室町幕府8代将軍足利義政の頃関東では幕府に背く勢力が拡大し、長禄2年(1458) 義政はこれを鎮圧するため実弟の政知を関東に下向させたが鎌倉入りが出来ず、やむなく ここ韮山堀越の地に居館を構え機会を伺う事となる、これが堀越御所である。 延徳3年(1491)政知が病没すると嫡男の茶々丸は継母、実弟の重臣を斬るに及び御所は 内乱状態に陥った。この機に乗じて興国寺城に在った伊勢新九朗長氏(北条早雲)が御所を 急襲して茶々丸を滅ぼし、ここに33年間存在した堀越御所は消滅した。 国道136号に『北条政子産湯の井 入り口』の看板があり、ここを入っていくとやがて右手に 堀越御所跡の看板があり、ハイ到着!。(ちなみに真向かいに北条政子産湯の井戸があります。) 看板の後ろの広場が御所跡で遺構は何もありません。
遺跡案内図
この地は元々政子の実家でもある北条氏館の跡地でもあり、その関係でこの周辺地域の遺跡はまとめて国指定史跡です。 北条早雲の堀越御所急襲が戦国時代の始まりと云われ、歴史的価値の高い場所なので 前から行ってみたかった所です。 何にも無い小さな空き地なんですが、それでもいいのです、早雲を想いしばらくボーっとしてました。 将来的には史跡公園として整備されるらしいですヨ。 北条館跡でもあるので近くには執権北条氏関係の史跡も沢山あって一日楽しめます。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




