上総真里谷城主武田信興は里見氏の上総夷隅郡侵略に備えて、次男信清をして大永元年(1521) 小田喜の地に築城した。これが根古屋城である。武田氏は二代目朝信が天文13年(1544) 里見氏の将、正木時茂との苅谷原の戦いで負死。根古屋城には正木氏が入り、憲時、時堯と 三代続いた。 天正18年(1590)北条滅亡後の関東に入国した徳川家康は本多忠勝に房総三国二十五ヶ城の 攻略を命じ根古谷城も落城した。同年忠勝が十万石で入城したが、防備が近代戦にそわないと考えて、 その西南1,5キロの地を選定、精細な城郭図を添えて家康に出願した。家康は戦功の顕著な忠勝に 対して心よく許可し、大多喜城が築かれて根古屋城は廃城となった。 田園の中の住宅地周辺が根古屋城跡で、急な坂を上ると天守台を意識した石積みが…。 もちろん後世のモノですが、お城っぽくて期待してしまいます。。 上ると、ちょっとした広場で大多喜根古屋城跡の石碑があります。 と、いうかそれのみで期待ハズレでした。 振り返ると根古屋城に取って変わった大多喜城の雄姿が♡! 田園の中の平城かと思ったら実は岡部台地に築かれた平山城で、住宅地化の際に削り取られてしまい 今はその地形すらわからなくなっています。しかし、お城に関係した地名は多く残っています。 遺構は無いですが、大多喜城の眺めは良いですよ。 根古屋城の道順は駅前の観光センターで聞いたのですが、職員さんの話だと大多喜根古屋城の所在地は 諸説あって、どうやら大多喜城と丘陵続きの栗山の城跡がそうらしいですよ、と。 そしたらここの根古屋城は何?。ちゃんと町指定史跡なのに。 そんな言葉にもめげずに訪れた大多喜根古屋城でした。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




