旦さまと私

るなと旦さまの歴史バラエティブログ+音楽+美味しいもの

お城散策(東京都)

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旦さまと東京都のお城巡りをした記事です。歴史なんかも簡単に載せてあります。
九州旅行の書庫にも熊本城、知覧城などの記事がありますので、興味のある方は見てみてください♪
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永禄12年(1569)小田原城への進行途中、北条テルテル
氏照滝山(東京都八王子市)を攻めた武田信玄
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この時信玄が本陣を置いたのが多摩川を挟んだ位置にある
拝島大日堂 拝島大日堂は戦国時代北条氏照滝山城
築城時(正しくは改修時?)に鬼門除けとして現在の地に移したお寺です。
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由緒書き。
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おねいの井戸北条氏照の家臣・石川土佐守の7歳の娘ねいが眼病を患いましたが、大日堂で祈願して井戸で眼を洗ったところ平癒。お礼に石川土佐守は古くなった堂宇を再建、同時に大日八坊と云われる八ヶ寺を建立しました。天正元年(1573)の事なので滝山城合戦の後の話しですね。
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覗くと…今も水がありますね。
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大日堂です。元は階段の下にあったのですが享保13年(732)現在地に移されました。一応信玄になった体のるなです。


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信玄が本陣を置いた時はこの場に建物は無かったのでしょうかね。
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隣接する日吉神社大日堂再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたと言われています。
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木々が遮って見えませんが滝山城方面を
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滝山城を守るための鬼門除けの拝島大日堂に本陣を置いた

武田信玄北条氏照としては屈辱だったでしょうね

しかし武田軍の猛攻に耐え抜いた滝山城。これは拝島大日堂

のご加護があったのも要因の一つかも。本陣にされて城まで

落とされたら鬼門除けの名が廃るってね

グッジョブ〜拝島大日堂

ちなみに拝島大日堂周辺はパワースポットです。

最後に気になった事を…大日堂の堂宇を娘の病気平癒の

お礼に再建した石川土佐守。調べたら拝島・羽村・久保・天間・

高築の領主。五ヶ村の領主ってお金持ってるんですね。

カワイイ娘のためならと捻出したのかな。実は捻出した、させら

のは領民だったりして

滝山城(後に八王子城)主・北条テルテル氏照さん
名手として知られていますが今回はそのに関する逸話
が八王子に伝わっていますので紹介しますね。主人公は
家臣の彦兵衛
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菊池正著 東京新聞出版局 『とんとんむかし』の中の
「笛の彦兵衛」より転載。
(『まんが日本むかし話』風にお読みください

氏照さまは武将としても誉れ高いが、学芸にも秀でられ、特
に横笛の名手として知られておった。氏照さまの笛の合方は、浅利彦兵衛というお人じゃった。
滝山城合戦の折、彦兵衛どのは、氏照さまから「大黒」という
名笛を預かった。だが、戦場を駈け巡るうち、その笛が折れているのに気づいた。「氏照さまの愛笛を損じてしまい、申し訳なし」と彦兵衛どのが苦悩しておると、夢に地蔵尊が現れ「粟之州村の観音に祈願せよ」と、教えてくださった。喜んだ彦兵衛どのは、さっそく粟之州村の観音堂に籠った。そして、満願の日、観音さまから「願い、聞き届けたぞ」と言うお告げがあり、笛は無事復元した。
この事を聞いた氏照さまは、大いに称賛なされ、たくさんの褒賞と『』の姓をくださった。
それより、彦兵衛どのは「笛の彦兵衛」と呼ばれ、粟之州村の観音は「笛継観音」と呼ばれた。


まとめると…「北条氏照さんからを預かった浅利彦兵衛。しかし戦の混乱中に笛が折れてしまい、観音さまに祈願したら笛が直った!浅利彦兵衛氏照さんからの苗字を与えられ笛彦兵衛となった。」 です 
笛の彦兵衛」のストーリーは色々とありますが、この話は
史実か否か??

驚きの力を持ったこの観音さまが八王子市の東福寺に現在も残っているのですよ


東福寺(東京都八王子市小宮町1122)

東福寺です

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本堂と笛継観音堂(左)
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氏照さんの笛は龍笛ですが、我が家の篠笛(プラ製)を
持参 
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折れてないので願いは〜「笛が上手に吹けるようになりますように…」
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すると観音さまからのお声が…「練習あるのみじゃ
(観音さまは秘仏で厨子の中。60年に一度の公開)
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効果は?…♪ぴぃ〜〜ぷっ やっぱり練習しなきゃ上手
になりませんね
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その後の笛彦兵衛…『風土記稿』によると天正18年(1590)の八王子城合戦で討死



八王子の地元グルメと言えば…八王子ラーメン
八王子の玉ねぎを使ったさっぱり醤油ラーメン。玉ねぎ
の甘みがスープにプラスされてます。ねぎは入ってません。
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 小菅には江戸の初め関東郡代伊奈忠冶の1万8千余坪にのぼる広大な下屋敷がありました。元文元年(1736)8代将軍吉宗の命によりその屋敷内に御殿が造営され葛西方面の鷹狩の際の休憩所とされました。御殿の廃止後は江戸町会所籾蔵が置かれ、明治維新後に新しく設置された小菅県の県庁所在地となっています。さらに小菅籾蔵跡には煉瓦製造所が建てられ、現在の東京拘置所の前身である小菅監獄に受け継がれています。(現地案内板より)

  
   


ど〜ん!と建つ東京拘置所小菅御殿の跡地です。
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小菅御殿古図 テカって見ずらいのですよぉ〜
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暴れん坊将軍も通ったかつての御成街道、松原通り。
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御成街道(松原通り)古写真
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明治になり御殿跡に造営された煉瓦工場。その煉瓦が展示されています。
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小菅御殿の図?文字がぼやけてて判読が…
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小菅御殿の鎮守として御殿内に祀らていた小菅稲荷。昭和になり現在地に移転。
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東京拘置所正門
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正門脇にある石燈籠は御影石製御殿内にあったもので遺構となりますね
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拘置所に隣接する親水公園には小菅御殿跡小菅銭座跡
案内板が設置されています。
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小菅銭座跡西葛飾小学校に行ってみた安政6年(1859)から翌万延元年にかけて、幕府は貨幣の吹替(改鋳)を行いました。この吹替のため幕府は安政6年8月に小菅銭座を設けました。小菅銭座は旧小菅御殿跡の一角に作られたといわれ、広大な敷地(15,000㎡約4,600壷)を持ち、西小菅小学校の辺りがその中心であったと思われます。この小菅銭座では鉄銭が鋳造されていました(案内板より)。ここも御殿跡の一部。御殿はめっちゃ広かった
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総評 ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

関東郡代伊奈氏の屋敷内に暴れん坊将軍が元文元年(173

6)に造営した鷹狩り御殿小菅御殿(別名・千住御殿)。鷹狩

りはが病弱な息子家重を鍛える目的でもあったとか。

自分の屋敷内に将軍がやって来るほどの信頼があった伊奈

は寛政4年(1792)に家事不行き届き罪によりお家断絶

殿も廃止されました。その後広大な敷地は江戸町会所籾蔵

→小菅銭座(敷地内に)→小菅県庁・小菅仮牢→煉瓦工場→

小菅牢獄→現在は東京拘置所として利用されています。

さて小菅御殿跡ですが東京拘置所なのでむろん非公開。しか

し関連の案内板も多く、中々楽しめますよ 正面脇にある

は御殿奥庭にあったもの。燈籠の足元に手水鉢、庭石

ある事を帰宅後に知ってがっくし 高いフェンス越しなので

分りませんでしたよぉ。守衛さんの目も気になるからね…

御殿跡じゃなきゃ来る機会のなかった東京拘置所。周りは

普通に住宅街。拘置所への差入れ品を売る「差入屋に目が

とまりました。正月に訪れたので休みでしたが、食べ物はここ

買ったものしか差入れ出来ないようです。また「保釈金貸しま

す!」看板も。何だか違う世界を垣間見た気が…

今もさまざまな歴史が交差する小菅御殿でした。

 元弘の碑で有名な徳蔵寺の地は板倉氏の陣屋(館、屋敷)であったと云われ「新編武蔵風土記稿」編纂の頃(1810〜1830)は土塁や堀の跡が残っていたと云う。(徳蔵寺HPより)




板倉氏陣屋(館)跡に元和年間(1615〜23)に建立された
徳蔵寺。開山は璧英禅師
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徳蔵寺本堂  
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新編武蔵風土記稿の徳蔵寺(=板倉氏館跡)。
編まれた文化・文政期(1810〜30)には土塁&堀跡が残って
いたそうですがこの絵(右下が徳蔵寺)のお寺を囲む木々のところが土塁&堀跡なんですかね。現在は消滅。
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古図でも見てみましょう
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背後を流れる前川。川越しに見ると要害
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撮影許可を頂き板碑保存館内部を(入館料200円)。正面が『元弘の碑(太平記の記述を裏付ける元弘3年5月15日の分倍河原と18日の村岡合戦の場所に於ける新田義貞軍の将士三名の討死者名が刻まれていてる)
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徳蔵寺北西久米川古戦場。新田義貞vs鎌倉幕府〜
古戦場記事は後日に。後方は義貞が本陣を置いた八国山
となりのトトロの七国山のモデル説あり。
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東村山と言えば…最近だと日本エレキテル連合住んでいると話題になりましたね。東村山るるぶの表紙に
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しかし東村山の有名人と言ったらやっぱり志村けんさん
(画像はZAKZAKより拝借)東村山音頭♪は今も語り継がれる。
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東村山駅東口には『志村けんの木』があります。
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志村けんさん自身が植樹したものではないのかな
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総評 ★★☆☆☆  (旦さま私見 ★2つ)

東村山市の史跡・文化財では国宝正福寺と並んで有名な

元弘の碑(太平記の内容が創作じゃないよ〜の証拠になっ

貴重な板碑)

この元弘の碑がある徳蔵寺の地が板倉氏館跡です。

この板倉氏はどんなお方や?…

足利氏三代義氏嫡男・泰氏次男義顕が下野国板倉を領

板倉氏を名乗り祖になり、その子孫(誰だかは分りませ)が

中世鎌倉街道の脇道でもある今の徳蔵寺の地に赴任して(地

頭??)館を構えたのでしょうかねぇ。なので鎌倉時代の館跡

になるのかなぁ。板倉氏久米川合戦の時の動向も気になり

ます う〜む…板倉氏&館ついては良く分らないとの結果

に… 

徳蔵寺=元弘の碑 お寺周辺には久米川合戦関連の史跡

が多くありますので板倉氏館跡よりそちらに比重を置いての

訪問をおススメ もちろん保存館元弘の碑も必見ね。

 出羽山砦は豊臣秀吉による小田原攻めに備え、北条氏照家臣・近藤出羽守助実が八王子城の出城として築いたと考えられています。

出羽山砦縄張図(東京都城館址より転載)
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ファションセンターしまむら城山手店の隣が出羽山砦
お買いもの&城巡り
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麓から
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見事に折れている虎口
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曲輪Ⅲ。ここで男性が一人木にロープを吊るしてました。
もしかして自殺?とドキドキ。本曲輪から戻って来て見たら…そのロープでブランコ作ってました 子どももいるし。驚かせやがって! 一人で神妙な顔つきだったから早合点
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曲輪ⅡとⅢの間の堀切
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曲輪Ⅱ
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本曲輪
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本曲輪南虎口
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本曲輪の西端には土塁らしき土盛り
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本曲輪の切岸
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八王子城方面を望む
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総評  ★★☆☆☆  (旦さま私見 ★2つ)

現在出羽山公園となっている出羽山砦は八王子城主・北条

テルテル氏照さんの家臣近藤出羽守助実が築いた砦と云わ

れています。来る豊臣秀吉軍の備えとしてなので築城は小田

原攻めの前年天正17(1589)頃でしょうか。

近藤出羽守氏照さんを調べると良く名前が出てくるお方で

下野の富田城の城代も任せされている重臣さん。

八王子城攻めの時はここを守ったわけじゃなく氏照さん在の

八王子城に入り、近藤曲輪を守備して壮絶な討死を遂げ

伝わります ちなみに居館は同じ市内の浄泉寺城

さて出羽山砦ですが山と言うよりは丘陵。雑木林の公園

として整備されています。縄張図によると3つの曲輪からなり

一番西側、東屋があるところが本曲輪と思わますがコンクリ

部分と奥のそのまま部分は別だったのかなぁ。

遺構としては曲輪ⅢとⅡ(かつてに命名)間の堀切(改変によ

り?凄く浅い…)、二度折れの虎口脇のこれまた低くなってし

まった土塁。本曲輪の端にも土塁らしき土盛りがありますね。

砦、城としての表記、案内板がないのは残念ですが意識して

散策すれば雰囲気も良いし結構楽しめる出羽山砦です

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