旦さまと私

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お城散策(千葉県)

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旦さまと千葉県のお城巡りをした記事です。歴史なんかも簡単に載せてあります。
九州旅行の書庫にも熊本城、知覧城などの記事がありますので、興味のある方は見てみてください♪
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             『前ヶ崎城』
 前ヶ崎城は、16世紀中頃から天正18年(1590)頃まで、松戸市小金城を本拠とする高城氏
の支城として機能したと考えられます。
 西・北・東側の三方を坂川とその支谷に囲まれた、標高16mの細長い台地上に立地し、水田面と
は11mの比高があります。現在地から南160mと350mの二箇所に、かつて堀切りが存在して
いたといわれており、このことから3つの郭を直線状に配置した城と想定されています。付近には
刑部郭・追手橋・馬場といった地名も伝承されていますが、城の施設と直接関連するかは不明です。
 公園として整備した範囲は城の中心となる主郭の部分で、西側は過去の道路建設によって失われて
いますが、東・西側には高さ3m〜4mの土塁が、東側の一部と南側には深さ約3mの空堀が見られ
ます。また、南サブエントランスは以前から土塁が途切れており、この部分を郭の出入り口である虎
口に、その西側の最も高い土塁を櫓跡とする考えもありますが、郭の構造や建物配置は明らかになっ
ていません。


前ヶ崎城想定図(下が北)
イメージ 1



城跡は前ヶ崎城址公園となっています〜階段を上るとすぐに主郭です。
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唯一残る主郭部〜鬱蒼としていて古城の匂いプンプン♪ 西側以外には土塁が廻っています。
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櫓台土塁を西側の道から見上げる
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主郭南側の虎口
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東側の空堀〜やっぱり夏季は遺構がわかりずらいですね〜(ノ_<。)
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総評  ★★★☆☆ (旦さま私見 ★3つ)


かつては三つの郭の連郭式城郭でしたが、舌状台地先端の主郭部以外は破壊されています。

しかし嬉しい事に主郭部は土塁、櫓台、虎口など良好にその姿を今に伝えて

います。公園としてそれほど手が加わっていないので雰囲気は○で好印象。

ちなみに主郭の南側の空堀は片側が会社敷地となっているために『犬走り』に見えてしまいますが、

れっきとした空堀なのでお間違いのないように(笑)

周囲が田んぼ道なので道に変化がなく迷いそうでしたが、城址公園のすぐ隣が運転免許センターなの

でここを目指して行くと良いですよ。
                『花輪城』
 花輪城は、市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。
十六世紀戦国期に松戸市小金の大谷口城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する
城でした。北を除く三方を急な斜面に囲まれた細長い台地は、天然の要害といえます。発掘調査に
より、台地を東西に区切る深さ三メートルの空堀と土橋が発見され、二つ以上の郭が連続する城郭形
態(直線連郭式)の一部が明らかになりました。花輪城は高城氏が滅亡した十六世紀末には、その役
割を終えたと考えられています。
 琵琶首観音堂は、かつて県道付近に本堂があった、真言宗西福寺境内の観音堂です。解体前に行わ
れた調査によれば、十七世紀前半の建築様式を持つものであることがわかりました。茅葺きながらも
三間堂であり、その規模や内部の装飾は当地の経済性の高さを推測させるものです。地域の信仰を集
めた本尊は、「朝寝坊の観音」と呼ばれる等身大の観世音菩薩立像(天文八年銘 1539年)で、
現在は市内桐ヶ谷の西栄寺に安置されています。公園内に保存整備された、花輪城の空堀と観音堂の
基壇・礎石が、当地の長い歴史を物語っています。 


花輪城跡平面図
イメージ 1



今上落川越しに花輪城〜花輪城跡公園となっています。
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ニ郭に相当する曲輪は墓地になっています。
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主郭部〜木橋の下は空堀で後方に見える東屋が最高地です。
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木橋から空堀と土橋を見る〜3mあったという空堀は殆んど埋っています。
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琵琶首観音堂跡〜花輪城廃城後の江戸時代中期この観音堂が城跡に建てられましたが、今は礎石のみ。
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総評  ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)


流山街道沿いのある東葛病院の前の台地が花輪城跡である花輪城跡公園です。

西(病院側)と東(今上落川側)両方の入り口に花輪城跡公園の碑と標柱があるのですが、

夏季のせいか、公園というわりには草ボウボウで残存土塁もよく分かりませんでした。

しかも東屋には居住者もいるし…気になってゆっくり見学出来ませんでしたよ(ノ_<。)

南先端の主郭部だけがかろうじて公園として残っていて他は消滅しています。

土橋遺構は保存のためか通れないようになっていて、その代わりか横に小さい木橋が架けられて

います。まぁ土橋も土橋と思って見ないと分からないくらいなのですが。
  昔、この辺り一帯は「曽谷殿屋敷」または「曽谷殿館」と呼ばれ、曽谷一族の居城のあった
所です。現在では台地が崩され、わずかに石井氏宅の裏庭に、土塁と空堀の一部が残されている
だけで、曽谷城の全容を知ることはできません。
 曽谷城主については、曽谷重胤が千葉介胤鎮から、曽谷村の近在3000町を与えられ、城主に
なったのがはじまりと伝えています。この重胤の孫に当るのが曽谷教信で、かれは日蓮聖人に帰依
して、法蓮日礼の法号を給わり、建立したのが長谷山安国寺です。
 その後、一族の末裔である曽谷胤貞は、足利尊氏とともに九州に向い、多々良浜の合戦で武功を
あげましたが、下総へ帰る途中、即ち建武三年(1336)三河国(愛知県)高橋の合戦で討ち死に
したため、曽谷城もこの時に落城し、曽谷一族はのち、康正二年(1456)に至って滅亡したと
伝えています。
 この城中に「烏石」のあったことが、鈴木金堤の著「手ぐりふれ」に、次のように書かれています。
「曽谷村は千葉介の一族曽谷殿の館跡也しとぞ、館跡に曽谷殿の愛石なりとて、青き石の紋に
黒く烏の形あざやかにあらはれて、烏石と云伝へしを、烏石を乞もとめひたすら愛し、後に東海道
鈴の森の鎮守の社地に安じたるよし・・・」
 現在、東京都大田区にある盤井神社にこの烏石が残されています。烏石は江戸で名うての書家、
松下雨石のことで、この烏石を見て以来、雨石の号を烏石と改めたといいます。


住宅地の中にある曽谷城跡の案内板と標柱。
イメージ 1



その案内板は陽に焼けてこの有様…
イメージ 2



総評  ★☆☆☆☆ (旦さま私見 ★1つ)


NTTの裏の台地が曽谷城跡なのですが、宅地化によって見事に破壊されています。

ここも道が狭く路駐スペースがなく駆け足の探索となりました。

民家の前に案内板と標柱があるのですが、陽に焼けて解読が困難なのですよ (*>_<*)

市川市教育委員会様、新しくして下さい。
(一応この後に寄った市川市博物館にこの旨を伝えましたが…)

この案内板の右手に行くと石井さん宅の庭に土塁、空堀の一部が残存しているそうなのですが

帰ってから分かったので見逃してしまいました(。´Д⊂)。

残念すぎるので案内板が読めないせいにします(笑)

その遺構は戦国期のものらしく、方形館から城へ変って行ったと思われます。

関係ない話ですが、平地にある家にしか住んだ事がない私は台地上の家にお住まいの方は

毎日坂道上って大変だぁ〜と思いました。
 この説明板の立つ台地は、むかし「城山」と呼ばれていました。しかも、この台地を中心とした
一帯には、御門(大手門)、殿台・殿内(領主の館)・迎米(米倉)・馬寄場(馬場)・一ノ谷・
ニノ谷(外堀)・楯台(守備陣地)・根小屋(従者の居住地)などと、中世の城跡をしのばせる
地名や、空掘の跡・土塁(土を盛った囲い)・或いは抜け穴等の跡が各所に残されています。
 しかし、この城跡がいつの時代に、誰によって造られたものか、現在、確証できるものが何も
ありません。
 ただ、地域に残る伝承では、関東を征服しようとして、天慶の乱を起こした平将門が、下総国の
西南部(市川市周辺)を鎮圧するために築いた城で、大野一帯は乱の後、将門配下の将兵によって、
開墾された土地であるといいます。
 また一説に、大野の地域は日蓮に帰依した、中山の太田乘明の所領であり、大野城は太田一族の
居城であったとか、同じく日蓮に帰依した曽谷教信が、法連寺を建て、この地で歿したり、
さらに一族によって礼林寺が建てられたりしているところから、曽谷氏に関係ある城でなかったか
とも考えられています。
 昭和四十四年に第五中学校の地域、五十四年に第五中学校と大柏小学校の一部を発掘調査した結果では、天慶の頃の将門伝説と結びつけることは無理で、中世戦国時代に相当する城跡ではないかと
いわれています。 


市川市立第5中学校の建つ大野城跡を望む。
イメージ 1



校門横の大野城跡案内板。体育館からは生徒の声が聞こえてきて、不審者と思われないか
 ドキドキでした〜学校になっている城跡は探索しずらいからイヤイヤ(。・ˇωˇ・)。。
イメージ 2



評価  ★☆☆☆☆ (旦さま私見 ★1つ)


別名『御門城』。大柏台地の城山といわれている場所が大野城跡で現在は市川市立第5中学校と

宅地になっていて遺構は確認できませんでした。(案内板には土塁、空堀跡、そして抜け穴まで

あるとなっていますが、なにせ昭和56年10月に建てられたものなので…)

また大野城跡の標柱もあったようですが、撤去されたのか、案内板の横にはありませんฺでした。

しかも市川市立第5中学校は宅地の中にあり、道も狭く路駐スペースもないので

しっかり探索するには徒歩がオススメ。

発掘調査によって戦国時代の城跡と確認され、その規模は広大なものでしたが

歴史的には不明な事が多い城です。
『鎌倉大草紙』によれば、文明10年(1478)扇谷上杉氏の家宰太田道灌が『下総国府台』
に陣取り、仮の陣城を構えたとあり、国府台城のはじまりであるとする説がある。
道灌は武蔵にいた千葉自胤を助け、敵対する千葉孝胤と戦うためここに陣取り、
境根原(柏市)に出陣し、孝胤を破っている。
 これより以前の康正2年(1456)千葉自胤は兄の実胤と共に『市川城』に立て籠もり
足利成氏に対抗していたが、簗田出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れた。
この『市川城』と太田道灌の陣城との関係が注目されるが、おなじものかどうかは不明である。

 国府台は標高20〜25mの下総台地の西の端であり、江戸川に平行して南へ張り出した
大きな舌状の丘陵であり、現在に里見公園の中に土塁状の城郭遺構が現存している。
そして北に向っても城郭の遺構らしきものが確認される。公園内の遺構は破壊が激しく築城時期を
想定する事は難しいが、太田道灌の時代よりは後の時代に属する、という推定もある。

 この地はその後天文と永禄の二度にわたり、小田原北条氏と安房の里見氏により行われた国府台
合戦の舞台となっている。天文7年(1538)の合戦は小弓公方足利義明・里見義堯らが
戦ったもので、小弓(千葉方)に拠点を定めた義明と北条家が担ぐ本家筋の古河公方方との
戦いである。これに対して永禄7年(1564)の戦いは、着々と東国に覇権を確立せんとして
いた北条氏康と、これに対抗する里見義堯・義弘らの戦いであった。
(前年の永禄6年にも合戦が行われたという説もある)
 永禄の合戦の結果、北条軍は圧勝し、里見方は盟友である、正木氏一族など多くの戦死者を
出し安房へ敗走する。国府台城はこの合戦のなかで激突する両陣の争奪の場となり、
戦後北条氏の手によって拡大強化され、初期のものから戦国時期の城郭に進化するという説もある。

 現在の里見公園には江戸時代になってから作られた里見軍の慰霊のための供養塔が建てられている。
この地はその後、里見八景園という遊園地の敷地となり、その後は軍用地とねり、終戦をむかえている。


国府台城跡は現在里見公園となっています。入り口に建つ碑
イメージ 1



公園内の二重土塁と空堀。土塁は古墳を利用していて石棺が残っています。(明戸古墳)
イメージ 2



櫓台と云われる部分。
イメージ 3



『里見広次並び里見軍将士霊安の碑』〜国府台合戦の戦死者の供養塔です。
イメージ 4



『夜泣き石』〜国府台合戦後亡き父の供養のためにここを訪れた里見弘次の娘が悲しみのあまり、この石にもたれ泣き続け息絶え、その後夜になるとこの石から泣き声が聞こえるという伝説です。
もしかして、ここって心霊スポット?。
イメージ 5



里見公園に隣接する総寧寺もかつての城域で、里見城跡の碑があります。
またここは幕末北へ向う旧幕府軍が集合した場所でもあり、その中に新撰組局長近藤勇と別れた土方歳三もいました。新撰組ゆかりの地でもあるわけですね。
イメージ 6



総評  ★★☆☆☆ (旦さま私見 ★2つ)


城としてより古戦場として有名な国府台ですが、公園内には二重の土塁とその間の空堀などの遺構も

あります。しかし廃城後の長い歴史の中かなり手が加えられていて城跡というより整備された公園という

感が強いです。なんといっても小学校の全校遠足がここ里見公園でしたから(;^ω^A あは。まさかここが

お城だったとは小さな私は思いもしませんでしたけど。

周辺は駐車場がなくグルグル廻ってしまいましが、江戸川沿いに路駐スペースがあり助かりました。

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