安置されているはずの豊島清光の座像(↓は北区飛鳥山博物館の複製品)
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総評  ★★☆☆☆ (私見 ★2つ)


治承4年(1180)石橋合戦の後、安房の国で再起を図った源頼朝は隅田川を渡り武蔵国に入ろ

うとしたところ、江戸太郎重長の抵抗に遭い渡る事が出来ませんでした。この重長を説得して頼朝方

に付かせたのが豊島清光です。

交渉上手の清光の館(それ以前の豊島氏が居館を設けた)場所が清光寺と云われていますが、

平塚神社付近(平塚城推定地)と云う説もあります。

どちら共、確定に至る根拠がないのが事実ですが、地名として残っている事からもこの清光寺周辺説

に賛同します。

墨田川を北に抱く清光寺ですが、周りは民家が密集しているし、道は一方通行で難しいし、

おまけにこの日は雨だし、それにあるはずの本堂は無いし、鎌倉幕府創立の功労者の一人である

豊島清光さんが何か気の毒でした。しかも案内板に『家庭的に不幸であった…』とあるし。

調べてみると、息子が荒川で水死、娘が嫁ぎ先の不幸をはかなんで荒川に身投げ…等多くの不幸を

体験しています。切なすぎ…(ノ_<。)(ノ_<。)

そんな清光さんの清光寺、本堂が早く再建出来る事を祈ります。

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      『井出の沢塁』
 構築年代は明らかではないが、ここからは鎌倉まで一気に兵が押し下れるため、鎌倉防衛の重要地
として城塁が構築されていた。
 建武2年(1335年)信州から一路南下した北条時行の軍(中先代の乱)は、この地で足利尊氏の弟
直義軍に迎撃され激しく戦った。激戦の末、直義軍を破り、鎌倉に侵入したが、やがて尊氏・直義連
合軍に鎮圧された。
 また井手の沢は鎌倉期の歌謡にも「かれいい食うべしいにしえも、かかりし井手の沢べかとよ…」
と詠まれ、弁当の干し飯を食べるのに必要な清水が湧き出ていた所として有名であった。


鶴川街道と鎌倉街道が重なる地に井出の沢塁跡である菅原神社があります。
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本殿南側の愛宕社のある広場が最高地で小幡晋著『多摩の古城址』では主郭跡と推定しています。
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石碑〜『史跡・井手の澤』の後に『塁跡』と刻んで欲しかったですね。
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神社階段下には『井出の沢』名前の起源となった御神水の跡が。
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総評  ★☆☆☆☆ (私見 ★1つ)



城跡よりも古戦場としての方が有名な井出の沢です。参拝の方が大勢訪れる菅原神社の建つ台地が、

その跡と云われていますが、遺構等は皆無です。

境内に『井出の沢古戦場』の案内板はありますが、城塁についての説明はされていません。

砦であった説もありますが、防備の柵だったとも…

また『多摩丘陵の古城址』によるとこの地を『殿ノ城』と紹介しています。

それによると地元小豪族の館跡と推定されていますが、どちらにしろ鎌倉街道を押さえる役割として

城・館・砦・塁が構築されていた事は確かでしょう。
             『小山田城』
 小山田氏は秩父氏の庶流で、秩父重広の二男有重が平安末期に小山田荘進出して、現在の大泉寺
の地に館を構えて小山田氏を名乗ったのが起こりとされる。小山田氏は多摩川南部に勢力を拡大し、
平家討伐でも戦功を挙げたが、元久2年(1205)従兄弟である畠山重忠の乱に味方をして衰退
した。その後は高家が新田義貞の鎌倉攻めに参戦した。文明8年(1476)の長尾春景の乱に対
して扇谷上杉氏が小山田城を改修して使用したと記録に残るが、それ以降は不明である。


安貞元年(1227)小山田行重開基の大泉寺山門〜威厳のある古刹です。
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大泉寺本堂
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本堂の前には真新しい羅漢さんが。意地悪そうな顔の羅漢さんもあって見てみると楽しい!
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小山田城址の石碑は本堂左にあります。
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本堂裏山に削平地や堀切などの遺構が残ると云われていますが…
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小山田一族の墓は裏山中腹の墓地中にあります〜小山田有重・行重父子、高家の墓と云われています。
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境内に咲く『金木犀』がとてもいい香り〜大好き♡
でも芳香剤の金木犀の香りは臭くて×(ノ_<。)〜やっぱり本物には勝てませんね。
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総評  ★★☆☆☆ (私見コメント ★2つ)


いわゆる谷戸形式の小山田城ですが、大泉寺の地が居館址と云われ、裏山が城郭址です。

城郭本とかを見ると裏山に遺構があるそうですが、『無断で入山禁止』の立看板があるし、

裏山に上る道は無さそうだし…お墓参りの方もいて無断突入はやばそうだし。

小山田一族の墓が山腹にあるのですが、ここから上にも上れないし…ダメじゃん(ノ_<。)

なので石碑と大泉寺を楽しむだけになってしまいました。

ちなみに武田勝頼を裏切った小山田信茂は小山田有重の子行重の末裔で(行重に甲斐小山田荘が

与えられた)、この町田の小山田氏からの出という事になります。

またこの地を信茂が領していたと云う説もありますが、どうなのでしょうか?

普通に考えると北条氏の支配下ですからね、ここは。

『裏切り者』のレッテルを張られている信茂ですが、落ち目の武田を見限って織田信長に下る事で

一族を救おうとした気持ちも理解できますが、やっぱり判官びいきなもので…(;^ω^A

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                『小野路城』
 小野路城は現在の大泉寺の場所に居城(小山田城)を構えていた小山田有重が築いた副城で、
その子、二郎重義が守備にあたったという。築城は承安年間(1171〜1174)といわれ
都内の古城址の中で最も古いものの一つである。
 現在残っている地形から、本丸を含む二つの郭と、それを囲む土塁、空堀から成っていたと
想像されている。                                                 (案内板より)


小野篁(小野小町の祖父)を祀る小野神社の前を通り、万松寺を右に見て、しばらく進むと里山の
風景に出会います。おぉダッシュ村だぁ!
この奥の丘陵が小野路城のある城山です。
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起伏のあるなだらかな道を進むと重越八幡跡のT字のぶつかりますので、右へ。
またしばらく進むと左手に案内板があり小野路城に到着。
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小野路城概要図
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本丸には天王社の祠があります。
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低くなっていますが本丸の土塁。
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本丸〜「なら」「くぬぎ」の林になっています。
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二の丸〜本丸との高低差がありません。攻められたらすぐ落ちそう…(ノ_<。)
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小野路城の水の手の一つだった『小町井戸』〜ちょろちょろですが水が今も湧いています。
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         『小町井戸』
 平安の昔、小野小町がやまいのにかかったおり、この山に千日籠もり、この水で目を洗ったところ
全快したという伝説かでた名前だと云われています。また仙人水とも呼ばれていたらしく、「武蔵名
勝図会」にその記載があります。この水量は僅かですが、日照りにも枯れる事がないそうです。




総評  ★★★☆☆☆ (私見 ★3つ)


小野路城周辺は図師小野路歴史環境保全地域となっていて、昔ながらの里山風景を楽しみながらの

ハイキングです。お城見学よりお城までの行程に時間がかかりますが…(;^ω^A

一応車も通れるようですが(途中から砂利道)、一台通過出来る幅しかなく、訪れた時には

一台も通りませんでした。ちょっと離れていますが野津田公園の駐車場を利用してから徒歩が

ベストですよ。

途中から同じような森の中の小道が続きますので小道沿いにある案内板を見過ごすとそのまま通過

していますのでご注意を。

平安時代の築城と云われていますが、遺構から考えるとやはり後北条氏によって手が加えられてい

ると思われ、小規模ですが中々楽しめます。ただ空堀は埋もれていて明確ではないです。

北側に小野小町伝説の『小町井戸』があります。この水で毎日顔を洗ったら美人になれるのかなぁ?
               『渋江陣屋』
 安房の里見氏が永禄7年(1564)の国府台合戦時に陣屋を構えたと云われるのが、現在白髭
神社が建つ周辺だと口碑で伝わる。また『小田原衆所領役帳』によると、葛西郷渋江郷に三十九貫
五百文の役高を領していた山中内匠助の陣屋とも考えられる。 (『日本城郭体系5巻』より)


白髭神社周辺
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白髭神社です
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総評  ★☆☆☆☆ (私見 ★1つ)


渋江陣屋跡と云われる、白髭神社が中々見つからず、一方通行の狭い道をグルグルと回っている

うちに日没も近づくし…かなり焦りました(;^ω^A

いわゆる伝承地なので遺構等はありませんが、近くには葛西清重館跡の西光寺もあるので、

セットでさらりと攻めましょう。

また、平和橋通り沿いに渋江公園がありますが、陣屋跡ではありませんのでご注意を^^

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