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お城散策(茨城県)

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毎年小田城(茨城県つくば市)本丸跡で行われている

どんど焼き 今年は火入れの前に提携イベントとして

小田城冬の陣が開催されました。嬉しいことに旦さまたち

はやぶさ衆小田地区和太鼓会、 宗彭北千住・尺八古本

曲演奏会、On or Aboutさまと共に参戦させて頂きましたよ

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「小田氏治のあきらめない志」をテーマにした寸劇「小田城物語」を披露。
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  (画像提供・やぐりんさま。ありがとうございました。)

寸劇中、鉄砲隊をお客さんから選び、発射!
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司会の小出さまと。寒い中最後まで観覧していただき感謝、感謝です。
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寸劇にも登場した太田資正さんその子孫の方に偶然お会
いしました
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お昼に頂いた手打ちそばがこれまた美味。寒かったのでおそばをすぐ食べてしまったため画像なしよ
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海外でもCDリリースしているOn or Aboutさんともコラボ。
盛り上げ上手でもあり、音とパフォーマンスでお客さんを魅了。(画像提供 On or Aboutさま。ありがとうございました。)

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冬の陣終了後、4時半から後方のやぐらに火入れ。
どんど焼のスタートです。
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どんど焼き 無病息災を願い、各家々に飾ってあった松飾りやしめ縄などを持ち寄り、竹や藁で作ったやぐらに積ん
で燃やすという、小正月伝統行事。竹棒に刺したお餅を焼いて食べると一年間無病息災だと言われます。
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着替えてたために火入れに間に合わず。一番すごいを見逃してしまった
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さぁお餅を焼くぞぉ〜
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夕暮れ時、竹棒に刺さったお餅いっぱい〜シュールな画や
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熱いぃ…
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もう少しで火にとどくぞぉ…
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みんな楽しそうね
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さてさて焼けたかな…真っ黒焦げや!
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お餅を上手に焼くのは難しいよぉ。焦げたり、溶けたり、

竹棒から割れて落っこたり(これるなのパターン)…

でも隣にいたおじさんがお餅くれました。

「はい、これ食べれば無病息災だから♪」

ありがとうございます!

調べたらどんど焼きって他の地域でもやっているんですね。

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寒かったけど小田城冬の陣〜どんど焼き、めちゃ楽しい一日

でした。やっぱり人とのふれあいが一番温かいね


 藤沢城は南北朝時代から戦国時代の終わりまで小田城の支城であった。小田城の政務所とも伝えられている。永禄8年(1565)、小田氏治は上杉謙信と小田天王常で戦って敗れ、藤沢城に敗退したが、のち居城を回復した。 しかし、同十四年には再度藤沢城に移っている。
 その後、天正2年(1575)常陸片野城にいた太田三楽斎資正によって小田城は攻められ、氏治はまた藤沢城に移ってきたが、その後、再び小田城を奪い返した。しかし、同18年に豊臣秀吉によって小田城は攻められ、氏治はやむなく土浦に落ち、のち手子丸城に入り結城に走ったため藤沢城も廃城となった。(日本城郭大系より)


城内、二郭神宮寺。 
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お寺↑背後の土塁
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中城(三郭=左)本郭間の谷。かつては堀だった?
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中城の土塁
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中城より本郭を望む。
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本郭虎口
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本郭
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民家に残る土塁
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田土部郭
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外郭精泉寺背後の土塁&堀
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外郭、遍照寺背後の土塁
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外郭内の様子
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総評 ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

うちらの中で最近人気急上昇の小田氏治さん

居城・小田城を奪われては奪還、また奪われては奪還…

繰り返し11回(所説あり)の小田城攻防戦。その小田城から

逃れる先がこの藤沢城 そしてここで何度も再起を図るので

す。言わば諦めない氏治パワースポット

東西700m、南北800mと外郭を持つ広大な規模

城内は耕地、宅地となり遺構は一部散在。ナビで分かりやすい

場所、神宮寺をセット。お寺の背後に土塁。ここから県道に

出て南下し中城へ。耕地に土塁が残っています。

神宮寺戻る途中を曲がると本郭へと辿り着けます。虎口の

土塁抜けると本郭…一面畑。う〜む 逃げ込んだ氏治

さん心境を妄想して楽しむしかない…

一番の遺構は外郭東側、精泉寺背後の土塁、堀ですね。

断続的ですが、かつての規模を感じさせてくれます。西側、

遍照寺側のは埋もれてイマイチ見辛い

広大な城内を氏治さんに想い馳せながら遺構探しの

藤沢城訪問でした

皆さん大変ご無沙汰しております。久々の更新…m(__)m

先日小田城で開催されたミニイベントに参戦して来ました。
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鎌倉以来の名門・小田家の居城小田城
(茨城県つくば市小田2532−2)

丸周辺が整備され今年の4月29日に

小田城歴史ひろば』としてオープン

オープニングイベントでは武者色なかったので今回初の

甲冑武者ミニイベント。

まずは整備された小田城を紹介 この先も整備
は続くそうですよ。
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本丸土塁上から本丸内を。
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本丸
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本丸建物域
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東池
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西南虎口
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西南馬出曲輪
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本丸より前山城宝篋山(後方)を望む。
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本丸からすぐのところに資料館(案内所)も開館。最近中世
城郭にも資料館が併設された所が増えて予習、復習、休憩、トイレ等、色々と助かりますね(画像はHPより)
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小田城と云えば、ゲームからか最弱戦国大名とありがたくな
称号が付いた小田氏治さんがマニアの間で有名。城を奪われては奪還、また奪われては奪還の11回(所説あり)に及ぶ小田城攻防戦で5勝、6敗。最終的には城を奪還出来ずに終わりますがこの諦めない心』を称えるミニ寸劇を披露。
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リハーサルの模様
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小田城内でのイベント後、好評につき資料館前でも急遽、
寸劇披露。
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寸劇の他、兜&陣羽織試着体験、法螺貝体験写真撮影

などのおもてなしをさせて頂きました。兜を被った姿を来年

の年賀状にします!って方もいて集まってくれた皆さまに楽し

んで頂けてよかったぁ

私達も地元の方々の大歓迎に感無量。

関係者の皆さま&集まってくれた皆さま本当にありがとう

ございました。

ガイドさん…「つくば市は学術・研究都市を謳っているせい

武者&城に注目がいかない。こんな立派な城と歴史

があるのにもったいない。これを機会に次に繋げたい」と

仰っていました。

賛成です! 守ったあげなきゃキャラの小田氏治さんも

いますしね。人気観光地・筑波山にも近いし、サイクリング

コースにもなっている小田城、綺麗に整備され皆さんの

お越しをお待ちしています!



今回は山形初代藩主・最上義光の家臣・鮭延秀綱さんのお話です

るな鮭延さんの存在を知ったのは山形おきたま愛の武将隊。最初、山形県→名物が鮭→鮭延さん誕生と架空の武将?
と思ったら実在の武将でしたね 東北の皆さんゴメンナサイ。

るなに殺陣をレクチャー中の鮭延さん
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鮭延さんの武勇が轟いたのは東北の関ヶ原と云われた長谷堂の戦い。戦の後、敵の直江LOVE兼続「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなしと讃えられご褒美まで貰っちゃいました

しかし義光死後の元和8年(1622)最上家はお家騒動(最上騒動)により近江大森1万石に改易。鮭延さんは江戸幕府大老・土井利勝(佐倉藩主→古河藩主)に預けられますが翌年に5千石で仕える事に。しかし禄は全て自分を慕って山形から付き従ってくれた家臣に分け与えてしまったのです。
深イイ話

さて財産全部家臣にあげちゃった鮭延さんはどうやって生活していたかと言うと家臣の家を転々としていた!?
最初は嬉しいけど、何日かに一度はローテーション?でやって来る殿さまの接待も大変だったでしょうね。家臣の皆はどう思っていたのかなぁ?
こんな鮭延さん海音寺潮五郎さんは小説乞食大名
として描いています(未読ですが
正保3年(1464)鮭延秀綱、古河にて死去。

鮭延寺(茨城県古河市大堤1030−1)


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鮭延さんの死後、家臣達が古河藩主・土井利隆に菩提を
弔うためにお寺の建立を懇願。それがこの鮭延寺
もちろん寺名は鮭延さんの苗字からね
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鮭延さんのお墓。 でも案内板はないのですよぉ
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真室川町と言えば鮭延さんの居城があった町。お墓のある
総和町(現・古河市)と姉妹都市。鮭延繋がりネ
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訪れた日は牡丹桜が綺麗でした。
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境内には江戸時代の儒学者・熊沢蕃山(1619〜91年)の
お墓もあります。
貞享4年(1687)に著書「大学或問」が参勤交代制などを批判しているとして、幕府から国古河城での幽閉生活を命じられ、鮭延寺で病没しました。
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ここ、鮭延寺が家臣による建立と知り、家臣に深く愛されて

いた殿さまだったんだなぁ〜と。そして信頼関係があったから

こそ家臣の家を転々として暮らしていけたのでしょうね。

欲無き猛将・鮭延秀綱さんのお話しでした

(注・諸説ありです)
久々に茨城県古河市の古河城散策して来ました。
御三階櫓最後の藩主・土井利与さまと記念写真。
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古河には大好きな丸満餃子を食べに年に一度は訪れ
ます。丸満会員登録すると誕生日月には1000円引き
クーポンプレゼント!1000円ですよ〜これは使わなきゃ。
なので毎年、誕生日の4月古河
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さて、古河城と言えば明治の廃城後、渡良瀬川の改修
工事で本丸などの中心は川底になり消滅
しかし今も僅かですが街中に遺構が残っています。(本丸
跡画像は以前行った時のもの)
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まずは古河歴史博物館の前、諏訪曲輪の濠。噴水も出ちゃう
スーパー濠遺構に改造されていますが 
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一番残りの良いのはここ獅子ヶ崎の土塁
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獅子ヶ崎土塁には濠遺構もありますよ。
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重臣屋敷の長屋門
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移築遺構だと福法寺の山門(二の丸御殿入り口の門)が有名ですね。
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江戸時代からの商家・坂長店蔵袖蔵も移築遺構です
左の店蔵は古河城文庫蔵、右の袖蔵は古河城乾蔵
ともに明治6年の廃城後に払い下げされたもの。
坂長は5つの蔵を公開(無料)。資料展示室、お土産屋さん、
食事処、休憩場もある観光スポット。展示室の古河城VTR
見応え十分でおススメですよ
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文久3年創建の袖蔵(古河城乾蔵)内部
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明治6年の古河城廃城時にそれまで古河藩を支えてくれた
坂長をはじめ商家に感謝の意味で出城付近の大杉が贈られ
ました。その大杉で作ったテーブル。一応遺構?
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古河公方の娘もキャラにしちゃうんだ
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雪の結晶研究で有名な古河藩主・土井利位とその家老・鷹見
泉石もだぁ  
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展示室の御三階櫓古写真  三階櫓ですが内部は4階。
高さ22m。水戸城御三階櫓よりも高かったそうです。
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こちらは平成の古河城。ちなみに新聞屋さん
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久しぶりの古河城散策 坂長は初訪問。新たな移築遺構も

見れたし、お店の方とのおしゃべりも楽しかったし満足



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