『豊島清光館』 清光寺の地は、平安時代末期から鎌倉時代初期に豊島郡を中心に活躍した武将・豊島清光の館が あった場所と伝わります。(清光寺は豊島清光の名を取って命名)清光は豊島氏歴代中、傑出した 武将で源頼朝が房州より再挙の際、頼朝を助けて幾多の勲功をたてました。家庭的に不幸であった ので、一族の 冥福を祈る為に、この清光寺を建てたと伝えられています。なお、本堂に清光坐像が 安置してあり、江戸時代の作と云われています。 (案内板より) その地名もズバリ「豊島」にある清光寺。この地に居住したので豊島を名乗ったのです。 古ぼけていますが案内板もちゃんと豊島清光が館を設けた地と記してあります♪ この他に案内板が2つあり、さすが開基者。 短い参道を進んでビックリ、本堂が無い!w(°o°)w!?? あれ〜ネット情報ではちゃんと本堂の写真もあったのに… もしかして火事?建て直し? 安置されていた豊島清光の坐像の安否が気になります。 本堂跡左手の墓地前に真新しい豊島清光の供養塔がありました。 本堂に安置されているはずの豊島清光の座像(↓は北区飛鳥山博物館の複製品) 治承4年(1180)石橋合戦の後、安房の国で再起を図った源頼朝は隅田川を渡り武蔵国に入ろ うとしたところ、江戸太郎重長の抵抗に遭い渡る事が出来ませんでした。この重長を説得して頼朝方 に付かせたのが豊島清光です。 交渉上手の清光の館(それ以前の豊島氏が居館を設けた)場所が清光寺と云われていますが、 平塚神社付近(平塚城推定地)と云う説もあります。 どちら共、確定に至る根拠がないのが事実ですが、地名として残っている事からもこの清光寺周辺説 に賛同します。 墨田川を北に抱く清光寺ですが、周りは民家が密集しているし、道は一方通行で難しいし、 おまけにこの日は雨だし、それにあるはずの本堂は無いし、鎌倉幕府創立の功労者の一人である 豊島清光さんが何か気の毒でした。しかも案内板に『家庭的に不幸であった…』とあるし。 調べてみると、息子が荒川で水死、娘が嫁ぎ先の不幸をはかなんで荒川に身投げ…等多くの不幸を 体験しています。切なすぎ…(ノ_<。)(ノ_<。) そんな清光さんの清光寺、本堂が早く再建出来る事を祈ります。
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