『向石毛城』 前九年の役において功のあった赤須四郎が康平5年(1062)、後冷泉天皇より鎮守府副将軍に 任ぜられ、神旗(蟠龍旗)と豊田郷を下賜され、名を豊田四郎平将基と改め、豊田氏の祖となった。 将基は、館を天然の要害豊田館跡(平将門本拠地)に向石毛城を構築して、長子石毛太郎広幹を拠ら しめ豊田氏隆盛の礎とした。これが向石毛城の起源である。 その後、戦国時代には関館氏の一族館武蔵守が支配し、永正年間(1504〜21)より要害の城 にするべく塁を高め、堀を深くし水を引き入れ、橋梁をもって城地を結び大手を拡げ、南に1の塚、 北に2・3・4の塚の見張地を設けて防備を固め、 豊田城と東西相呼応して守りを堅くした。 天文年間(1532〜1555)敵対していた下妻の多賀谷氏が突如として向石毛領に侵入し向石 毛城は攻められ城主武蔵守は自刃し、向石毛城は落城して廃城となった。 関東のヒーロー平将門の本拠地跡(豊田館)と云われている将門公苑が向石毛城跡です。 地図にも掲載されている将門公苑ですが凄く小さな公園ですよ。 豊田館跡を伝える石碑。 将門さんのレリーフ〜大河ドラマ『風と雲と虹と』で将門を演じた加藤剛の姿? でも落ち武者に見えるのですが(;^ω^A こちらの将門さんは立派な武者姿です〜この画を挟んで左に向石毛城跡、右に平将門公本拠豊田館跡 の案内が刻まれています。 平将門公本拠豊田館跡の案内板 向石毛城跡の案内板 石毛城縄張り図〜立派な石に刻まれているのですが、正直見ずらいです(;^ω^A 将門公苑に隣接している法輪寺〜境内隅に土塁跡がありますが草ボウボウです。 平将門、太田道灌と云えば関東人の私達にとって馴染みのあるヒーローなので その本拠地と伝わる豊田館跡に来れて感激。大河ドラマ『風と雲と虹と』での将門の最期は 泣けました(*>_<*) 古い作品ですがDVD化しているので興味のある方はぜひ〜 その豊田館跡に構築された石毛城ですが、同じ敷地内(将門公苑)に豊田館跡と向石毛城跡の表示が あるので混乱する方も多いと思います。町としては将門さんの本拠地という観光資源は大事だし 今残る土塁遺構は向石毛城のものだし…両方を押し出した結果がこれだと。 隣地の法輪寺は最後の城主館武蔵守の遺児播磨が仏門に入り向石毛城跡に再興したお寺です。 ちなみに石毛橋を挟んで1キロと離れていないところに名前がややっこしい石毛城があります。
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