八王子市南大沢の首都大学で7月25日まで開催されている企画展
『多摩のいま・むかし −八王子の山城・中野村の象ー』
企画展のようす
この企画関連のシンポジウム
『秀吉を迎え撃てー天正年間の関東の城ー』にも参加して来ました。
シンポジウムは過去2度参加しましたが、正直るなには難しい印象…
でも今回は高校生でも解るとの事と北条氏関連だったので。
それに『〜未知なる城を求めて〜城郭研究ノート』の竹さんが講師をされるし
会場には定員100名を超す熱心な城郭LOVEさん 達が集いました。
しかしやっぱり女性は少なかったですね…
シンポジウムの内容を全部書くのは不可能なので竹さんの『秀吉の天下統一と北条氏』の内容の一部を資料を元に書いてみました。
・惣無事令は天正14年と比定されていましたが実は天正11年。
北条氏政に出した徳川家康の書状に関東惣無事とあり、その中で羽柴方と書いてある。この事により豊臣を名乗る前と言える。ここで言う関東惣無事令とは天正10
年の織田政権の東国進出による秩序の事を指す。
・北条氏が秀吉を意識したのは天正15年。
家康が上洛して秀吉の臣下となった翌年で、対秀吉のために領地内のお城を大規模に改修。領国内のヒト・モノを総動員した防衛体制を構築。
・対秀吉として改修された城、されなかった城
改修する城を絞っていた可能性が高い。本城の小田原城を最優先に、その次に
『境目の城』を重点的に。史料から改修が確認できるのは小田原、八王子、韮山、
下田、足柄、山中、箕輪、太田金山、松井田、岩付の各城。
こんな感じでした 竹さんの発表後、所要でるなは一旦外に出ましたが、
齋藤さん、諏訪間さんの発表も勉強になったと旦さま。
パネルディスカッションの時に印象に残ったのは竹さんの「秀吉は性格が悪いから、自分の力を見せつけるためにあえて一番堅固な城から攻めた。要害堅固として挙げられたのは岩付、鉢形、忍、津久井、八王子。その中でも一番は岩付(岩槻)城 」
これは意外! あの美味しい豆腐ラーメン が食べられる岩槻城が北条支城
で一番だったとは。お城は今の見かけによらないものだねぇ〜
そうそうパネルディスカッションで旦さま「小田原城を見下ろせる石垣山(笠懸山)に秀吉が城を築く前に北条氏は物見とか置いていたのか??」って質問
が取り上げられご満悦でした
シンポジウム終了後に竹さんにご挨拶。お疲れ様&ありがとうございました。
気がつくと実に5年振りの再会でした。
当ブログ『旦さまと私』は基本お城巡りバラエティですが、たまには専門的な事
を勉強するのも良いかなぁ〜と
|