ここ辛垣山の山頂には青梅地方の中世の豪族三田氏が立て籠もった天然の要害である辛垣城があり、市内東青梅6丁目の勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。永禄6年(1563)八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に攻められ落城、城主三田綱秀は岩槻城に落ち延びたが、同年10月その地で自害し、三田一族は滅亡した。 城跡にあたる山頂の平坦部は大正末期まで行なわれた石灰石の採掘により崩れ、当時の遺構は、はっきりしないが、堀切や竪堀をとどめている現状である。(現地案内板より)辛垣城概要図〜曲輪の名前はこの図に従い記しました(拡大出来なくてゴメンナサイ)
現在ハイキングコース(赤い線の部分)になっていて、三方の尾根に小さな曲輪が配置されています。
今回目指すのは標高457m、比高223mの辛垣山です。登る前に注意を〜
石灰採掘跡と辛垣城遺構との見分けがつかないところがある!
この事を頭に入れて出発
二俣尾駅から北に続く西城林道を行くと、登りになり、分岐である名郷峠に着きます。ここからハイキングコースに合流。道標に従い左に進むと、すぐ辛垣城入口の道標がありますのでそちらへGo!
最初に出会う遺構は堀切・ニ→
埋れ気味なので注意しましょう。
曲輪9を経て曲輪8です。共に三角形の小さな削平地。
曲輪8を過ぎると、いきなり急勾配になります。キツイ…そう、目の前は主郭。頑張ろう!
ここはでっかい竪堀のように見えますが、石灰採掘跡です
主郭に到着
石灰採掘のためにポッカリえぐられた状態なのです。火山の火口、カルデラ状態。なので本来の
主郭より低くなっています。
元はこの高さまであったのです。るなとよーぴさんのいるとこまでえぐられた事になります
その通り!ゴミは持ってかえろう
主郭西北の堀切・イ。ここが辛垣城遺構最大の見所ですね。
堀切・イから主郭を見上げる。高低差が大きいのが分かりますね、ここを再びよじ登り戻ります
ハイキングコースに戻って南方尾根を目指し進むと、標柱がありました。
案内板しかないと思っていたので、これはラッキー
東西約20m、南北約30mの曲輪4。よ〜く見ると石垣がありますが、これは石灰置き場だった頃の
施設跡なので、喜ぶと損しますよ。
永禄6年に北条氏照と三田綱秀が激突した軍畑古戦場を望む。眺望が利くのはここ曲輪5のみ。
ちなみにここは鉄塔の建っているとこで、馬場跡と言われています。
南方尾根端の堀切・ハですが、写真だと何だか分かりませんね
総評 ★★★☆☆ (旦さま私見 ★3つ)遂に山城解禁! 記念すべき第一城目は東京都内未訪の山城の一つ〜辛垣城にチャレンジ!
実は「苦労して登ったのに見るべき遺構が少ない…」との声がチラホラなので、避けて来たのです
しかし予想に反して、なかなか良かったですよ。
平将門の末裔である名族・三田氏が侵攻勢力・後北条氏との戦いで勝沼城を捨て、「最後の砦」として
立て籠もった峻険な山城、その要害ぶりを体感出来ただけでも訪れた価値ありましたね。
文頭でも言いましたが、江戸時代から大正時代まで石灰採掘されていたので、破壊跡が多いのです。
特に主郭がある山頂部はごっそりえぐられ、かつての形状さえ分かりません。むろんどこが虎口かも。
後北条氏に領地をごっそり奪われた、三田氏のよう…?
三田氏も北条氏照が継いだ大石氏のように臣下のままでいれば、滅ぼされる事もなかったのに。
上杉謙信に付いちゃったからね〜
名郷峠から堀切ニ→東雷電尾根→山頂部→西雷電尾根→堀切ニに戻る→南方尾根→西南尾根の
ルートを辿れば各尾根に構えられた曲輪も含めて城全体を見る事が出来ます。
小さな削平地が多いのですが、戦国初期の山城はこんな感じでしょう。
この辛垣城の南東、約600m?の枡形山に後北条氏が対の城として枡形山城(ここは素晴らしい)
を築いていますが、要害堅固な辛垣城にかなり手こずったようです。結局、三田家臣・塚田又八が後
北条氏に内応し城に火をつけたため落城しました。
この合戦関連史跡の鎧塚がありますが、三田氏供養塔のある海禅寺と共に後日紹介しますね。
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